桑子:命がまず大切だ、そう強く思われるようになったのはどうしてなんですか?
私の場合にはこの「かりゆし」を着ているというのが、私のアイデンティティの中で沖縄の人間であるというのが半分、いや半分と言うか8割ぐらいあるんですね、実は。それは、母が沖縄の出身で、14歳の時に非常に例外的なケースなんですが、日本軍の軍属として軍と行動を共にしているんですね。それで映画にもなったハクソー・リッジの戦い、前田高地の戦いで、あそこに地下ごうを作りながらね、ちょうどガザの地下みたいな地下ごうを日本軍が作って抵抗をしている時に、私の母はその中にいた。ガス弾を投げられて、マスクをつけ遅れた人はみんな横で窒息して死んじゃったんです。母はガスマスクをすぐつけたんだけれども、ちょっとガス吸っちゃって、親戚でぜんそくの人はいないんですけども、母は戦後ぜんそくで苦しんで、ステロイド剤が出来るまで、かなりぜんそくで苦しんでいました。
その経験をしてそこで九死に一生を得ると。そして首里の攻防戦に参加して、その時に手りゅう弾を2つ渡されるんですね。いざとなったら自決しろと。不発に備えてもう1つだと。摩文仁まぶにまで行って、ごうの中で潜んでいる。日本軍が組織的な抵抗をやめたあとの、17人でその穴の中に潜んでいたんですよ。ある時、米兵に見つかっちゃって。それで母親が手りゅう弾の安全ピンを抜いて叩きつけようとしたんですね、横のサンゴ礁の壁に。そうしたら、隣にいる山部隊という所の髭ぼうぼうの伍長が「死ぬのは捕虜になってからも出来る、ここは捕虜になろう」と、両手を上げてなんとか生き残った。でも母は死ぬ瞬間まで「自分が手りゅう弾をあそこで爆破させたら、自分だけじゃなくて16人を巻き添えにして殺していた」と、これを非常に言っていたんですよね。それで命は何よりも大切なんだということは、母に子どもの時から沖縄戦の体験を通じて言われた。だから沖縄の新聞というのは、ウクライナ戦争に関するトーンが違うんですね。要するに「ロシアけしからん」ということなんだけれども、ウクライナのゼレンスキーさんが国民みんなに銃を持たせて、火炎瓶を持たせて抵抗しろと呼びかけていることに対しては、当時の日本軍の徹底抗戦を呼びかけていたあの時の姿と二重写しになる。だから沖縄の新聞は早くから即時停戦を訴えているというのは、そこと二重写しになっているからなんですね。その影響は私の中ではあると思う。それに、この問題は外交的に解決できると思うんです。
桑子:そこに希望をもってらっしゃるわけですね。
スローガンを先行させないでリアリズムで見ることが重要だと思うんですね。ロシアがウクライナを侵攻した、だから中国がきっと台湾を侵攻すると言うんだけども、そこでもうワンクッションおいて考えないといけないと思うんですよね。ロシアは今回こういった侵攻をすることによって国際的に孤立しましたよね。こういうような孤立というのは果たして中国にとって得かどうか。あるいは台湾を攻撃すると。よく軍事専門家は台湾の半導体工場をまず中国は攻撃するんじゃないかと(言う)。私は、それはないと思うんですね。中国自身、半導体が入らなくなっちゃいますから。
桑子:日本が「ハリネズミ」というような例えもされていましたけれども、今の日本がどういう状況で、今後どういうふうにあるべきだと考えてらっしゃいますか?
アジア太平洋地域において日本というのは、日本の議論だと中国が攻めてきたらどうなるか、北朝鮮にやられたらどうなるかと、「ハリネズミ」になってしまうんだけれども、実は日本は国力がすごくあって、仕掛けていくことができるプレーヤーであると。その時に日本は防衛においても抑止力を強化するという、平和に向けた防衛協力、また外交においても平和的なイニシアチブっていうのを発揮することができると思うんですよ。
戦後の日本というのは「小さく縮こまっていれば大丈夫だ」ということになったんだけれども、今アメリカの力も弱っていて、ヨーロッパの力も弱っていて、グローバル・サウスの力が強くなって、ロシアも中国も自己主張を強めている。しかも軍事力を背景に自分の主張を展開してもいいという動きが世界的に広まっている中において、日本がかつて、自分たちがそういう道で破滅したということを踏まえた上で、平和のイニシアチブをとる中心的な国になると。
ただそれは観念的な平和論じゃなくて、日本の防衛力をきちんと整備して、それから防衛装備品は日本仕様で使えるような領域というのを拡大していくと。ただそれは戦争を起こさないための抑止としての装備品ですよね。そんなようなことを総合的に考えていく。そうすると、従来型の左とか、右とか、リベラルとか、保守とか、こういう考えの枠では全部対応できなくなっちゃうんです。だからそこは柔軟に考えていくと。こういうことが重要だと思うんですよね。だからもう少しそこのところで、政府の中心にいる、あえて使いますと政治エリートたちが、もう少し幅を持って物事を考えないといけないと思うんですね。中国にしてもそう。中国を敵視してアジア人とアジア人が戦うなんていう、こんな愚かなことは絶対にしないと。ロシア人とウクライナ人、見た目では区別つかないですからね。中国人と日本人が戦っても同じことになりますからね。そういうことをしないために外交官だった人間は何ができるだろうか。政治家は何ができるだろうかということを考えると。それと同時に、軍事は軍事の専門家たちが最悪の情勢に備えてきちんとした「箇所付け」をして、こういうケースに備えたこれが必要なんだということを、情緒的な議論ではなくて、むしろ閉ざされた扉の中で専門家たちが議論をしていくことが重要だと思うんですよ。国民みんなが国防についての議論を啓発して話さなきゃいけないというのは、私はあまり健全な状態じゃないと思うんです。
これは、外交についてもそうです。要するに非常に専門的な知識が必要とされる領域のところに関して情緒的な議論が先行するようなやり方は、結果として国益、これ二重の国益ですね、国家益と国民益を毀損する可能性があると思うんですよ。