トトヤンの家庭菜園

小旅行、読書、テレビ番組、家庭菜園のブログです。

趣味のお絵かき

2017-05-31 12:10:16 | 日記
よく、お絵かきソフト(artRage)を使います。


夕暮れの風景。

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親孝行と デジタルツール

2017-05-27 23:16:53 | 日記
『最高の親孝行 デジタルツールでここまでできる』米山公啓著. アスキー新書を読了。

今後の家庭経済をかんがえてみても。
「いままでは自分のことが中心」
そういうことから軌道修正をするにはどういう努力が欠かせないかを本書は問いかけている。
超高齢化社会突入の最近では親の介護のために退職するという「介護離職」という負の問題もささやかれている。

働き方のルネサンス期かもしれない。
ピンピンコロリが理想としても、
誰しも死の時期は決められないし、予測しえない。
介護する側が突然死したということもあるから、複雑な心境にもなる。

長時間労働の環境改善は掛け声倒れの現況は続きそうだし、
プレゼントで贈ったデジタルツール付きのものが、かえってストレスを抱えさせてしまっているということもあるから、
サブタイトルのようにそううまくは?と、ちょっと疑念もあった。
多機能リモコンは必ずしも高齢者に優しいともいえない現実がある。そういう心配もあるからだ。

でも、全部、読み終えてみてわかったことは、
親とコミュニケーションを取りやすくするためのデジタルデバイスを知りたい人だけを対象にしたというものではないということ。

本書の狙いは親とコミュニケーションを取るように促している目的は何よりも親の健康と幸福を願ってのこと。それに廻りめぐって自分の為でもあると。どんな人でも老いというものは避けることができない。
だけど老いるスピードは人によって違うし、ようは、コミュニケーションだと。「親と子のコミュニケーションほど親の健康と幸福に繋がるものはない。」と断言されていく。

著者は医者でもあるし、医学的観点からの解説も交えて読み進むうちに得心がゆく。
それを知れただけでも十分買った価値があったと思う。

同居している場合の人は、親自身のことをよく知っているとは限らない。知っているつもりになりがち。
じっくり、親の話を聞くこともなく、かえってそばにいるからこそ、
親の変化に気づかないこともある。


遠くに住んでいる場合は、久々に実家に帰った時に、
その老いの姿を実感して、親の介護問題を真剣に考え出すということも聞く。
元気なお年寄りが多いといっても、そのままの元気な状態で、常に保てるとはいえない。
世代間のコミュニケーション、
その濃淡は住まい方とは別のところにありそうだ。
いつまでも元気で過ごしてもらえれば親も自分も幸せになれる。
親孝行は思い立ったが、吉日と、
「元気でいますか」
定期的に連絡をつけている親子関係はほほえましい限りだ。
母親にとっては、子供は、40だろうが、50だろうが、いつまでも子供のままだ。
NHKの番組ファミリーヒストリー見た、その時の内容から、我が身を振り返って、
幼いときの昔話を聞き出してみると、親子の会話のちょっとした会話の糸口から、
、生き生きと語りだす親の姿を視た。
認知症にならないのは、こういう記憶をたぐりだすような会話であり、刺激なのかもしれない。
コミュニケーションのとれていない日々にみた番組内容は、高齢化社会の現実に共有しなければ、ならない大切ななにかを
問いかけていた。
親の話によく耳を傾けてみる。
そういうことはもっとあってよかったのにと。
親孝行したいときに親はなし。
親父を亡くしてからはとくに思うのだ。
戦争を経てきた親世代の話が継承されるということも益々、薄らいでゆくだろう。
親は、自分の子孫の永続性を感じていくことで、自身の永続性を見出していくという要素は確かにあるかもしれない。
親世代と孫世代の橋渡しは子供である自分の役割だよと、著者は呼びかけている。
お金は少ないより、多いほうがそれはいい。
でも、お金があってもその本人の幸福感とは必ずしも比例していないところが、人生の深いところ。
でも、そうは、いっても、お金。先立つもの。
そういうひとは多いだろうなと。
健康で、お金に支配されないこと。
自由な時間。介護で頼れる公的範囲にもよるだろう。
それに自身のほうも将来をみすえて、益々健康に留意していかねばならないという坂にさしかかっていく。
まだまだ、面倒はかけられないのだ。
知的刺激のある活動に時間の費やす時間が長い人ほど認知症にかかるリスクが低いし、長生きにつながっている、という統計も披瀝されている。
それが、生涯の生き甲斐でもあり、仕事でもあるというひとというと、かなり限られるだろうなと。
音楽の指揮者か、能狂言の世界に生きるならいざ知らず。
でも、せめて、仕事の領域にふみだせなかったとしても、いつか交わり、繋がる導線だけは用意するような踏み出しと、心がけが肝心なんだろうなと。
定年制度も変容はしてきているといっても、嬉々として過ごせるかはひとそれぞれだ。
嬉々として過ごしてきた人の事例を参考にするように、定年のない定年後の「生きがい」を語れるようにしていきたいもの。
リタイアは一つの区切りとして、チャンスととらえる向きの人もあって、千差万別だ。
現状の家計との見極めができた人、プランをもっている人、ボランティア含めて元気な人が増えることが本当の意味で日本の再生になっていくのでは。

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雲山峰で出逢った「ささゆり」

2017-05-27 17:00:04 | 日記

森林浴にはうってつけのコースかも。
脚力、鍛えられます。


ささゆり、咲いていました。



六角堂。
頂上付近のベンチです。



天候にも、恵まれ、見晴らし最高。


幾人かのハイカーに出逢いましたし、帰路、カップルの鳥にも出逢いました。

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定年後を考えよう

2017-05-23 22:37:40 | 日記




部屋の模様替え。
処分することなく、手元に置いておこうとしたのは


『喜びは悲しみのあとに』

脳に障害のある子を持つハードボイルド作家の話、

倒産した地方新聞社の元社員たちの困難な再就職挑戦の話、

それから戦力外通告を受けたプロ野球近鉄の小野選手のその後を追っていたりと。

そのルポルタージュの一つ一つが印象に残っています。




それまでの著者の作品のタイトルを諳んじてみても、いずれの作品もタイトルに魅かれて買ってきたことを振り返っています。

『友がみな我よりえらく見える日は』
『こころが折れそうになったとき』



それに、画像にある『喜びは悲しみのあとに』と。





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政治・文学・娯楽と、ソーシャルメディア

2017-05-07 20:42:04 | 日記
政治と文学を語るときは
誰しも、
時と場所はわきまえて

語れる友人となると
やはり
そういう友は限られてくる。

それに、忙しい。
自分自身も行動は家族中心の
予定になって動いている。

世相からいって語りあう課題は
それぞれに有るのだろうけれど
大事なことなんだけれど
それにとって代わる娯楽や一時的な
享楽の誘惑が待ち受けている。



天災人災被害等で

人生の淵に

立って、何が大事だつたかを
振り返っている人のほうが
あるいは
真実に
近づいているのかもしれないなあと。


おちつくところは
なんの遠慮もいらない親しい

限られたところに。
あとはソーシャルメディア

こんな感じだろうか。




しかし、、例え付き合いが浅かろうが、
意見が一致することが
解ってくる人に出逢えば、
百年来の知己に出逢えたような
気持ちにもなろうというもの。

大事にしていこう。出会いを。



集団的自衛権の必要性 を小川和久が国会中継で神質疑

小川和久 【参考人・意見陳述】7/1安保法制

ドキュメント72時間 2015年10月02日「夏の終わり 国会前の路上で」


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