トトヤンの家庭菜園

小旅行、読書、テレビ番組、家庭菜園のブログです。

2018スタート

2017-12-31 18:42:19 | 日記
2018年。

よろしくお願いいたします。


やっと、ゆっくりという方も。ずっと、ゆっくりしていたという方も。

風邪など、ひかれませんよう、健康で
よいスタートがきれますように。

今後ともブログ訪問のほうも、よろしくお願いいたします。






【検索参照】


蛯名健一ダンス動画(EBIKEN) America's Got Talent シーズン8で7万5000組の頂点へ!


日本の盲導犬の父・塩谷賢一



星めぐりの歌

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

振り返る・学び舎

2017-12-24 21:23:04 | 日記
今年も残りわずかとなりましたですね。

忘年会最終というところもあるんでしょうね。

振り返る、一年。

なかには同窓会とか。

浦島太郎的な再会の、

あった人もあるのではないでしょうか。

面影をそれぞれに残して。


自分の場合は、同窓会が続いたのでそれぞれの再会を追憶したりしているところです。

ブログ訪問の皆様も、来年も

よろしくお願い致します。

今年の記事もまだまだ、記すかもしれませんが。













  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「白浜にもパンダがいますよ」

2017-12-20 22:09:11 | 日記
「上野動物園のシャンシャンは抽選に当たらないと観覧できませんが、和歌山ではいつでもパンダが観覧できます。」

上野のパンダ報道の過熱ぶりに、よっぽど言いたかった知事の気持ち、わかります。



たまには県内のことを発信していこうかなと。

アドベンチャーワールドをアピール。
【関連動画】赤ちゃんパンダ 生後1か月~80日「痛かったでしょ~」~NHKスペシャル『奇跡のパンダファミリー ~愛と涙の子育て物語~』

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

彫刻のある街・神戸の魅力

2017-12-14 21:10:15 | 日記
彫刻もそうですけれど、遊び心のある街並みです。

神戸六甲。

異人館。

それから、南京町あたり。
















  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

オスロでの受賞式のスピーチを

2017-12-12 13:29:27 | 日記


転載します。

両陛下。ノルウェー・ノーベル賞委員会の高名なメンバーの皆さま。ここにいる、そして世界中にいる運動家の仲間たち。淑女、紳士の皆さま。

 ICANの運動を形づくる傑出した全ての人々に成り代わってベアトリス(・フィン事務局長)と共にこの賞を受け取ることは大変な栄誉です。
 私たちは核兵器の時代を終わらせることができる、終わらせるのだという、かくも大きな希望を皆さま一人一人が私に与えてくれます。

 被爆者は、奇跡のような偶然によって広島と長崎の原爆を生き延びました。
 私は被爆者の一人としてお話しします。70年以上にわたって私たちは核兵器の廃絶に取り組んできました。

 私たちは、この恐ろしい兵器の開発と実験から危害を被った世界中の人々と連帯してきました。
(核実験が行われた)ムルロア、エケル、セミパラチンスク、マラリンガ、ビキニといった長く忘れられた地の人々。
土地と海を放射線にさらされ、人体実験に使われ、文化を永遠に破壊された人々と連帯してきました。

 私たちは犠牲者であることに甘んじることはありませんでした。
灼熱(しゃくねつ)の終末を即座に迎えることや、世界がゆっくりと汚染されていくことに対し、手をこまねいていることは拒否しました。
いわゆる大国が、無謀にも私たちを核のたそがれから核の闇夜の間際へと送り込むことを、恐怖の中で座視することは拒否しました。
私たちは立ち上がりました。生き延びた体験を分かち合いました。人類と核兵器は共存できないのだと声にしました。

 きょう、この会場で皆さまには、広島と長崎で死を遂げた全ての人々の存在を感じてほしいと思います。
雲霞(うんか)のような二十数万の魂を身の回りに感じていただきたいのです。
一人一人に名前があったのです。誰かから愛されていたのです。彼らの死は、無駄ではなかったと確認しましょう。

 米国が最初の原爆を私が住んでいた都市、広島に投下した時、私はまだ13歳でした。
私は今もあの朝を鮮明に覚えています。8時15分、窓からの青みを帯びた白い閃光(せんこう)に目がくらみました。体が宙に浮かぶ感覚を覚えています。

 静かな闇の中で意識を取り戻すと、倒壊した建物の中で身動きできないことに気付きました。
級友たちの弱々しい叫び声が聞こえてきました。「お母さん、助けて。神さま、助けて」

 そして突然、私の左肩に手が触れるのを感じました。「諦めるな。頑張れ。助けてやる。あの隙間(すきま)から光が差すのが見えるか。あそこまでできるだけ速くはっていくんだ」。
誰かがこう言うのが聞こえました。はい出ると、倒壊した建物には火が付いていました。
あの建物にいた級友のほとんどは生きたまま焼かれ、死にました。そこら中が途方もなく完全に破壊されているのを目にしました。

 幽霊のような人影が行列をつくり、足を引きずりながら通り過ぎていきました。
人々は異様なまでに傷を負っていました。血を流し、やけどを負い、黒く焦げて、腫れ上がっていました。
体の一部を失っていました。肉と皮膚が骨からぶら下がっていました。飛び出た眼球を手に受け止めている人もいました。
おなかが裂けて開き、腸が外に垂れ下がっている人もいました。人間の肉体が焼けた時の嫌な悪臭が立ち込めていました。

 このようにして、私の愛する都市は1発の爆弾によって消滅したのです。住民のほとんどは非戦闘員でした。
彼らは燃やされ、焼き尽くされ、炭になりました。その中には私の家族と351人の級友が含まれています。

その後の数週間、数カ月間、数年間にわたって、放射線の後遺症により予測もつかないような不可解な形で何千もの人々が亡くなりました。
今日に至ってもなお、放射線は人々の命を奪っています。

 広島を思い出すとき、最初に目に浮かぶのは4歳だった私のおい、英治の姿です。
小さな体は溶けて、肉の塊に変わり、見分けがつかないほどでした。死によって苦しみから解放されるまで弱々しい声で水が欲しいと言い続けました。

 今この瞬間も、世界中で罪のない子どもたちが核兵器の脅威にさらされています。
おいは私にとって、こうした世界の子どもたちを代表する存在となりました。核兵器はいつどんなときも、私たちが愛する全ての人々、いとおしく思う全てを危険にさらしています。私たちはこの愚行をこれ以上許してはなりません。

 苦しみと生き延びるためのいちずな闘いを通じて、そして廃虚から復興するための苦闘を通じて私たち被爆者は確信に至りました。
破局をもたらすこうした兵器について、私たちは世界に警告しなければならないのです。繰り返し私たちは証言してきました。

 しかし、広島と長崎(への原爆投下)を残虐行為、戦争犯罪と見なすことをなお拒絶する人たちもいたのです。「正義の戦争」を終わらせた「良い爆弾」だったとするプロパガンダを受け入れたわけです。
こうした作り話が破滅的な核軍拡競争をもたらしました。今日に至るまで核軍拡競争は続いています。

 今も九つの国が都市を灰にし、地球上の生命を破壊し、私たちの美しい世界を未来の世代が住めないようにすると脅しています。
核兵器の開発は、国家が偉大さの高みに上ることを意味しません。むしろ、この上なく暗い邪悪の深みに転落することを意味するのです。
こうした兵器は必要悪ではありません。絶対悪なのです。

今年7月7日、世界の大多数の国々が核兵器禁止条約の採択に賛成した時、私は喜びでいっぱいになりました。私はかつて人類の最悪な側面を目撃しましたが、その日は最良の側面を目撃したのです。
私たち被爆者は72年の間(核兵器が)禁止されることを待ち続けてきました。これを核兵器の終わりの始まりにしようではありませんか。  責任ある指導者であれば、必ずやこの条約に署名するに違いありません。署名を拒否すれば歴史の厳しい審判を受けることになるでしょう。
彼らのふるまいは大量虐殺につながるのだという現実を抽象的な理論が覆い隠すことはもはやありません。「抑止力」とは、軍縮を抑止するものなのだということはもはや明らかです。
私たちはもはや恐怖のキノコ雲の下で暮らすことはありません。

 核武装した国々の当局者と、いわゆる「核の傘」の下にいる共犯者たちに言います。私たちの証言を聞きなさい。
私たちの警告を心に刻みなさい。そして、自らの行為の重みを知りなさい。あなたたちはそれぞれ、人類を危険にさらす暴力の体系を構成する不可欠な要素となっているのです。私たちは悪の陳腐さを警戒しましょう。
 世界のあらゆる国の、全ての大統領と首相に懇願します。この条約に参加してください。核による滅亡の脅威を永久になくしてください。
 私は13歳の時、くすぶるがれきの中に閉じ込められても、頑張り続けました。光に向かって進み続けました。そして生き残りました。いま私たちにとって、核禁止条約が光です。
この会場にいる皆さんに、世界中で聞いている皆さんに、広島の倒壊した建物の中で耳にした呼び掛けの言葉を繰り返します。「諦めるな。頑張れ。光が見えるか。それに向かってはっていくんだ」
今夜、燃え立つたいまつを持ってオスロの通りを行進し、核の恐怖という暗い夜から抜け出しましょう。どんな障害に直面しようとも、私たちは進み続け、頑張り、他の人たちとこの光を分かち合い続けます。
この光は、かけがえのない世界を存続させるために私たちが傾ける情熱であり、誓いなのです。

平和賞授賞式 サーローさん演説 全文(ノーベル財団公表の公式テキストによる)




日本政府河野外務大臣談話
1 本10日,オスロにおいて,本年のノーベル平和賞授賞式が行われました。

2 ノーベル平和賞を受賞したICANが推進した核兵器禁止条約は,日本政府のアプローチとは異なりますが,核廃絶というゴールは共有しています。今回の受賞を契機として,国際社会の核軍縮・不拡散に向けた認識や機運が高まることを喜ばしく思います。

3 広島・長崎の被爆者の方々は,長年にわたって,核兵器のない世界の実現に向け,被爆の実相を世界に伝える活動に取り組まれており,その努力に対し改めて敬意を表します。ノーベル賞授賞式に被爆者の方々や被爆地の首長が参加されたことは,そのような努力が評価されたものとして大変意義深いものと考えます。

4 我が国を取り巻く安全保障環境が厳しさを増す中,国民の生命・財産を守る政府の責務は益々重いものとなっています。北朝鮮の核・ミサイル開発を始めとした現実の安全保障上の脅威に適切に対処しながら,地道に,現実的な核軍縮を前進させる道筋を追求していく必要があります。

5 また,核軍縮の進め方をめぐっては国際社会の立場の違いが顕在化しています。我が国としては,核兵器国と非核兵器国,安全保障環境の異なる非核兵器国の間の信頼関係を再構築し,核兵器国もしっかり巻き込む形で現実的かつ実践的な取組を粘り強く進めていく考えです。先般広島で開催した「核軍縮の実質的な前進のための賢人会議」等を通じて,核兵器のない世界の実現に向けて着実に前進していく決意です。


菅義偉 官房長官コメント
「ノーベル平和賞を受賞した団体が行ってきた活動は日本政府のアプローチとは異なるが、核廃絶というゴールの共有であると思っている。ノーベル平和賞を契機として、国際社会の核軍縮・不拡散に向けた認識や機運が高まる、このことは喜ばしいと思っている」


核兵器禁止条約が発効を待つ中、核の悪夢は続く(前編)

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする