トトヤンの家庭菜園

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李登輝逝く・米中新冷戦

2020-08-01 16:58:00 | 日記


過去に見た印象に残る番組

■100分 de メディア論
テレビ視聴習慣や紙メディアヘの接し方が変わる現代、私たちはメディアとどう向き合っていけばいいのか?様々な分野の専門家が、古今東西の名著を読み解きながら、激変するメディアとの向き合い方を探っていました。

 

100分de名著スペシャル 100分deメディア論 2018年 Eテレ

NHKの宣伝部分は省略


こぼれ話。の注目してみた作り手側の部分の紹介

_抜粋。

 実は、「100分deメディア論」の企画自体は二年前から温めてきました。理由は、自らが属するメディア業界の信頼が足元から揺らいでいると感じられたから。そして、今こそ私たちは自分たちの仕事自体を謙虚に問わなければならないと思ったからです。

 発端は、飲み屋さんでの何気ない会話から。私の友人には、右派から左派までさまざまな政治的信条をもっている人たちがいます。「最近のNHKの報道、ちょっとおかしいんじゃない?」という意見が、奇しくも左右正反対の信条をもつ友人たちから寄せられました。「報道が政権寄りじゃないか」「いやいや政権批判に偏っているんじゃないか」。意見は正反対。二人に共通しているのは「大手のメディアはみんな偏向している。だから最近自分たちはそうしたメディアは信じない。ネットの情報のほうがはるかに信じられる」といった意見。

その後、調べていくと、こういう「空気」は、単にこの友人たちだけではなく、社会全体に蔓延しつつあることに気づきました。「いったい何が起こっているのだろう?」「どうしてここまで既存メディアへの信頼が揺らいでいるのだろう?」 そういった疑問を突き詰めていくうちに、今回の企画の原型が生まれてきたのです。

 私たちは、番組を作っていく上で、あるたった一つの事実を伝える際にも、当事者のもとへ出向いて現場の声を聞き、丹念な情報の裏とりを重ねていきます。もうこれ以上ないというくらいに。ですから、皮膚感覚的に印象や意見を述べることの多いSNSのようなメディアとは基本的な部分で異なっているという意識をもっていました。しかし、もしかしたらそこに「驕り」があったのではないか。「100分deメディア論」という企画を練るための名著を読んでいく作業の中で、私たちは、誰もが決して逃れることができない「視点」「バイアス」というものに対して無自覚だったのではないかということに気づかされていきました。

ネット情報よりも、テレビや新聞などの情報が優れているといいたいわけでは決してありません。ネットの中の情報や論評にも優れたものも多いし、目を覚まされることも多々あります。問題は、大手メディアの情報もネット情報も玉石混交だということです。私たちはそれらを見抜く眼をもたなければならない。そのためには、人が何かを伝えようとするときに必ずある「視点」「バイアス」をもつことを避けては通れないという事実に謙虚にならなければなりません。それに対しては、私たち番組の作り手は、なおさら自覚的でなくてはなりません。

ですから、企画の発端から、今回は謙虚に自分たちの足元を見つめたいという思いがありました。編集プロセスでも、論者の皆さんの厳しい批判も含めてきちんと受け止めたいと考え、自己批判、自己点検にあたる部分も大切に残していこうという思いで制作しました。

 今回取り上げたリップマン「世論」、サイード「イスラム報道」、山本七平「『空気』の研究」、オーウェル「一九八四年」といった名著は、そうした「視点」「バイアス」の仕組みを徹底的に暴き出してくれます。またこれらは近づきがたい難解な部分をもっている本でもありますが、堤未果さん、中島岳志さん、大澤真幸さん、高橋源一郎さんといった気鋭の論者たちに、その分析が具体的にどう有効か、現実を読む際にどう役立てられるのか、といった視点も踏まえて縦横に論じていただいたおかげで、私たちの暮らしそのものにぐっと近づけてもらうことができました。

 私は今回の「100分deメディア論」は、よってたつ政治信条が右であろうが、左であろうが、どんな人にも見ていただきたいのです。立場の違いで、罵倒しあうのでもなく、重箱の隅をつつくのでもなく、自らがどんな「視点」「バイアス」をもっているのか、またそこから逃れられないまでも、どのような努力をすればそういった「視点」や「バイアス」から少しでも自由になることができるのか? この番組が、そういったことを一緒に議論し考える場所になれたらと願っています。

マスメディアが設立されていく経緯の中で、大きな理念の一つとなったのが、人々の「知る権利」を守っていくということ。その理念からいえば、もし仮に100パーセント理想的な政治体制が成立したとしても、それに対して厳しくチェックして、批判していくのがマスメディアの使命です。どんな理想的な政治体制であっても、大きな力、権力をもってしまう以上、チェックするものがいなければ、都合の悪い情報は隠すことができてしまうからです。具体的な誰かが憎いといった低いレベルで批判するのではなく、人々の「知る権利」を守るための批判であり、チェックでなければならない。そのことについて、メディアの発信者も受け手も自覚的でなければなりません。

 私も、ことあるごとに、ここで議論された言葉や理念を引き合いに出して、制作プロセスを見直したり、文言をチェックしたりし始めています。ですから、すでに番組をご覧いただいた方も、これから再放送をご覧いただく方も、ぜひこの「100分deメディア論」を、一つの「道具箱」として使っていただけたらと願っています。そうしたことを重ねていくことで「メディアという存在」を互いに厳しく鍛え上げていくことができれば、これ以上に有益な武器はないと、あらためて強く思っています。


_抜粋終わり。

一つの事象にまつわる、各国のメディアの反応。

近くは隣国、台湾の元総統の死去に際して。


日本政府もお悔やみのメッセージ。

アメリカも同様の哀悼のメッセージが発せられていた。


中国政府からは、【北京時事】中国外務省の汪文斌副報道局長は31日の記者会見で、ポンペオ米国務長官が台湾の李登輝元総統の死去を受けて「米国民を代表して哀悼の意」を表明したことについて、「中国の国家統一をいかなる勢力もさえぎることはできない。関係国に『一つの中国』原則を堅持し、台湾独立勢力に誤ったサインを送らないように求める」と不快感を示される。 


中国当局の違和感の残るコメント。

まさに国際政治力学の対立分断局面、複雑化の現実を突きつけられてもいる。


故人、李登輝を偲び、過去のブログ履歴から、親しんできた、書とか、整理の画像を。

単なる親日家で日本の兵隊さんだったということだけではなく、いろいろなバックグラウンドを持っていた、京都大学に入って、学徒出陣で陸軍に入隊してと、日本との縁が深く「私はかつて日本人だった」と公言するぐらいの親日家で、日台関係の発展にも尽力された。非常に稀有な政治家だと思います。そして、彼は台湾独立運動をする。独裁政権であった国民党に属しながら、民主化を進めていく。

いまの台湾があるのは、彼があらゆる困難を乗り越えて決断した結果であることは間違いのないところ。日本語を流暢に話す姿は忘れられない。ご冥福をお祈りします

 

最後に、追加で、

台湾にちなんで。

知人から教えられて、以前に視聴したものを

リンクしておきます。

CBCスペシャル 千円の約束

つボイノリオのラジオ番組2012年5月に放送された「千円の約束」のダイジェスト版。
戦時中台湾で出逢った中国人留学生との友情のドキュメンタリー視聴

 

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