「もののあはれ」の物語

古き世のうたびとたちへ寄せる思いと折に触れての雑感です。

袖振り合うも

2006年10月06日 | ああ!日本語
“袖すりあうも“とも言われる諺の後に続く、”たしょうの縁“を、いろは歌留多などから耳で覚えて、”多少“の縁と思っている人が多いようです。
街中で、見知らぬ人と袖をふれあうのも、少しは縁があるからだ。という解釈をしているようです。
この“たしょう”は、“多少”ではなく、仏教の言う“他生“で、前世や来世を意味しています。前世や来世の深い宿縁で結ばれているという仏教の概念を表す言葉で、間違われて用いられるところに、人々の仏教からの乖離も窺われるというものです。

 そういえば、”つまずく石も縁のはし”というのがありました。あまたのブログの石の中からこのサイトを訪問くださったのも、合縁奇縁で、何かの因果があったのでしょう。

 行きずりに袖を触れ合うのでさえも前世からの縁というのなら、現世で夫婦となり、親子となる宿縁はどれほどのものでしょう。
 今宵は八月十五夜、雲が厚いようですが、お月見に縁がありますかどうか。秋の風が一際身にしむことです。



 げにこれも旅の宿、かりそめながら値遇の縁、
一樹の陰の宿りもこの世ならぬ契りなり。
       
謡曲 鉢木

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14 コメント

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おなじ河 ()
2006-10-06 10:34:00
 boa!さん こんにちは

 一樹の陰、一河のながれ、値偶の縁… この不思議、拝見していて厳粛な気分になりました。

 前世からきまっていたと、感動します。

 秋草にそよぐ風も感じました。ありがとうございます。



 今夜は望めそうもありません

  雨に漕ぐ月見舟ありたヾ下る  虚子

 

 

 
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ただ下る (boa !)
2006-10-07 16:18:52
いつも適切な句や歌を添えてくださってありがとうございます。おかげで奥行きが生れます。



関東は大荒れでしたね。昨年の月見を思い出しながら、今年は、曇り空に時折顔を見せる月を寂しく眺めました。



気持ちにゆとりができたらまたブログにも向かえると思います。

今は、やすみやすみに気分転換のつもりで 書いています。



絵も荒れています。もっと優しい筆遣いをしなくてはと思いながら。



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これをご縁に (香HILL)
2006-10-07 21:31:47
大学受験で”サクラチル”の電報を受けた時・大企業の入社試験で不採用通知を受け時・見目麗しい女性から絶縁の宣告を受けた時・・・、亡母が慰めてくれました。”ご縁がなかったのね・・・”と。

腐らないように・自分で自分を苛めないように・・とのアドバイス。

大昔の事ですがね。



ご縁=美しくて・魅力的な日本語。



”life but once そう人生2度なし、一回限り”

とよく言われますね。

一生で出会う人の数には限りがあります。



読書の利点はいろんな人との出会いを増やせる事らしいが、21世紀は優秀な方々のブログに接し、且つ、

コメントも出来てトークも出来る時代。

加山雄三の歌”・・は幸せだな・・”を思い起こします。



ところで、お絵かきは門外漢だけど、心のしこりをホグス妙薬はお喋りと作文だそうですよ。



よって、”気分転換に”といった消極的姿勢から積極姿勢にモード変更を期待します。

”休み休み”は主宰の現役時代一番お嫌いの言葉ではなかったか?と。









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えにし (紫草)
2006-10-07 22:13:10
boaさん こんばんわ ご無沙汰いたしております



台風一過 武蔵野は当に秋月揚明輝の姿を覗かせております。



ブログを拝見いたしておりますと、何か苦悶を重ねているご様子が伺えるのですが?杞憂致しております



袖触れ合うもの一説を伺い「縁」のある姿を思い出しました。 能「井筒」



筒井筒 井筒にかけしまろがたけ、生いにけらしな妹見ざる間に・・・



終盤の絶頂の詞章。

シテ(女の霊)ここに来て、昔ぞ帰す、在原の。

地唄 寺井に澄める、月ぞさやけき。月ぞさやけき。

シテ 月やあらぬ、春や昔と詠めしも、いつの頃ぞや

。筒井筒。

地唄 筒井筒、井筒に掛けし、

シテ まろが、丈。

地唄 生ひにけらしな。

シテ 老いにけるぞや。

地唄 さながら見みえし、昔男の、冠・直衣は、女と   は見えず、男なりけり、業平の、面影。

シテ 見れば、懐かしや。

地唄 我ながら、懐かしや。 亡婦魄霊の姿は、しぼ   める花の。色のうて匂い。残りて在原の寺の鐘   も、ほのぼのと。明くれば古寺の、松風や芭蕉

   葉の、夢も破れて覚めにけり、夢は破れ覚めに   けり。



あだなりと名にこそ立てれ桜花、年にまれなる人も待ちけり (伊勢物語)

ー桜の花は散りやすいので、頼みがたくあだなるものといわれているが、私はその桜の花の「縁」で、滅多にお会い出来ない人に会う事が出来ました。意



         
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縁は異なもの (boa !)
2006-10-08 05:53:13


「縁」は日本人のことのほか好きな言葉ですよね。

縁は異なもの、この不思議なところに、なんともいえない趣があるのでしょう。



古き平安朝の昔からある言葉で、「えに」と発音され、これに強めの助詞”し”が付いて「えにし」になったものだそうです。



小唄や端唄の類には殊に男女の縁に「縁」があります。

「一宿一飯」の縁に命を張る渡世まで存在したのですから、縁も大変なものです。



お勧めの”積極モード”に変換は今は無理ですが、ご親切な”思いやり”に感謝しています。

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武蔵野の月 (boa !)
2006-10-08 09:19:29
紫草様

武蔵野の月見は格別のものと拝察します。

九州も、月齢も満月となり、まさに”牀前看月光 疑是地上霜”の名月を観賞できました。



鬱屈を抱えていますが、ご心配をおかけして申し訳ありません。



ところで、紫草さまは、名月に「井筒」を謡われましたか。

「しぼめる花の色のうて」は、私には数々の思い出があります。

当時の師に、終に匙を投げられた仕舞の詞章です。いくら練習しても、私の姿にしぼめる風情がなくて。・・・・

懐かしい想い出の甦りに感謝します。

井筒をのぞくシテの、凄みさえ感じられた名手の舞台も、あの動きの少ない能を、外国の人が感動する不思議に出遭ったことなど。



武蔵野の秋の風情、おりおりにお伝えくださいますようお願いします。
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十六夜 (紫草)
2006-10-08 22:16:39
boa様より李白の詩を頂き改めて十六夜の月を眺め心酔させて頂き有難う御座いました。



お話によりますと鬱屈を抱えられておる由。早く治癒されます事を願い、陶淵明の詩をお送りさせて頂きます。

萬化相尋繹 人生豈不労 従古皆有没 念之中心焦



追伸、「えにし」でしょうか、偶然でしょうか、昨日お話致したばかりなのに、11月11日、国立劇場開場40周年記念《中世の男と女》解説 馬場あき子。

能「井筒」のチケットを求められました。

また11月25日は私の師 観世流シテ遠藤義之氏が、演じる「鉢の木」に招かれております。



でわ、お元気であられますように願っております。
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国立劇場開場40周年 (boa !)
2006-10-09 05:24:53
もう40周年になるのですね。

一局集中の、地の利をただただ羨んでいます。尊敬して止まない馬場あき子氏の解説まであるとは・・・・



観世で稽古を積まれた由。私は梅若です。

先代の六郎先生が年に二回下ってこられる時は、緊張したものです。



秋の公演を楽しまれて、余韻をお届けくだされば幸せです。
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 (R.H)
2006-10-10 22:56:37
 夫婦の縁、親子の縁は、現代に生きているだけでも世界の数十億の人間の中での奇縁。とても“多少の”縁とは考えられません。昨今、愛国心などと殊更法文にまで載せようかとの議論が喧しいところですが、望んでここに生まれたわけでもないのにサッカーなど日本チームの好守・拙攻に一喜一憂し、登山家が世界の最高峰に立てば日の丸を仰ぎ見る。それも身内から湧き出す合縁の意識あってのこと。毎年やって来る十五夜も、実に不思議な宇宙の輪廻。ブログの縁は、猫も杓子も蛙もboaも、紫香る庵からも、日本各地の老若男女、踊る阿呆に書く阿呆。同じアホなら書かにゃあ尊孫。孫の代まで大事に育て、この世を超える契りとすべし。先ずは夫婦のエニシ、より永くより深からんこと、切に切に祈り奉る。
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気づかなかった (渚一号)
2006-10-11 22:59:18
何気なくブログに一枚添付されていた墨彩画に気づかなかったが、よくよく眺めると色も7色程度があって

久しぶりの傑作ですね。



ご近所の歯医者さんの待合室壁面に飾ると喜ばれるでしょうね。



某コメンテータが叱るだろうか?

”馬鹿なコメントは休み休み・・書け”と。
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