「もののあはれ」の物語

古き世のうたびとたちへ寄せる思いと折に触れての雑感です。

おしゃもじ

2009年01月27日 | ああ!日本語
 別に過剰敬意表現などと野暮なことを言うつもりではありません。
 海の彼方で暮らす人からの依頼で、ホームセンターに「昔使っていた竹のおしゃもじ」を探しに行きました。

 最近では日本でも炊飯器を購入するとセットされているのはプラスチック製のものです。ご飯粒がくっ付きにくいとかで表面に小さな突起が並んでいたりします。中には竹炭の成分が入っているとかで真っ黒のものもあります。探し当てた「おしゃもじ」は袋に「竹杓子」と正式名称が記されていました。

 勿論、台所道具として、しゃもじも杓子も同じものですが、手に馴染んで朝夕世話になる道具は、一般には杓子と呼ばずに、「しゃもじ」と呼びます。
“杓文字”は、ご存知の女房言葉で、いわゆる文字ことばの代表で、今も使われているのはこれくらいではないでしょうか。
 鮨を“すもじ”蛸は“たもじ”、烏賊は“いもじ”でした。髪は“かもじ”、お目見えが“おめもじ”です。
 他にも田楽が“おでん”で、豆腐が“おかべ”、トイレは“はばかり”ときりがありませんが、いずれもものそのものをあからさまに指し示すのをはばかる一種の隠語でした。この宮中の習慣が長い年月の間に民間にも使われだしたのでしょう。
 現代もこれに類した言い方で、きれいどころに「ハーさん」とか「フーさん」とか呼ばれて鼻の下を延ばしたのは、今は昔の物語でしょう。釣りバカ日記で、ハマちゃんが鈴木社長をスーさんと呼んでいました。

 ところで、杓子はどうも不当に軽く扱われているようです。「猫も杓子も」は、誰でも彼でもと、節操がなさそうですし、「杓子で腹を切る」も、できるはずもないことをするという形式だけのことを言います。ただいま実例の放映を中継で見ることができます。
 杓子定規は”誤った基準で物事を測ろうとすること”で、定規ではないもので測った基準を譲らず押し通そうとするわからずやの、頑なな考えをからかって言うことが多いようです。同じ計量でも「目分量」のほうは逆に、豊富な経験と、融通が利く才覚、要領のよさを肯定していますが。
 使い込んで手に馴染んだ竹のしゃもじでふっくらとよそったご飯のように、杓子ならぬ”しゃもじ”の柄で物事の尺度を測ったら、ぎくしゃくしないで、ふっくら温かくなれるかもしれません。と誰かがいっていませんでしたか。

 ただひとつ、存在感があるのは“杓子渡し“で、これは姑が嫁に世帯の切り盛りを任せる世代交代を意味して重々しいものでした。してみると、やはり杓子は主婦の座の象徴でありました。



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4 コメント

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幸田文の世界 (香hill)
2009-01-28 00:03:10
竹製のシャモジに拘るって良いですね。コレこそ他人には迷惑をかけず自己満足。
シャモジはやはりコレだよ・・て嬉しげに語る声が聴こえてきそうです。

ドラマの”おしん”で、酒田の商家、台所の情景が度々ありました。大きな釜にてご飯を炊いていました。
あの時のシャモジはどんなだったか?思い出せないがデカイのでないとダメでしょうね。
この頃は炊飯器も5合サイズが一般的とか、核家族全盛時代。
ご隠居さん夫婦では可愛い炊飯器、シャモジもチッチャイので十分かな?

そう言えば、昨今、高級炊飯器の売り場に寄る人が増えてきたとか、外食を控えて
自宅で食事をする。ご飯を美味しく炊ける名器を見つける為らしい。
不景気がヘンテコな需要を創出しています。

正子さんの世界より文さんの世界の方がやはり庶民的で良いですね。
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白洲正子の世界 (boa !)
2009-01-28 11:36:47
生まれも育ちも桁外れ、生涯その環境は優雅に思いのままを通せた雲の上のお人です。いかようにも生きられる中で、自らの信ずる道をひたすら追求してやまなかった生き方に、女性の生き方にもこうした、歩みようがあると感心しています。
すぐれた感性が独自のものを発見し、自分の価値観で評価する、薩摩の血の為せる根性の座りようでしょう。
文さんのほうは露伴にしごかれ、人生の浮き沈みも体験なさっただけに、筋が通りながらも、我々庶民には近い存在に感じられますね。
近く感じてもどうして手ごわい性根で、辛らつですが。
どちらも手本にすべき大きな存在であります。
文さんにはしゃもじがお似合いですが、正子さんにはなかなか結びつきませんね。
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雪万家 ()
2009-01-29 11:10:25
 しゃもじにメシとられて伺いました。ふっくらとおしゃもじで「よそう」。よそうのはご飯。よそうとは、どんな字でしょう。それはおしゃ文字なんて。これは装うのでしょうか。こころなごむ温かなご飯、いい匂いがしました。

しずかな雪の夜。家々の明かり。
 墨空に白が舞い、降りつづく雪のリズムがいいですね。やまなみのトーンも美しい。
 boa!さん 毎回佳い絵がうまれますね。至福の時をおよろこび申しあげます。
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メシ取られて (boa !)
2009-01-29 23:00:48
「田舎合子の極めて大きに飯うずたかく装いて」平家物語・八とありますから、多分ソウでしょうね。
しゃもじですくわれ、沼の蛙さんにメシ取られてしまいましたね。
博多のどんたくでは、しゃもじを叩いて囃して歩きます。

蕪村畢生の傑作は、真似て真似られる境地ではありませんが、それでも人に模索を誘うものがあります。何枚も描いたうちのまだしもの一枚です。描いてみて余計に、あの萬家図の雪空と山々、そして家々の絶妙のバランスと詩情のすばらしさを感じます。心底惚れ惚れと眺めているのですが・・・・
冬ごもりの友には最高の相手です。ただ、桃源にいたる”路次”はあまりに細く遠いのを嘆くのみです。
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