「もののあはれ」の物語

古き世のうたびとたちへ寄せる思いと折に触れての雑感です。

残心

2005年01月10日 | みやびの世界
 「残心」という言葉は辞書では「心残り、未練」と言う具合に解されていますし、弓道では、矢を放った後、的をじっと見つめる動作をいうと父に聞いたことがあります。私は全く違った意味で「余情」と似通った意味合いに解して、好きな言葉の一つにしています。

徒然草の中に、お月見の帰途、ふと立ち寄った人の家を程よく辞去するとき、送って出てきた家人が、客を見送った後、さりげなく「月見るけしき」で戸を掛けこもらずに佇む姿を兼好法師はゆかしいと見て讃えていますが、まさに、それです。めまぐるしく動く時代ですが、せめて心のゆとりだけは、いつまでも失いたくないものです。

 徒然草第三十二段の中から・・・・・荒れたる庭の露しげきに、わざとならぬ匂ひ、しめやかにうち薫りて、しのびたるけはひ、いとものあはれなり。よきほどにて出で給ひぬれど、なほ事ざまの優におぼえて、もののかくれよりしばし見ゐたるに、妻戸を今少しおしあけて、月見るけしきなり。やがてかけこもらましかば、くちをしからまし。跡まで見る人ありとは、いかでか知らん。かやうの事は、ただ朝夕の心づかいによるべし。

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1 コメント

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至福のとき (R.H)
2005-01-11 09:21:51
現代でも、ほんの時たま、通りすがりの瀟洒な家の中から琴の音が聞こえてくることがあり、覗き見というわけではなく、どのような方がどんな心情で奏でているのかと、一時、耳を傾けて佇むことがあります。煩わしい思いが一瞬吹き払われます。大袈裟にいえば至福の時です。