灰色は、ほとんどの人が今はグレーと表現するようです。ねずみ色はもっとマイナーな名前になっています。
「四十八茶百鼠」と呼ぶのは、語呂合わせで、実数ではなく、多数をあらわしているとはいえ、識別される各「ねずみ色」は、江戸の粋人たちをはじめ、今も「和」を好む人たちに愛用され続けている日本人好みの色です。
陰翳を尊び、あからさまを忌む日本文化に根ざして、人々に好まれ、侘び、寂びの世界で育てられてきた色の第一といえるでしょう。
かといって、若い日に好んで身にまっとったモノトーンの色彩では、今のくすみ、張りを失った肌と、白髪には、いたずらにみすぼらしさを助長させるだけです。華やぎのある色の助けが必要となります。色にも年齢の適性と感情があるもののようです。
時代を象徴する流行色は、自然界がおのずから生み出したものではなく、意図的に、作り出されるものです。
あらゆる色が氾濫し、色が主張する現代社会にあって、人々は次第に色のバランス感覚や色彩感覚を鈍化させてゆくような気がしてなりません。
色を辿ってゆけば、その国の生活文化が見えてくるといった人がいますが、価値観や、美意識が見えてくるのは確かでしょう。
かの“陰翳礼賛”で谷崎が述べたように、使い込んで、時間の積み重ねの中で「なれ、(熟し)」、美的完成に近づいたものを自分のものとすることのすすめは、今も心すべきことではないでしょうか。
ところで、表題の灰色、ねずみ色は、限りなく白に近い薄墨色から、逆に限りなく黒に近い色まで、どぶねずみカラーと呼ばれたサラ―リーマン御用達の定番色を筆頭に、疑惑の比喩としての使われ方や、どちらとも解せる曖昧を意味してのグレイゾーンまで、「鼠」に申し訳ない失礼も含めての幅広い用途です。
北原白秋の“城ヶ島の雨“に歌われた「利休ねずみ(#888e7e)の雨」が、ねずみ色の和名に私が興味を持った最初でした。次が古物語に登場する喪の装いの色としての鈍色(にびいろ#727171)でした。
江戸の文学作品に出てくる庶民に許された色としての藍、茶と鼠色、限定された制約の中から粋を求めて生み出されるさまざまな色相を、最初は色としての実体より、その名前の持つ豊かな表情から惹かれてゆきました。しかし、色の優雅な名前を知っても、実体は想像の域から出ることなく、もどかしい思いをしていました。
今は、パソコンで検索すると、色の名前とその色は、あっけないほど簡単に、明度、彩度の数値までつれて出てくる便利この上ない時代になりました。
百鼠の色の名前が、その色の実感を伴ってどのくらい挙げられるか試してみましたが、20をちょっと超えたところで行き止まりでした。
今日も墨に水を足しながら現れ出る色合いに、感情を反映させて紙に落しています。
参照 和色大辞典
色彩の雑学より
左から銀ねず、利休ねず、深川ねず、梅ねず、鳩羽ねず
「四十八茶百鼠」と呼ぶのは、語呂合わせで、実数ではなく、多数をあらわしているとはいえ、識別される各「ねずみ色」は、江戸の粋人たちをはじめ、今も「和」を好む人たちに愛用され続けている日本人好みの色です。
陰翳を尊び、あからさまを忌む日本文化に根ざして、人々に好まれ、侘び、寂びの世界で育てられてきた色の第一といえるでしょう。
かといって、若い日に好んで身にまっとったモノトーンの色彩では、今のくすみ、張りを失った肌と、白髪には、いたずらにみすぼらしさを助長させるだけです。華やぎのある色の助けが必要となります。色にも年齢の適性と感情があるもののようです。
時代を象徴する流行色は、自然界がおのずから生み出したものではなく、意図的に、作り出されるものです。
あらゆる色が氾濫し、色が主張する現代社会にあって、人々は次第に色のバランス感覚や色彩感覚を鈍化させてゆくような気がしてなりません。
色を辿ってゆけば、その国の生活文化が見えてくるといった人がいますが、価値観や、美意識が見えてくるのは確かでしょう。
かの“陰翳礼賛”で谷崎が述べたように、使い込んで、時間の積み重ねの中で「なれ、(熟し)」、美的完成に近づいたものを自分のものとすることのすすめは、今も心すべきことではないでしょうか。
ところで、表題の灰色、ねずみ色は、限りなく白に近い薄墨色から、逆に限りなく黒に近い色まで、どぶねずみカラーと呼ばれたサラ―リーマン御用達の定番色を筆頭に、疑惑の比喩としての使われ方や、どちらとも解せる曖昧を意味してのグレイゾーンまで、「鼠」に申し訳ない失礼も含めての幅広い用途です。
北原白秋の“城ヶ島の雨“に歌われた「利休ねずみ(#888e7e)の雨」が、ねずみ色の和名に私が興味を持った最初でした。次が古物語に登場する喪の装いの色としての鈍色(にびいろ#727171)でした。
江戸の文学作品に出てくる庶民に許された色としての藍、茶と鼠色、限定された制約の中から粋を求めて生み出されるさまざまな色相を、最初は色としての実体より、その名前の持つ豊かな表情から惹かれてゆきました。しかし、色の優雅な名前を知っても、実体は想像の域から出ることなく、もどかしい思いをしていました。
今は、パソコンで検索すると、色の名前とその色は、あっけないほど簡単に、明度、彩度の数値までつれて出てくる便利この上ない時代になりました。
百鼠の色の名前が、その色の実感を伴ってどのくらい挙げられるか試してみましたが、20をちょっと超えたところで行き止まりでした。
今日も墨に水を足しながら現れ出る色合いに、感情を反映させて紙に落しています。
参照 和色大辞典
色彩の雑学より
左から銀ねず、利休ねず、深川ねず、梅ねず、鳩羽ねず
まずは、パソコンの復活おめでとうございました。マイクロソフトの戦略に乗らずに済みましたね(笑 わたしの愛機Meはすこしずつ弱っているようで、そろそろバックアップをしっかりしておかなくては‥と思っています。
スタンプカーニバルでは、ほかの出展者さんたちの使っているスタンプインクの色を見てまわったのですけど、和色とその配色への感覚はすでに相当失われている‥といいますより、色は自分の個性を主張するために使われているという印象でした。バランス感覚なんて、ほとんど意識されていないようでした。‥こう言ってしまうと、エラそうに批評しているようですけども、それでもインクメーカーさんは多種の和色を開発してくれているんです。(色名は横文字で売られていますけど) にもかかわらず、使われていない。残念です。いまの日本の暮らしにあふれている色は、テレビや雑誌などのメディアの影響が大きいのでしょうか。「ビタミン・カラー」なんて、しばらく眺めていますと目が痛くなりそうですけど‥ ^^;
「和色大辞典」はすばらしいサイトですね。さっそくブックマークさせていただきました。有難うございます。ブログの背景色設定にとても便利、助かります♪
boa!さんの「笑み栗」の絵を自分のものと比べて、その表現のちがいがそのまま人間のうつわのちがいのように思えます。わたしのは情けないくらい、ちいさい、ちいさい‥(笑
来週末は「琳派百図展」へ行ってまいります。「琳派百図」をテーマにした日本伝統染色工芸保存協会の展示会だそうです。さらに色のお勉強ができそうです。boa!さんをお誘いしたい‥!
http://www.kanshin.jp/kimono/index.php3?mode=keyword&id=749855
長々と失礼いたしました。
季節の変わり目です。ご自愛くださいませ。
湿潤の四季の移ろいがあらばこその色彩… 伝統色には品の良さがありますね。 滅紫の寂しげな情感、権力者の秘色は繊細で神秘的です。つけられた名前に込める思いと微妙な色合い、まさに「名前の持つ豊かな表情」を楽しみたいです。
源氏鼠(げんじねず)貴族鼠(きぞくねずみ)濃鼠(こねず)繁鼠(しげねず),黒鼠、等お説の通りですね。
秋の七草の中で(おとこようそめ)と呼ぶのを久しぶりに聞きましたと言われましたのでもしや私の錯覚であるのかと思い調べてみました。
糯樹(オトコヨウゾメ) スイカズラ科〈別名〉コネソ ネソシバ アカネソ
牧野植物図鑑によるとガマズミ、コバニガマズミ、オトコヨウゾメ、カンボク、など
ガマズミ属の植物をヨツドメ、ヨソゾメ、などという地方があり、本種は実が細く食用にならないので、オトコの字を冠したのではないかという。
莢蒾 雪頭花 妬の花 (ガマズミ) スイカズラ科〈別名〉ヨソゾメ、スズミ、シモカブリ、シモフラシメゾ。
ガマズミの語源ははっきりしないが、スミは染の転訛で、この木と同属のミヤマガマズミの果実で衣類を染めたことと関係があり、カガツミの転訛であるともいわれている。妬の花は花は韓国で雪より白くなろうとして雪をねたむ花の意、雪頭花も同様で、シモカブリ、シモフラシ、など純白の花から連想したものであろう。莢蒾は漢名である。この木を染料にしたことについて牧野博士は「万葉集」にある、
「真鳥住む 卯名手の神社の 菅の根を 衣にかき著け 服せむ児もがも」(巻7・1344)
「妹が為 菅の実採りて 行く吾を 山路に惑ひ 此の日暮しつ」(巻7・1250)
この歌二首を引用して、菅は仮用でガマズミのことであるという説を主張しています。
主婦と生活社が四季を楽しむ庭ずくり「雑木と下草」を出版するにあたり、我が庭を取材いたし作成した一部からの引用です。
雪の便りが聞こえるようになって参りました。お元気でありますように。
スタンプカーニバルのご盛況、おめでとうございました。
雪月花さんの、丹精こめた和のスタンプの風趣が完売になるのは当然でしょうね。
近くなら、私も駆けつけたのですが。和の色味を大事に思ってくださる実践者もすでに貴重な存在なのでしょうか。
代々の遺産を相続放棄するのは勿体ないですね。
宥め賺しして酷使していたパソコンでした。MEをお使いとか。2003年のXPなのに、すべてパソコンのせいにしていたのを反省です。
闇雲に突撃しては、”また!何をやったのですか”と温和な講師にいぶかしげな顔をされる私と違って、ベテランは違いますね。でも、2回も再セットUP をやると、さすがにバックUPだけは丹念に取るようになります。雪月花さんの貴重なデーターはなくされないようにお気をつけてくださいませ。
1日限りの「琳派百図展」、羨ましいことです。着物でお出かけでしょうか。職人さんたちの仕事から得られるものも多くあることでしょうね。またお話を聞かせてください。
ねずみ色といっても紫がかった色合いまで含めると、鼠のイメージからは離れてゆきますが、命名の情緒と、この幅が嬉しいですね。長い年月をかけて育てられた色ですから、大事に見失わないように受け継いでゆきたいものです。
蛙さんのようにご自身の身に着けるものに、落ち着いた風合いのモノトーンを楽しむことはもう無理ですが、周辺に置くものには、「和」を心遣いします。
やっと「岡部嶺男展」が来週から萩美術館ではじまります。「秘色」に逢ってきます。
今時、「おとこようぞめ」など言う言葉をご存知の方は滅多にないと思って失礼をいたしました。
詳細な解説でよく理解できました。
”食用にならないので、オトコの字を冠したのではないか”とは。やはり男は煮ても焼いてもでしょうかね。
「妬の花」という呼び方もあるのですね。気に入りました。
昔の人の染織に用いる草木や、媒染の知識の豊かさと、積み重ねた工夫にはあらためて頭が下がります。
万葉集の歌までお添えくださって、ありがとうございました。
主婦と生活社の「雑木と下草」たしか図書館で見かけました。次回出掛けた折に拝見してきます。しっとりとした侘びの茶庭なのでしょうね。楽しみです。
物の色を言うのには。
悪事の疑惑が強いときに使用されるのが多くなってからは、何故か?悪い色になってしまったのでしょうか?
ところで、鹿児島県警・新潟県警の刑事さんは
白を黒としてしまう・・アレは、灰色刑事ではなく
完全に黒色刑事とチャいますか?
白黒をはっきりさせるのが本業の裁判官も何をしてたんでしょう?若い青年の人生を目茶目茶にした事に
一言の謝罪がないのが不思議。
前総理はこれでも美しい国と言うのかな?
奈良時代・平安時代の日本は良かったんでしょうね。
奈良、平安のいにしえも同じことのようで。時空を超えて、人間のすることはそんなに変ってはいないのではないでしょうか。ただ、狐狸妖怪の存在を人が受け入れなくなっただけで。
憂うべき変貌は世界規模で、悪事にはたやすく傾斜してゆくようです。権力の座は、自分の功名のためなら、理不尽も強引に押し通します。
悪事が露見するや、一応、剥げた頭を深く下げて終りです。
江戸の暮らしでも、法権力の末端を担った岡っ引きは、かなりどぎついこともやたようですが、今のほうがもっとひどい人もいるようですね。
狐狸妖怪の方が怖くないようです。なによりも、「粋」な色だったはずの”鼠”が不当に貶められている悲しみます。