春の七草ほどには、くらしの中に根を下ろしてはいないようですが、風雅の世界では春のそれ以上に今ももてはやされているようです。
今年の異常な気象のせいで、初秋の風趣の七草も季節がずれています。今は、尾花、藤袴が全盛ですが、女郎花は終わってしまいました。
撫子の花は連歌、俳諧では夏の季語にいれられていて、仲夏から咲き、花の時期が長く、初秋にも咲き残っていますが、葛はもともと夏の終りに花の盛りを迎えるのですが、今年はもう萩も葛も花を見ることはできません。
万葉集 巻八 山上憶良の歌に
萩が花 尾花 葛花 撫子の花 女郎花 また藤袴 朝顔の花 とあるので、万葉集のころ既に秋の七草が固定していたのがわかります。 (庭の隅に咲く藤袴)
この中で、最後の朝顔の花には論議があり、今では桔梗を指すということで落ち着いているようです。
いまの朝顔は万葉時代には存在しない植物で、牽牛子(けごし)として古今集に登場しています。「木槿」だとか、「ひるがお(旋花)」だとかの説もありますが、木槿は外来植物で時代が下がり、野生のものはないし、旋花も季節が夏、そこで「新撰字鏡」の「桔梗 阿佐加保 又云岡止々支」と、桔梗に“あさがほ”の古名があるのを根拠に、花期も妥当と考えられてのことでしょう。
ところで、七という数字に日本人の習性を窺うことができます。
七福神、七小町 南都七大寺 七不思議 と、色々ありますが、これらは代表するものという意味づけでしょう。「七度尋ねて人を疑え」や、「色の白いは七難隠す」のような諺は、七が多数をあらわす意味で使われています。
七堂、七宝、七衆、七慢のように、仏教語の反映があるのかもしれません。限りなくある数の中から七が選ばれること、そして、七不思議に代表されるように、各地で中身は必ずしも固定したものではない不思議を秘めた聖なる数と考えられているようです・
今年の異常な気象のせいで、初秋の風趣の七草も季節がずれています。今は、尾花、藤袴が全盛ですが、女郎花は終わってしまいました。
撫子の花は連歌、俳諧では夏の季語にいれられていて、仲夏から咲き、花の時期が長く、初秋にも咲き残っていますが、葛はもともと夏の終りに花の盛りを迎えるのですが、今年はもう萩も葛も花を見ることはできません。
万葉集 巻八 山上憶良の歌に
萩が花 尾花 葛花 撫子の花 女郎花 また藤袴 朝顔の花 とあるので、万葉集のころ既に秋の七草が固定していたのがわかります。 (庭の隅に咲く藤袴)
この中で、最後の朝顔の花には論議があり、今では桔梗を指すということで落ち着いているようです。
いまの朝顔は万葉時代には存在しない植物で、牽牛子(けごし)として古今集に登場しています。「木槿」だとか、「ひるがお(旋花)」だとかの説もありますが、木槿は外来植物で時代が下がり、野生のものはないし、旋花も季節が夏、そこで「新撰字鏡」の「桔梗 阿佐加保 又云岡止々支」と、桔梗に“あさがほ”の古名があるのを根拠に、花期も妥当と考えられてのことでしょう。
ところで、七という数字に日本人の習性を窺うことができます。
七福神、七小町 南都七大寺 七不思議 と、色々ありますが、これらは代表するものという意味づけでしょう。「七度尋ねて人を疑え」や、「色の白いは七難隠す」のような諺は、七が多数をあらわす意味で使われています。
七堂、七宝、七衆、七慢のように、仏教語の反映があるのかもしれません。限りなくある数の中から七が選ばれること、そして、七不思議に代表されるように、各地で中身は必ずしも固定したものではない不思議を秘めた聖なる数と考えられているようです・
日中は心地よかったのに日が沈むと急に寒くなり、秋の深まりを感じさせます。
今日は二十四節季の「寒露」。野草に宿る冷たい露のことで、七十二候によると
三候に分割され「鴻雁来」(こうがんきたる)「菊花開」(きくのはなひらく)
「蟋蟀在戸」(きりぎりすとにあり)と五日ごとに表現されている。
今は余り使われなくなつたが昔は農家の暦であり五穀の収穫も、また人々の
生活も自然と共に在り、これらが表記されたのであろう万葉の歌を始めこれら
をもとに自然と共生したのではないのでしょうか。
庭の草木も実を付け、梅擬・紫式部・真弓・夏はぜ・おとこようぞめ・等、
彩りを添え、行く秋を惜しむかのように感じさせてくれます。
これ等の実もつかのまで小鳥達がやってきて啄ばみ知らぬ間に消えてしまう。
晩秋の夕暮れになると「三夕の和歌」を想い出しいざなわれて行く。
寂しさはその色としもなかりけり槙立つ山の秋の夕暮れ 寂連
心なき身にもあはれは知られけり鴫たつ沢の秋の夕暮れ 西行
見渡せば花も紅葉もなかりけり浦の苫屋の秋の夕暮れ 定家
「寒露」とはすこし遅れた季節感で過ぎてゆきます。
がまずみを”おとこようぞめ”と呼ぶ方に久しぶりに出会いました。紫草さまの、武蔵野の秋の七草は何々でしょう。
万葉に「我も恋ふ」と詠まれながら、七草に採られていない吾亦紅を是非加えていただきたいものです。
茶人らしく、紅葉する照り葉の美しいものをお選びでしょうか。あらためて雨上がりの庭を歩いて、先月から咲いている西王母に続いて、秋明菊、白蓼、杜鵑が花を付けているのを見つけました。
暦どおりに後十日もすれば菊も花を開くことでしょう。
白露の色はひとつをいかにして秋の木の葉をちぢに染むらん
としゆきの朝臣
竜田川紅葉乱れてながるめり渡らば錦中やたえなむ
よみ人しらず
このまよりもりくる月のかげみれば心づくしの秋はきにけり
よみ人しらず
古今和歌集 秋歌
他出していて返事が遅れましたこと、お許しください。
かように、風雅を解せぬ者には秋の七草は無縁でした。
ようやく迎えた秋、長く続いた猛暑で疲れた体の為にも、新米+焼いた秋刀魚に大根おろしで少しは肥えねばなりません。
菊花賞の時期には、お鍋の季節でしょうね。
競走馬の馬体重ばかり気にしている競馬fanに、
自分の体重をcareしろ!とアドバイスしてますが。
細身で太らない体質の方を羨みます。
歯にしみとおる秋の夜のお酒の味は、静かに飲もうと、賑やかに飲もうと、他の季節とは一味違っています。
「秋刀魚苦いかしょっぱいか」と、青きカボスの酢を滴らせて豊漁の恩恵に浴しています。
天高く、小さな白球を思い切り飛ばす気分は、又格別でしょう。、人生の秋をお楽しみください。