「もののあはれ」の物語

古き世のうたびとたちへ寄せる思いと折に触れての雑感です。

陶芸家の言葉 その3

2006年03月21日 | 絵とやきもの
     三輪休和と十一代休雪

 陶芸家の言葉、その3では、半泥子、金重陶陽と迷いましたが、やはり好きな作家として、萩焼の巨匠、三輪休和と休雪のご兄弟をとりあげました。

三輪休和
 私の拝見した茶碗は、どれもほのぼのとした温か味のある、それを見、それを手にする者の心をなごませてくれるものでした。

 ひたすら土と茶と謡だけに沈潜した80余年の凝縮が、「古萩を凌ぐ」ところまで到達しえたのでしょう。

 その作陶への心構えを問われて、一言に”無心”と言い切る人でもありました。
 若い日から俳句を嗜んだ休和の81歳をむかえた元旦の句
“山坂の奥に宮あり初明り”
 私は世阿弥の「命には終りあり。能には果てあるべからず」の言葉を重ねました。芸はいくら追求しても限りがないという嘆息ですが、ここには老名工の執念がうかがえます。

 休和74歳、人間国宝の認定を受けた折の言葉です。(朝日新聞より)
「芸の虫というだけのことでごわす。根っからの石部金吉でしてな。今度の受賞も、年寄の肩には荷が重うごわす。無冠の大夫のままの方が気楽で良かったのじゃが、中央でこれまで、とかく田舎窯扱いされてきた萩焼がいとしゅうて。」

「さよう、土ごしらえの時から、真剣勝負の気合でごわす。この世界はどれほどな名手でも、腕前には限界がある。それが無いといえば気負いだし、てらいにもなります。土は生きとります。土のほうで働いてくれるよう仕向けますのじゃ」



    萩沓茶碗       割高台茶碗


     萩沓茶碗      萩平茶碗



 耳付水差 高19.7胴20,2    耳付花入 高22,3底13,4




 画像は朝日新聞「三輪休和遺作展」図録よりお借りしました。