毎年8月15日はどこにも出かけることなく、何か忘れ物をしているような落ち着かない気分のまま、一日を家で過ごします。
正午の日本武道館での全国戦没者追悼式も、どこか虚しい想いでテレビを観ています。
愛する祖国のためと信じて、散っていった多くの前途ある若者たち、家を焼かれ、無差別の爆撃の犠牲になった人々。そして偶然のなせるわざで生き残った者も、価値観の逆転する中で、とまどいながら焼け野が原からの復興に立ち上がりました。
すべてに不自由な生活環境、特に食べ物の欠乏は悲惨なもので、今、飽食のこの国の状況からは、どう説明しても理解してはもらえないと思います。
もう共通の想いを持つものは同世代の限られた人々になっており、遠からず伝承の過去の中に埋没する運命です。
00年に1桁だった戦没者の親世代の参列者は今年0、戦没者の子供世代へと参列者の世代交代も進行しいています。
「過去の戦争への反省を示すとともに、戦後60年の歩みを踏まえ、二度と戦火を交えることなく世界の平和と繁栄に貢献していく」の言葉が真実であることを切に祈ります。
今日もあの日と同様、蝉の鳴き声が降り注ぎ、容赦ない夏の日差しが照りつけています。
正午の日本武道館での全国戦没者追悼式も、どこか虚しい想いでテレビを観ています。
愛する祖国のためと信じて、散っていった多くの前途ある若者たち、家を焼かれ、無差別の爆撃の犠牲になった人々。そして偶然のなせるわざで生き残った者も、価値観の逆転する中で、とまどいながら焼け野が原からの復興に立ち上がりました。
すべてに不自由な生活環境、特に食べ物の欠乏は悲惨なもので、今、飽食のこの国の状況からは、どう説明しても理解してはもらえないと思います。
もう共通の想いを持つものは同世代の限られた人々になっており、遠からず伝承の過去の中に埋没する運命です。
00年に1桁だった戦没者の親世代の参列者は今年0、戦没者の子供世代へと参列者の世代交代も進行しいています。
「過去の戦争への反省を示すとともに、戦後60年の歩みを踏まえ、二度と戦火を交えることなく世界の平和と繁栄に貢献していく」の言葉が真実であることを切に祈ります。
今日もあの日と同様、蝉の鳴き声が降り注ぎ、容赦ない夏の日差しが照りつけています。