The Blueswalk の Blues&Jazz的日々

ブルースとジャズのレコード・CD批評
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ブルース・アンソロジー Vol.13 (最終回)

2010-09-17 18:26:28 | Blues

「 Modern Blues」
~ブルース・ラスト・ヒーローズ~                             By The Blueswalk

ブルースは1960年代に主流となったシカゴ・ブルースを最後に、衰退の一途を辿っているわけであるが、その最後のヒーローたちの代表は以下の3人に絞ってもいいだろう。同じシカゴ・ブルースといっても、ミシシッピー臭さを引き摺っていた(これが魅力の一つでもあったが)マディ・ウォーターズやハウリン・ウルフなどに較べて泥臭くなく、都会的で洗練されている。が、B.B.キングみたいに白人聴衆に迎合することもなく、しかも黒人白人隔てなく人気を得て、一世代若い感性でよりモダーンなブルースを展開していった。ロックの世代とも近い所為か、純粋なブルース以外のロック的、R&B的な要素も多分に発揮しているのが特徴でもある。

《マジック・サム》(1937.2.14~1969.12.1)
 すでに1950年代の終わり頃にはCobraレコードへ代表作である”All of Your Love”を吹き込んでいるが、その後はレコード会社の倒産やら兵役および脱走による服役などで、順調な滑り出しとは行かなかったようだ。転機は、1967年にデルマークでリリースしたアルバム『ウエスト・サイド・ソウル』の成功であった。このレコード、シングルの寄せ集めで構成されたと思われるが、12曲すべてがシングル・ヒットになるような佳曲で占められている。こんなレコードはそうざらにあるものではない。マジック・サムの音楽性がヒット曲を生み出せる何かを持っていたと考えられる。
その後、『ブラック・マジック』『アン・アーバン・ブルース・フェス・ライヴ』と順調に人気絶頂を迎えた矢先の心臓発作による32歳での急逝となってしまった。だから、後年の新発見音源を含めても作品数は非常に少ない。正式なのは上記3作品しかない。僕のコレクションにはLP、CD合せて8種類あるので死後に発見されて再発売されたのが多いようだ。
マジック・サムの特徴は、R&B的な要素がふんだんにあり、当時のブルース界にあっては非常にモダンであり、音も軽く軽快で踊れる要素が一杯でロック・ファンの若者にも受けた。ギターは上手いが弾きすぎず、ボーカルも感情豊かだが重くない、本当に楽しくうきうきするブルースである。どちらかというとスローな曲よりアップテンポな曲が似合う。“Sweet Home Chicago”をロバート・ジョンソンのと聴き較べるとよくわかる。この曲の現代のブルース・マンの演奏形式はこのマジック・サムのものを踏襲していると言ってもいいのである。

《オーティス・ラッシュ》(1935.4.29~)
 よくオーティス・ラッシュは不遇なミュージシャンといわれる。バディ・ガイやマジック・サムと同世代であり、同じレコード会社(Cobra)から先にレコーディングをスタートさせ、しかもポストB.B.キングの一番手と目されたにも拘らず、Cobraの倒産によりChessへ移ってから、あまりレコーディング機会が与えられなかった。Cobraでは看板スターであったがChessへ移ってからはその座をバディ・ガイに奪われてしまった。ただ、この責任をチェス兄弟だけに押し付けるわけにはいかない面も多分にある。本人の消極的な性格が災いしてもいるのだ。そういうことで、日本でもオーティス・ラッシュのレコードを入手するのが困難な時期にこの『ジス・ワンズ・ア・グッド・ウン』が発売された1975年当時は、ファンは日本のレコード会社の英断にこぞって大喝采したものであった。
音的には、マジック・サムがR&B寄り、バディ・ガイがロック寄り(ちょっと極論か?)の中にあって、他を圧するような最もブルースっぽいスクィーズ・ギターとアルバート・キング的軽い乗りのボーカルが特徴である。僕は感受性が鈍いのか、音楽を聴いて鳥肌が立つということがこれまでたった3回しかない。そのうちの1回が、このレコードの1曲目“Double Trouble”のイントロを聴いたときであった。高いキュイーンというギターの1音に完全にノックアウトされた。数あるブルースの演奏の中で、この曲でのオーティス・ラッシュのパフォーマンスは最高のうちの一つだ。ロック・ファンにはジョン・メイオールとブルースブレイカーズでのエリック・クラプトンによる”All Your Love”(マジック・サムのとは違う曲なので要注意)での演奏が思い浮かぶだろう。

《バディ・ガイ》(1936.7.30~)
若い頃のバディ・ガイはスリムな身体でくねるような演奏スタイル、ヒップなファッション・スタイル、そして、鋭いギター・テクニックで若者に絶大な人気があったようだ。10代のジミ・ヘンドリックスが追っかけをしている映像を見た事があるが、ジミ・ヘンがバディ・ガイのギターに陶酔しているのがよく判る。切れまくるギター、ヒステリックなボーカル、これだけは他の追随を許さないバディ・ガイの専売特許である。とにかくかっこいい。バディ・ガイの演奏を聴くと自分がそれになり切っているような錯覚に陥るのが不思議だ。
バディ・ガイの代表作を選ぶのには苦労する。それは、Chessレコード時代からジュニア・ウェルズ(herp)とのコンビでの作品や、マディ・ウォーターズやハウリン・ウルフなどとのセッションも多く、自己名義のアルバムが少ないからであろう。その中では、Chess時代のシングルの寄せ集めではあるが、この『ファースト・タイム・アイ・メット・ザ・ブルース』が一番のお薦めだろう。タイトル曲“First Time I Met The Blues”はバディ・ガイを代表する必殺のギターとエキセントリックなボーカルで必聴であろう。(CDでは『アイ・ウォズ・ウォーキン・スルー・ザ・ウッズ』(ジャケットは同じ)もしくは『ザ・コンプリート・チェス・スタジオ・レコーディングス』ですべてを聴ける)
1970年以降もジュニア・ウェルズとのコンビと平行してソロ活動も続け、1975年には「第2回ブルース・フェスティバル」出演のため、弟のフィル・ガイと来日している。その後も世界を股にかけ精力的に飛び回り、また作品もコンスタントに出し続け、ブルースの最後の巨人としての名声を欲しい儘にしているのはご存知の通りである。最近の演奏では『ブルース・シンガー』で、アコースティック・ギターを淡々とそしてボーカルもかなり押さえ気味で、これまた大人の味が醸し出されており、秀逸であった。
なお、シカゴ市内でブルースクラブ「バディ・ガイズ・レジェンズ」を経営しており、シカゴの名所のひとつとなっている。是非、シカゴに行ったらば訪れたいものだ。