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今ここに生きるとは

2022-05-17 18:57:39 | 競争
岸見一郎著 『今ここに生きる勇気』

 フェイスブックで、いいね、を期待して投降すると、自分の思ってもいなこと
を書いてしまう。人から認められたい、という思いがあるから。それが幸福を失う原因だという。

1 なぜ、こんなに恵まれた人が多く自殺するのか。




 アドラーは、幸福は人格である。ひとが外套を脱ぎ捨てるように気軽に他の幸福は脱ぎ捨てることができる人が最も幸福だと。

 しかし、脱げないのは、人からどう見られるかを気にし、人から期待されるから。
成功する人生を生きないといけないと思っているからと。






自分自身で価値があると思えることが大事。
 ゴッホもゴーギャンも、生きている間、評価されなかった。しかし、絵を描くのを止めなかった。人から評価されなくても、自分自身で価値があると思えば続ける。

 成功しなくていい。何者かにならなくていい。量的なものではない自分自身の人生を生き切ればいいと。



2 幸福で「ある」と気づくことが、幸福に「なる」こと?


幸福であるとは、今こうしていられるのは、一人ではできない。いろいろな人とつながっているから。

 人とのつながりで生きていることに気が付けば、何もそれ以上、達成しなくていい。成功しなくても、自分が存在している、生きている、しかも、人とのつながりの中にあると気づくことが幸福であると。


 資格を取るための勉強ではなく、今日この一文が読めた。そういう喜びを積み重ねていく読書が、幸福である、と。




 3 なぜ、戦争をするのか。


オリンピックのように一体感を持たせる風潮は危険だと。
感性的なものに降伏を結び付けるのは間違っていると。感性に訴えるのは反主知主義で、幸福は主知主義で、何が幸福かを知る事が出発だと。

対して、感性的なものに訴える国粋主義的なものや、全体主義的なものは幸福を抹殺すると。

(ロシアのプーチンも、ウクライナのゼレンスキーも、結局は、自分の名誉のために、多くの若者を死に追いやっている。
あくまでも、幸福ではなく、成功を求めて)



4 今、与えられているものを使い切る?


アドラーは、何が与えられるいるかではなく、与えられたものどう使うかが大切だと。

歳をとると、いろいろな事ができなくなる。そのできなままでいいのです。できない自分を受け容れる。その状態で出来る事をしていけばいいと。





 病気になっても、価値はなくならない。できることがあれば、それに挑戦してあきらめない。その態度を他人に
見せることが、他者に勇気を与えると。

(かつてのプロスキーヤ―の三浦氏も90歳目前にして、ヒマラヤなどの高山に挑戦している。そのための筋トレを怠らない。その姿を見ると、自分もがんばなきゃ、と思う。)



 5 人から嫌わる勇気で自由になる?


 人からよく思われたいと、人の期待に合わせなければならない。本当にしたいことがあっても、言い出せない。

他方、自分がしたいことを他の人がどう思うかに関係なく自分で決めると、反対する人が出て来る。人から嫌われることになる。

もし、誰からもよく思われている人がいるとすると、自分の人生を生きていない。
まわりに合わせて生きているので、悪く言う人がいないと。



 そのような人は、絶えず人の顔色をうかがい、考えをころころ変えるので誰からも信用されなくなる。自分のではなく、他人の人生を生きていると。


 だから、自分を嫌う人がいるというのは、自分が自由に生きている証になる。
 自由に生きる代償は、嫌われることだ、

(日本人はあまりにも、みんなと同じことをしたがる。マスクもみんながするから、はずせない。マスクを外して、巣^パーで今や買い物していいのではないか)



 6 どうしてこんないい人が先に死に、悪者が生きながらえるのか?


 ヒルティによると、地上での罰が加えられないことがあるのは、この世ですべての勘定が清算されるのではなく、必然的になおそのさきの生活があるにちがいない、という推論を正当化すると。

‘(生きていると、神はいるのか、と思うことが多すぎる。今も、ロシアとウクライナの戦争で、多くの民間人が死んでいる。やはり、この世は仮で、死後、その精算があるのだろうか)




 7 今、ここにある、ことを幸福に思えるか?


フロイトの心理学は原因論ですが、プラトンやアドラーは目的論。

目的論とは、例えば、病気をしても不幸の原因ではない。病気をどう受け止めるか。

何かを達成しなければ幸福になれないのではない。幸福であることが目的である。幸福は遠い未来にあるのではなく、今ここにある、と。




 




 フランクルは、幸福は目標ではなく結果にすぎない。幸福は追求するものではない。幸福になろうと思ってしまうと幸福になれないと、言っている。

 しかし、著者は、誰もが幸福になりたいと思っているが、そのために特別なことをしなくていい。幸福になろうとしなくても、今こうして生きていることが実は幸福である。そのことに気づくことが幸福になるどとであると。

(人は病気になると、元気になれば、あれもしたい、これもしたい、と思う。
しかし、その時の苦しみを、元気になれば、すぐに忘れる。
あの時の痛みをずっと感じられれば、生き方が変わると思うが)