雅子皇太子妃・徳仁皇太子・愛子内親王の現状は”第二の女系天皇問題”安倍元総理暗殺は第3の敗戦、愛子天皇は終末の敗戦だ

※当ブログでは明治典範にも違反する生前の譲位に抗議し、ブログタイトルは違法即位後も同タイトルとします。

#拡散希望 救う会全国協議会ニュース(2017.03.31-2)拉致被害者救出運動20年特別集会記録6

2017年03月31日 21時46分07秒 | 北朝鮮による日本人拉致というテロリズム
国民は何も感じないの?

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★☆救う会全国協議会ニュース★☆(2017.03.31-2)拉致被害者救出運動20年特別集会記録6

■拉致被害者救出運動20年特別集会記録6

西岡 寺越さんの所からは、今日は昭男さんと北野政男さんに来ていただきまし
た。この二人のお父さん、昭二さんは36歳で漁に出ていて、今ご存命ならば8
9歳になるわけです。昭男さんがお父さんの昭二さんを最後に見た時の話をこん
なように書いておられます。

 「とうちゃん今日は俺も船に乗せてくれんか」。昭男はその日ハチメ(メバル)
漁に出る父親の昭二にそう頼んでいた。中学に入ってからもう2回は船に乗って
いる。能登半島の西側、その中程にある石川県志賀町高浜の漁港、漁師町の少年
にとって船に乗るのは貧しい家計を助けることだけでなく、何より心の踊る冒険
でもあった。魚を網で引っ張る時、夜光虫がキラキラ光って、青白く波間に光る
美しさ。魚を満載した船が朝港に帰る時の朝焼けの色。前に船に乗った時はすぐ
に船酔いして気持ち悪くなったが、その日は初夏の抜けるような快晴、海はべた
なぎだった。しかも次の日は日曜だ。昭男の心は遠足に行く前の夜のように行く
気だった。しかし、学校で何かあったのか、遊んでいて遅くなったのか、それは
覚えていないが、昭男が港に行った時、船はもう出た後だった。もしもあの時自
分も船に乗っていたら、昭男は運命というものの不思議さを思わずにはいられな
い。

 こういうことを書いていらっしゃいます。昭男さんと政男さんお願いいたしま
す(拍手)。

◆見返りのない交渉をしてほしい

寺越昭男(寺越昭二さん長男)

 みなさんこんばんは。今月14日、67歳の誕生日を迎えました。健忘症とい
うかボケというか、最近物忘れが激しくなります。でも1963年5月13日の
ことだけは今もはっきりと浮かんできます。

 あれから54年、事件があってから24年後に(父と一緒にいなくなった)叔
父外雄さんから手紙が来ました。私たちにとっては浦島太郎が帰ってきたような
感じです。完全に死んでしまっているという思いで20年もたって忘れかけた頃
に手紙が来たということで、そういう思いの中で、また新たに10年ほど経って
家族会ができたわけです。

 家族会ができたということは私は知らなかったんです。武志(寺越武志:昭男
さん従兄弟、昭二さんとともに漁に出て行方不明に)のお母さんが一生懸命活動
して家族会の皆さんとも付き合いがあったようです。

 私は子どもができて、子どもを育てるのがいっぱいで見守るだけの生活環境で
した。転機になったのが2002年です。2月に我々の母親が亡くなりました。
親父の遺骨を見るまでは死んだとは絶対に思わんと言っていました。私の家は分
家ですが、本家で(漁に出た)三人の葬式をした時に、母は葬式に出席しなかっ
たのです。

 そういう思いで来た母親が2002年に亡くなり、9月に小泉総理の訪朝、1
0月に従兄弟(武志)が一時帰国しました。2002年は私にとって忘れられな
い年になりました。

 政府に声を挙げてからもう15年になります。本当になぜこれだけ時間がかかっ
たのか。北朝鮮というのは、私は交渉ではダメだと思っています。北朝鮮の言う
ことは嘘ばかりなんですね。まともに本当のことを言ったことがないような気が
します。

 武志のお母さんが、最初に武志に会いに行った時に、北朝鮮側としては「拉致」
ではなく「救助」とする工作を行っている。武志が帰ってきてからも、日本人と
して帰す(一時帰国)という約束があったみたいですが、結局北朝鮮の(ある組
織の)代表ということで帰ってきました。だから日本政府は歓迎もしない。

 そういう中で5人が帰られて、私はもう5人が帰られたのだから拉致問題は解
決するという思いで声を挙げたわけです。

 父親は、元工作員の安明進さんの証言で、「拉致した時に抵抗したので殺した」
と。その証言が本当かどうか、親父の遺骨が北朝鮮にあるのかないのか、もしあ
れば母親と一緒の墓に入れてあげたいという思いがあって声を挙げたわけです。

 政府にも遺骨の返還を、何度も何度もお願いしました。斎木外務次官だったと
思いますが、「北朝鮮には何べんも話をしている」と説明を受けたんですが、北
朝鮮が親父の遺骨を帰さない理由が分からない。本当にあるのかないのか、そう
いう思いになってくるんですね(安明進証言では殺して海に沈めた)。

 そうこうしているうちに、本当に解決するのかなという時にまたミサイルを撃っ
たり、6か国協議があったり、そういうことが色々出てきて、結局交渉では何も
出ないんですね。交渉ではなく、圧力、圧力でいって北朝鮮が「帰しますよ」と
言った時に交渉すればいいんですね。

 その交渉の内容はどういうふうに帰すかです。飛行機で返すのか、船で返すの
かという交渉です。そういうふうにならないとダメだと思います。5人を返すか
ら見返りは何を、というような交渉ではダメだと思います。見返りのない交渉を
してほしいと思います。そうなるように政府にも努力していただきたいと思いま
す。ありがとうございました(拍手)。

◆北のミサイルが船団や日本に飛来する危機感を政府は持ってほしい

北野政男(寺越昭二さん次男)

 みなさんも長い話でお疲れと思いますので短く話したいと思います。

 最近北朝鮮のミサイルが向上して、日本の近くまで落ちています。線(排他的
経済水域)の内側まできて、政府は「厳重抗議をした」ということですが、「厳
重抗議をした」ということですが、それ以上の危機感を私は持っています。国の
危機感とは違って、一般人の危機感です。

 親父はイカ釣り船の船員でした。イカ釣りは一隻で操業するのではなく、船団
として操業しています。もし被害があった時には一隻ではすまないかもしれない。
ミサイルが日本の沿岸近くまで飛んできて、日本の領海内に入ってきているにも
関わらず、「厳重抗議をした」で済ませていいんですか。もし被害があった時に、
また「厳重抗議」で済ますんでしょうか。

 当然被害があれば補償問題となりますが、北朝鮮は新潟とか色々補償問題を起
こしているにも関わらず一度も補償したことがない。日本が「保障しろ」と10
年、15年言っても、おそらくしないでしょう。「厳重抗議をした」、「申し入
れをした」では済まないと思います。

 そうなったらこうしますよと、付加をつけた抗議をしないと。私たちは飲酒運
転すれば免許を取り上げられます。交通違反をすれば罰金を課せられます。私た
ちにはそういう罰則があります。しかし、北朝鮮が何をしても、何の罰則もなく、
抗議だけで済んでいます。

 政府の方には、被害者をこれから一人でも増やさないためにも、当然もし被害
が出れば、私たちと同じ北朝鮮による被害者になるわけですから。今後もそういっ
た被害者を出さないように、抗議の中にもうちょっと罰則を付けたものを入れて
いただきたい。ミサイルが日本に飛来すればなおのことです。

 1年に1発が飛来すれば、それが2発になり、10発、20発になります。下
手な鉄砲も数撃ちゃ当たるで、必ず事故は起きます。私たちと同じような苦しみ
を持つ人が今後出ないように、政府にはもっと私たちの危機感を共有していただ
きたいと思います。ありがとうございました(拍手)。

西岡 ありがとうございました。最後に、「拉致救出運動20年声明」をお配り
しています。昨日の記者会見で出しました。これを読ませていただいて、集会を
閉じたいと思います。

 (声明略、3月23日のメールニュースを参照してください)

 みなさんとともに、全員取り戻す。最後まで戦っていきたいと思います。あり
がとうございました(拍手)。

 今年の国民大集会は4月23日(日)2時から5時まで、去年と同じ砂防会館
で行います。是非手帳に書いてください。櫻井よしこさんが来てくださることに
なっています。是非多くの人に集まっていただきたいと思っています。頑張りま
しょう(拍手)。

以上

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葉書は、〒100-8968 千代田区永田町2-3-1 内閣総理大臣 安倍晋三殿

■救う会全国協議会ニュース

発行:北朝鮮に拉致された日本人を救出するための全国協議会(救う会)
TEL 03-3946-5780 FAX 03-3946-5784 http://www.sukuukai.jp
担当:平田隆太郎(事務局長 info@sukuukai.jp)
〒112-0013 東京都文京区音羽1-17-11-905
カンパ振込先:郵便振替口座 00100-4-14701 救う会
みずほ銀行池袋支店(普)5620780 救う会事務局長平田隆太郎
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#森友学園 より #拉致被害者全員奪還 救う会全国協議会ニュース(2017.03.31)拉致被害者救出運動2...

2017年03月31日 12時12分18秒 | 北朝鮮による日本人拉致というテロリズム
----- Original Message -----
★☆救う会全国協議会ニュース★☆(2017.03.31)拉致被害者救出運動20年特別集会記録5

■拉致被害者救出運動20年特別集会記録5

西岡 松本京子さんは、29歳で拉致されて今68歳になります。1947年、
昭和22年1月生まれの、今ここにいらっしゃる孟(はじめ)さん、そして48
年9月生まれの京子さん、50年生まれの弟さんの3人兄弟で、3人とも歩いて
5分とかからない近くの学校に通っていた。年子の妹の京子さんの思い出を孟さ
んはこう語っています。

 まあ喧嘩だけはよくしました。もう顔を合わしたら喧嘩をしている。それが兄
弟でしたね。でも京子の同級生に聞くと、京子はおとなしくてもの静かだった。
割とおだやかで、誰とでも遊んだし、面倒見のいい、どっちかというと義理堅い
表現なんですね。そう聞いても私はちょっと想像がつかないんです。いつも喧嘩
ばかりしていたから。喧嘩と言っても口喧嘩ですが、私は口ではかなわなかった。
京子はもうしゃべりますからねえ。だけど別に仲が悪いというわけではない。意
地を張ってどうこうするわけでもない兄弟ですから。

 社会人になって自分で稼ぐようになった京子さんは旅行などによく出歩くよう
になった。孟さんが思い出すのは、京子さんが舟木一夫のファンだったことです。
当時若い女性に絶大な人気を誇った。わざわざ兵庫県まで舟木一夫の公演を見に
行った時の写真が今も残っているそうです。孟さんお願いします(拍手)。

◆私たちは本当に今年が最後の年になるかも

松本孟(松本京子さん兄)

 みなさんこんばんは。こんな遅い時間までご苦労様です。

 妹は身体だけは元気で、大きな病気をすることなしで育ちました。妹がいなく
なった時に一番心配したのは母親で、私たちは三人兄弟で、どこの家も一緒だっ
たと思いますが、一人いなくなってもどうってことないなという軽い気持ちでお
りました。

 でも現実に帰ってこないとなると、これもまた心配なものでして、どうなった
のか全く分からずに月日が過ぎてしまった。本当に探しようがなく、途方に暮れ
た中で探せなくなっていく。そんな中で母親だけは心配をする。本当に残念なこ
とですが、今日まで一生懸命探し、心配もしましたが、未だに帰らない。

 妹が北朝鮮で元気に暮らしているというだけのことしかまだ分かっていません
が、家族として、何としてでも助け出さなければならない。私たちは本当に今年
が最後の年になるかもしれません。

 運がよければ来年も探す機会があるのかもしれませんが、今年は何とか日本に
帰れるようにしてやらないと、いつまでもこの状態が続いてしまう。そうすると
ずるずると深みにはまってしまい助けられなくなってしまう。そういう心細い心
配は絶えずしています。

 本日ここにお集まりの方々は、私の妹だけでなく、家族会の関係、そして特定
失踪者の方々が、一日も早く全員が帰ってこれるように是非お力添えをお願いし
たいと思いますので、宜しくお願いいたします(拍手)。

西岡 田口八重子さんは22歳、今60歳。私と同い年です。北朝鮮で2年くら
い一緒に暮らしていた地村富貴恵さんはこう言っています。

 背が高くて、都会的なイメージで、同い年とは思えないくらいおとなっぽい感
じでした。でも話してみると甘えん坊で無邪気な面もたくさんありました。私が
関西弁に近い話し方なので、「あかん」、「しらん」なんていうと、「簡単でい
いな」とまねしたりしていました。北の南浦港に着いた時、政府の人に、「私に
は子どもが二人いてどうしても日本に帰らなければならないので帰してほしい」
と何回も言ってお願いしたそうです。しかしその人は、「なんでこんな人を連れ
てきたか分からない」と言っていたそうです。だから八重ちゃんの思いは、最初
から最後まで子どものことでいっぱいでしたし、今でも間違いなく上の娘さんが
いくつになっているか、耕ちゃんはいくつになっているかと毎年計算していただ
ろうし、どんな大人になったのか知りたいだろうし、会いたがっていると思いま
す。初めて会った時から子どもがいることも話してくれました。南浦港について
半年も、牡丹峰(モランボン)招待所に一緒に暮らしていた時に聞きました。そ
の頃2階に映画館があったので、1週間に1、2回映画を見ました。「革命映画」
と言って、普通のお母さんが革命のためだと赤ちゃんを姑に預けて、鉄砲をかつ
いで戦いに出る時、赤ちゃんと別れるシーンがあったのですが、その度毎に八重
ちゃんは泣きました。自分と重なってとても悲しかったのだろうと思います。お
酒を飲む機会があったりすると、子どものことを話してくれるんですが、すごく
つらそうに話すので、私はどう声をかけたらよいか分からなかったです。お母さ
んが佐渡出身で子どもの頃よく遊びに行ったこと、自分は末っ子なのでみんなが
大事にしてくれたことなどを教えてくれました。特に上のお兄さんには子どもを
見てもらったりして、とてもありがたかったと言っていました。正確には、お兄
さんの奥様に感謝していたようです。離れてみて、一層ありがたみが分かったよ
うでした。

 本間さんお願いします。

◆帰しても反北運動をするような人はいないのに北は帰さない

本間 勝(田口八重子さん三兄)

 本日はお越しいただきおりがとうございます。

 私と八重子の関係は、7人兄弟の中で私は上から三番目の兄なんですが、八重
子は一番下で私とは11歳離れています。八重子は昭和30年生まれです。西岡
先生と同年齢。ここにいればこのような年齢に達している。もう61歳というこ
とになるわけなんですが、母親が拉致をされた。1歳と3歳の子どもを残して。
1歳といえば乳飲み子でまだおっぱいにしゃぶりつく年齢です。

 結果的にはだまされて連れて行かれたと思うんですが、北朝鮮に上陸した時は、
色々な手段で訴えたんでしょうね。向こうはだまして連れてきた以上は帰せない
ことから、工作員教育とか工作員への教育とか、向こうの都合で利用していった
んだと思います。

 私はあまり八重子とは接点がなかった。ここに小さい時の写真がありますが、
母親の実家である佐渡に法事でお墓詣りにいく時等、八重子のすぐ上のお姉ちゃ
んと二人の子どもを連れてよく母親が帰っていました。そういうことで、小さい
時から佐渡になじみがあるわけです。

 八重子は失踪直前にも佐渡に立ち寄ったという情報もあります。佐渡にはいと
こがいるわけで、いとこに会いにいきたいとか、八重子自身も佐渡にはかなり気
持ちがあるわけです。帰ってくれば、また佐渡に行きたいと言うと思います。

 北朝鮮が拉致被害者を帰さないのは、北の情勢をよく知っているから。めぐみ
ちゃんもそうなんですが、北の中で金正日の生活、夜中のパーティとかを、見て
はいけないようなことを知ってしまったというようなことが、このまま帰してし
まうと、ということで帰されない。

 2002年に小泉訪朝で戻ってこられた人たちは、帰国してもう15年も経っ
ているわけですが、決して反北の情報を言ったり、反北運動をしてはいません。
だとすれば、日本人拉致被害者を帰しても安全だと、そう感じてもらえればいい
わけです。

 私たち家族は、もし帰ってきたら北に不利な情報は言わせませんよと。平々凡
々と当たり前の生活に戻ってくれればという願いでいますので、金正恩が日本人
を帰しても安全なんだと、反北運動を起こすようなそういう人たちはいないんだ
ということで、安心して帰してほしい。それが帰ってくる一番の道筋かなと思い
ます。僕は北が帰さないのはそこに尽きると思います。

 もし金正恩が帰国させないという決断をするのであれば、私たちは徹底的に戦
うという気持ちでいます。国会議員の先生たちも色々アクション・プランを考え
て、戦うプランを考えていて、これからの成り行きによってはただじゃおかない
よということです。

 拉致の原点というのは、朝鮮総連がからんで北に指示された通りに動いて、協
力した人間がたくさんいて、それも誰も逮捕されないような状態になっているわ
けですから、当然、朝鮮総連の解体、それと日本からの技術移転、核・ミサイル
の技術を持っていっているわけですから朝鮮大学校や朝鮮学校のような、日本の
利益にならないような学校は閉校も認められるようにする。

 ミサイルが飛んできたら当然撃ち落とすと、絶対的に戦う姿勢をガンガン示す。
そういう行動を日本政府がしてくれれば、北だってばかじゃないですから考える
と思うんです。軍事力に頼るだけの金正恩ですから、北を統治するにはこのまま
でいいわけではないんです。

 それが分からないような金正恩だったら、人民もあきらめて、暗殺されてしま
えというような気持ちになって、北朝鮮の中の組織でも蜂起してしまうようなこ
とにつながってしまうわけです。

 この20年という長い月日の中で、奪還することを色々考えていただいて、政
府には頑張っていただきたいという思いです。宜しくお願いいたします(拍手)。

(6につづく)

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日本人なら忘れてはいけない、綾瀬女子高生コンクリート詰め殺人事件は、戦後の日本弱体化、人権至上、子供性善説の招いた犠牲だ。

昭和から平成にまたがった女子高生コンクリ詰め殺人は終わっていない。犯人の凶悪少年4人(うち犯行現場の少年Cの両親は共産党員)が平然と社会復帰し、再犯までしている現在進行形の事件。 日本人なら被害者(あえて実名で)古田順子さんを弔おう。 元をたどれば戦後レジームの犠牲者だ。