うつからの脱出 

日々の徒然なる思い、その他興味あることを書いています。

仕事終わった

2005-05-20 23:51:40 | Weblog
ようやく金曜日だ。
今日は昨日の続きでハードの確認を行った。
用意していたボードが動かなかったので、いろいろ解析したのだが、
結局、ダメだった。

来週、新しく作り直すことにする。
この2日の労働が徒労に終わった。

週末、カラダを休めようと思う。

平和な一日

2005-05-19 23:03:38 | Weblog
今日は一日、ハードを作っていた。
ハンダ付け作業を集中してやった。
ファームの検証のための冶具を作った。
PCにセットアップしてみたのだが、うまく動作しない。
パフォーマンスボードの配線がいかれたのだろうか。

明日、確認してみようと思う。
少し残業をやったが、そんなに疲れなかった。

今日の一日

2005-05-18 22:43:12 | こころ
朝から気分は最悪だ。昨日の中途覚醒のせいで、睡眠不足だ。
からだはだるい。頭が回らない。解析用ファームのリストを見ても、頭に入っていかない。

10時過ぎ、気力が回復したかに見えたが、昼食後、眠気に襲われる。
3時過ぎ、何とか気分を取り戻した。新しい仕事が入ったので取り掛かる。

4ビットマイコンのICEの立ち上げだ。ソフトハウスの作ったファームをコンパイルして
実行環境を整備した。あまり考えず、機械的にこなせたので、気分転換になった。

事情調書

2005-05-17 20:30:00 | こころ
任意で交通事故の事情調書を取られに警察署に行ってきた。
そこは細長い小さな部屋で、スチール製の机を挟んで取調官と向かい合うように
座らされた。

A42枚の紙に言葉のきっかけが書いてあり、それに沿って取り調べは進められた。
既に現場検証は終わっているので、その時に話した内容の確認が主だった。
現場の見取り図と照らし合わせ、相手の車を発見したときはもう3メートルくらいしかなかったこと、
その時のスピードは40キロくらいだったことなどを話した。
ほとんど、取調官が事情を説明し、こちらはそれに「はい」とか「間違いありません」とか
言うくらいだった。

最後に俺も全治一週間の診断書が出ていたので、相手を訴えるかどうか聞かれたが、
こちらの方の不注意が原因と思われ、相手方のほうが重い怪我をおっているので、
不問にしますと答えた。

減点は11点くらいで、60日の免停、罰金は最高で50万だそうだ。
両肩に事故の責任を感じながら、警察署を後にした。

こころのすきま

2005-05-16 16:59:52 | こころ
仕事に集中できない。自己嫌悪である。今日は警察の事情調書がある。

じつは3月に人身事故を起こした。日曜の夕方、日はまだ明るかった。
家内の軽自動車で行きつけのカメラ屋にDPEを取りに行った帰り。
信号のない交差点で、交通量の少ない道であった。見通しはわりと良い。

こちらには道路に止まれの表示があったのだが、なぜか「そのとき」止まらなかった。
クルマのBGMに気をとられていたのか、早く帰って写真を見たかったのか、
当時のその瞬間のことは思い出せない。魔が差していたのだ。

気がつくと、目の前に白い乗用車が左方から迫ってきていた。
ブレーキが効く間もなく、衝撃が体を襲った。一瞬、何が起こったのかわからなかった。

俺のクルマは横転し、道路脇に転がっていた。
運転席側のドアを何とか開け、よじ登って車から降りた。
相手のクルマは電信柱に激突していた。前面は大破し、エアバッグが開いていた。

俺はシートベルトのおかげで打撲だけで済んだが、相手側は4人乗車しており、
後ろ席に乗っていた人が腰骨骨折で全治3ヶ月の怪我を負った。

何も考えられなかった。何もすることができなかった。ただ、すごいことをしてしまった
という後悔の念が押し寄せた。

抗鬱剤の服用時には、クルマの運転は避けるようにとの注意書きがある。
しかし、俺の住む地域ではクルマなしでは生活できない。
眠くなるといった、副作用も出ていず、今回の事故と薬は無関係だと思う。
でも、ある程度のリスクはつきものだろうか。

事故を起こしてから1ヶ月間、クルマの運転は避けていた。運転することが怖かった。
でも今は家族に迷惑をかけるので、クルマの運転を再開している。
何を聞かれるのか、どのように取り調べられるのか、不安になりながらその時を待っている。



精神科というところ

2005-05-15 00:26:24 | こころ
開放病棟に入院していたことがある。そこは武家屋敷作りの門構えをした、ちょっと入りにくそうな病院だった。建物には蔦がからまり、鬱蒼としている。2階の診察室の横に待合室、そこから扉ひとつで病棟は区切られている。廊下を挟んで両側に病室は並んでいた。4人部屋が並び、奥に差額の2人部屋があった。病室の扉は常に開けられており、カーテンで仕切られていた。病室の中は意外に明るく、それそれの壁際に2段の収納ボックスが備え付けられ、ベッド脇にキャビネットがあった。

職場のストレスからうつになった俺にとっては、そこは心休める場所であった。病室の仲間は総合失調症が一人、神経症が一人、うつが俺を含めて二人だった。

入院当初は摂食障害による体重減のため、行動が制限されていた。アナフラニールの点滴を受け、食事とともにエンシュアリキッドを飲んでいた。もう一人のうつの患者は高脂血症のため、食事療法を受けていた。食事は当初は看護師が運んでくれたが、3日経ち、点滴が取れると自分で取りに行くようになった。食膳室は1階にあり、ガラス戸に仕切られた棚の中にアルミの盆がならび、それぞれ一人分の食事がのせられていた。食事時間になると、ガラス戸の鍵が看護師によって開けられる。1階には食堂もあり、そこで食べてもよいが、俺は病室に持っていって食べていた。食後30分くらい経つと放送がありナースセンターの前に行列ができる。みんなコップを持ち、看護師によって水を入れられ、名前を確認してから薬を渡され飲んだ。

入院生活は規則的に食事と睡眠をコントロールされるので、いい休養になった。最初の頃はほとんど寝ているだけだった。嫌なことを忘れてひたすら寝逃げする毎日だった。俺にとってはいい人生経験だった。