遥かな轍(日々雑感)

大根サラダを食いまくってカリカリな体になってみよう(笑。

介護士を目指して…。

2010年05月30日 22時21分10秒 | ヘルパー2級
こんばんは、はやぶさです。久方ぶりですが改めて現状の報告とこれからの生活に関する展望を書いてみたいと思います。
まず、肺胞蛋白症に関する経過ですが、今月の初め(2010.05.18)に近畿中央胸部疾患センターに行って、主治医の診察を受けてきました。今回は経過も良好という事で特に大きな検査はなく、レントゲンと採血のみでした。
で、結果から言うと非常に良いです。レントゲン写真で見る僕の肺は健常者のそれと何ら変わりないと言って良いほど綺麗でした。あの忌まわしき真っ白な肺がここまで綺麗になるものなのかといった処です。で、血液検査の方ですが、これも良い数値が出ていました。SP-AとSP-D、KL-6の数値は結果が出るまで多少時間がかかるのでまた後日報告を受けることになっていますが、それ以外の数値を見ても特に問題になるような所はありませんでした。ちなみに前回の検査の時のSP-AとSP-D、KL-6の数値について、前エントリーでも言及していますが誤りがあったので訂正しておきます。前エントリーでKL-6は516、SP-Aは48だと書いていましたがこれは誤りで、KL-6は1136で、SP-Aが36、SP-Dが115でした。うーん、良くはなっているのですが、やっぱり健常者に比べると若干高いですね。特にKL-6は500以下で正常ですから、1000超ってことであまり楽観は出来ないですよね。でもピークの時に28500まで上がっていた事を思うと良くはなってます。主治医の先生の話では、これから先、どの辺りで再び悪化に転じて行くのか(これはどうあっても避けられないそうです。残念ながら…)、慎重に推移を見守っていくとの事でした。また、病状に関する詳細なデータを、CTやレントゲン写真も含めて病院から出してもらう予定ですので後日公表できればと考えています。いずれにせよ現段階では本当に病気だったのかっていうくらい元気です。全然息苦しくないし、驚く事に走ったりしても平気です。これはすごい回復です。動脈血酸素飽和度も殆ど下がらなくなりました。そうそうそれから、在宅酸素に関しても経過良好って事で実は

4月の中頃に終了しました!!。


もう酸素ボンベを持ち歩く必要がなくなったんです!!。めちゃくちゃ嬉しいです。いや、油断は禁物なんですけど、でも、取り敢えずは壁を越えました。応援してくれている皆様、本当にありがとうございます。去年の10月15日に突然入院となって約6ケ月、苦しんで苦しんで、自暴自棄になりながら、死ぬかもとか思いながら、将来の道筋が全く見えなかったのが、今では新たな目標を設定して、それに向かって頑張ろうと決意出来るまでに回復しています。写真も撮りに行けるようになりました。車も運転できます。大好きな電車に乗ることだって出来るし、大好きなうどんを好きなだけ食べる事もできる。なんと幸せな事か!。普通に生きていける事の有難さを痛感しています。先月(4月)の末からランニングとウォーキングも始めています。自宅の近くに大きな公園があるのですが、そこの外周道路をランニングコースにして一日30分以上かけて走ったり歩いたりしています。インターバルってやつですね。1月に自宅へ帰ってきてから4カ月経ってますが、煙草を止めたこともあってご飯が美味しくてついつい食べ過ぎてしまって、最近腹が出てきてます(;;)。なのでその弛んだ腹を引き締める為に余分な脂肪を燃焼させてウエイトコントロールしようって訳です。さらに腹筋を朝晩50回ずつと足上げ腹筋を20回ずつやってます。はっきり効果が出てきていて、下腹部が締まってきました(苦笑。でも体重が減らなくて、現在75㎏前後を行ったり来たりしてます。

さて、病状が回復し体調が良くなってくると何を置いても、まずは社会復帰ということになるのですが、やはり前職に戻る事は不可能で、主治医からも転職するよう厳しく指示されました。長距離のトラック運転手という仕事は非常に環境が悪く、今の僕の体では死に急ぐようなものだとまで言われ、それではどうすれば良いのかと散々悩みました。傷病手当も病状が回復したとして、5月に支給された分で終了となりました。そこでハローワークへ出向き、担当職員と十分に協議し、まずは前職の職場を退職し、且つ、病気での退職となるので解雇という形をとって、離職票は「会社都合により退職」という形で出してもらう事にしました。しかしこれも結構揉めました。やっぱり会社としては「会社都合」で離職者を出すとペナルティーを課せられるので当然と言えば当然ですが、運良く?、総てが良い方へ動いて解雇という事で最終的に話がまとまり、頂いた離職票はすぐにハローワークへ提出し、雇用保険の申請をしました。で、給付制限なしで5月の分から支給されることになりホッとしています。で、状況が状況なので来年の4月までは失業給付金を受ける事が出来ます。本当に助かりました。決して十分とは言えない金額ですが、まァ、何とか生活していける分だけは確保できました。
続いて、仕事ですが…これも散々悩んで、しかし、世相的には相変わらず不況続きで仕事がなく、今までとは全く違う分野となると本当に厳しいです。でも、僕自身としては、病院に居た頃から心の中で決めていた事があって、何れにせよ運転手として復帰は出来ないだろうし、それならば転職するとして、何か人と関われる仕事、人の力になれる仕事が良いと考え、介護の世界に自分の道を見出すことに大きな意義みたいなものを感じていました。今更、看護師は無理なので、それでも介護の分野ならこちらの努力次第で何とか出来ます。介護の世界へ足を踏み入れるとなると、まずは介護福祉専門学校で勉強して介護員2級(所謂ヘルパーさん)の資格を取得する処から始まりますが、これは介護士として生きて行く為の「とっかかり」に過ぎません。一時的な腰掛けとか足掛けみたいなもんでヘルパーの資格だけでは十分とは言えません。そこから先、介護福祉士やケアマネージャーといった介護のエキスパートを目指すくらいの気概がないと、介護の世界で生きて行くのは難しいようです。また、こういった具体的な資格取得と合わせて、スピリチュアルな面でも図太くならなければ、とてもではないですが介護職は続かないでしょう。仕事の半分以上は奉仕であると割り切って、あえて自分自身で仕事の垣根を作らない事が仕事をうまく進めて行く秘訣だと思います。必要ならば何でもやるくらいでないと精神的にキツいという事です。瞬間湯沸かし器と形容するのがピッタリな僕の性格で本当に勤まるのでしょうか?(苦笑。ともかく、介護員2級の資格を取得しようという事で介護福祉専門学校へ入りました。本当なら介護福祉士の免許が欲しかったのですが、介護福祉士になる為には2年間学校に通わなければならず、時間が掛りすぎる事や金銭的にも厳しい面があるので断念しました。で、学校ですが、現在ではハローワークと地方自治体のタイアップで再就職支援制度という有難い制度があって、通学に掛る費用は自治体が負担してくれます。更に通学に掛る交通費も負担してくれるという事で、この制度を使って東大阪市の鴻池にある介護福祉専門学校へ通う事にしました。但し、やはり学校へ入る為にはそれなりの難関はあって…あ、いや、それほど大層なものでもないのですが、一応試験があって、適正テスト5科目(読み書き、文法、計算、幾何、一般常識)と小論文(3項目)をクリアする必要があります。これが結構嘗めてかかると痛い目に遭います。適正テストは時間制限(各科5分以内に50問以上回答、または100問以上回答)があって中々シビアですが、重要なのは小論文で、これをしっかり書けないと試験はパスできません。小論文の項目は3つで、介護士を目指す動機、主意、展望です。それぞれ200字以上書けないと厳しいです。ま、そんなこんなで僕は幸いにして一発でパスしました。前準備もある程度出来ていたので何とか通る事が出来ました。因みにヘルパーの資格制度が近い内に変わるようで、最近特に、競争率が高くなっています。募集の時期は学校によってまちまちですが入校一カ月前に試験があります。結果発表は2週間後に郵送で届きます。ドキドキしますよ(笑。
僕が試験を受けた時は、募集人数30人に対して受験者94人でした。3倍ちょっとってところですね。ま、そんな訳で、5月から学生生活を送っています。まさかねぇ、この歳で学生に戻る事になろうとは夢にも思っていませんでした。しかし、こんな事はもうこれから先、きっとないでしょうからしっかり頑張って介護の道で生きて行こうと思ってます。前途多難ですけどね。

最新の画像もっと見る

2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
回復なによりです (はやたま)
2010-05-31 01:19:03
お久しぶりでございます。酸素ボンベが外れたとのこと、おめでとうございます。

いやあよかったよかった。
近々お会いたいですね。
返信する
おお!! (はやぶさ)
2010-05-31 01:53:24
久しぶりやなァ!!元気にしてまっか!?(笑。
心配してもらっていたみたいですみません。御覧の通りでございます。

今週、啓明さんと会う予定やけど、はやたま君も来る?。
返信する

コメントを投稿