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ブログタイトルを変更しましたが特に意味はありません。

2011 台湾・ベトナム旅行 その3~念願の基隆咖哩

2011年02月05日 20時29分14秒 | 旅――海外




手元に一冊の本がある。
下川裕治著『12万円で世界を歩く』という本だ。
『週刊朝日』に1988年6月から1989年12月にかけて掲載された貧乏旅行レポートの連載企画をまとめた本で、20年近く前に購入して以来、就眠前や入浴の友に何百回と読み耽ってきた愛読書である。

その中の連載第9回目、『東シナ海、南シナ海、4つの中国めぐり。超たいくつクルージング』という1989年5月に掲載されたレポートの中に「台湾のカレーライス」が出てくる。いや、「出てくる」というのは正確ではない。本文ではそのカレーについてはまったく触れられていない。ただ、網目印刷されたノスタルジックなライスカレーの粗い写真に、「懐かしライスカレーが基隆の屋台に」というキャプションが添えられ、支出を記した巻末の明細に「夕食(カレー)………20元」という項目があるだけだ。つまり本文とリンクした写真ではない。



一応のところ、基隆についての記述はあるが、それは台湾のフェリーが高雄―基隆間の運航に限り、防衛上の理由から一般乗客の乗船を禁止していることについて苦言を呈しているだけである。
「12万円で行けるところまで行き、帰ってくる」という企画趣旨から察するに、格安フェリー乗り継ぎのために立ち寄った基隆で、「予算が底を突きかけているから」という理由により20元という安価な“ライスカレー”を食べざるを得なかったのだろう。1989年当時の台湾元の為替レートが1台湾元=約5.8円だから20元は¥110そこそこ。資金が尽きかけた旅の終盤には実にありがたかったことだろう。“仕方なく食べたカレー”だから、貴重な文字スペースにインプレッションを割く必要もない。まぁ、そんな程度のカレーだったはずである(違ってたらすいません、下川さん)。それほどこの企画は過酷なものだったのだ。

しかし俺はこの写真に激しく惹かれてしまった。
台湾の屋台でカレーが供されるという事実。これは何気に凄いことではないか。しかも真っ黄色で粘度の高いいにしえの昭和カレーである(モノクロ写真からそう読み取れる)。おそらくは日本統治時代に伝えられたレシピに基づくライスカレーだと思うが、日本でも希少となりつつある昭和のカレーを台湾の屋台で喰えるとはいうのは実に魅力的に映った。
それ以来、「いつか台湾に行くことがあったら、基隆を訪れあのカレーを喰ってみたい」というのがささやかな夢となった


     *              *              *

とまぁ、前置きがずいぶんと長くなってしまったが、間違いなく今回の訪台における最大の目的はこのカレー屋探しにある。このカレー屋が存在しようがなかろうが、「台湾の屋台でカレーが食える」という可能性がある限り、そこに挑まない訳にはいかないのである。ってなことでささやかな夢の成就を果たすべく、基隆へ行き、このカレー屋を探してみよう、ということになった。
とはいうものの、20年以上前の記事である。この店(というか屋台)が存続している保証はないし、そもそもこの屋台が基隆のどこにあるのかも定かではない。あらかじめネットで近いと思われる店の見当は付けることができたが、果たしてそれが下川氏の本にあったものなのかは定かではない。手がかりは2つ。1つは写真のカレー皿にに書かれた「X魚湯」と「咖哩飯」という文字(加えて言うならば皿の花柄らしき模様も)。2つめは「当時は屋台だった」という事実。あとは……「必ずありつける」という根拠のない確信くらいか。


基隆へ行くには高速バスか台北駅から基隆行き縦貫線を利用する。基本的にはバス派の人間だが、台湾の鉄道に興味があったので縦貫線で行くことに。本当はリクライニングシートの対号列車(日本で言う急行のようなもの)、“自強号”に乗りたかったのだが、生憎と数分前に発車したばかり。駅務員さん曰く、「対号列車を待つよりこのまま區間車(日本で言う普通車)で行った方が早いよー」とのことなので、写真の區間車に乗車。


基隆に近づくにつれ、同じ車輌の乗客が1人、また1人と降りていき最後にはほぼ我々だけに。ちなみに台北の區間車の座席レイアウトはご覧の通りのやや変わったもの。単に座席だけを見れば、日本のストレートシート仕様のものよりもはるかに快適である。
  

基隆駅。台湾有数の港湾都市だけに、もっと混み合っているものかと思っていたが、その実、のんびりした地方の駅という趣き。約1時間の道のりだった。


基隆の駅舎。こちらも風趣に溢れる時代を感じさせるもの。聞くところによれば1967年竣工だとか。妙に落ち着く“站”である。


台湾でもっとも降雨量の多い基隆。この日も例外ではなくご覧の通りの雨模様。だが、それも港町らしい。




駅舎同様、駅前には歴史を感じさせる建物が連なる。混雑している訳でもなく、過疎っている訳でもない、静かな時間がたゆたう街。妙に落ち着く。一発で好きになった。




街中にはこうした道教の寺院が至るところにある。焦がれ続けたあのカレーに出会えますように。


ガイドブックに出ていた中華菓子の人気店で土産購入。ただ、旅の序盤なので最小限にとどめておく。


こちらは航海の神様である媽祖を祀る寺廟。「媽祖」といえばマカオの媽閣廟(マコウミュウ)を思い出す。もちろん両方とも同じ海神を祀る寺院である。漁港、漁民が多い基隆ならではの寺廟。


まずは基隆最大の屋台街、「基隆廟口」を目指す。もうすでにイイ雰囲気。たまらねえぜ。


露天が多くなってきた。目指す「基隆廟口」が間近であることを確信する。


おお、いい感じの廟が見えてきた。ここが「基隆廟口」であることは間違いなさそうだ。


最も活気づくとされる夜までには時間があるが(ここは基隆一の夜市でもある)、それでも日曜日ということもあり、かなりの地元客で賑わっている。意外にも観光客とおぼしき人間は少ない。静かにこの中に溶け込んでいくことにする。

     *              *              *

そしていよいよお目当ての“ライスカレー”を供する屋台探しを開始。
事前に調査しておいた情報によれば、確かに「基隆廟口」に咖哩飯を供する屋台はあるが、店に名前はなく、『48號』(”號”は日本語の“号”と同じ)という番号が掲げられているだけとのこと。確かに屋台の看板を見ると番号が振られている。これなら楽勝!と勇み、労せず件の48號を発見するが、その店はカレーとは全く関係ない柯記刨冰總匯(ミックスフルーツミルクかき氷)の店。《もしかして経営不振で撤退してしまったのかも…》との危惧が首をもたげ、廟の入口から一軒一軒営業している屋台を見て回るも、カレーを供する店は見あたらない。念のために廟の外に出て周囲の露天もしらみつぶしに覗いてみるが、やはりそれらしい店はなし。
どうやら危惧は現実らしい。ヘナヘナと力が抜けていくのを感じる。廟の路地裏にしゃがみ込みながら、「最後の悪あがき」にと、クソ使いにくいが一応グローバルパスポートなクソ携帯で再度件のカレー屋台に関して検索を試みる。

するとである。

件のカレー屋台の店番号が、実は“48號”ではなく“46號”だということが判明した。先ほど1號から順繰りに営業中の屋台を見て回った中に46號もあったと思うが、カレーを供している店はなかったはずである。が、最後の悪あがきついで。念のため、もう一度確認しに行くことにする。

果たして46號はそこに存在していた。そして軒先には大きな鍋があり、その中で真っ黄色なカレーが煮込まれているではないか。あらためて看板を見やれば確かに「咖哩飯」とある。紛れもなくここが目指す屋台だった。誰が見ても一目瞭然のカレー屋台。なぜ、これを見落としたのか。もちろん“46號”は間違いなく確認した筈なのだが……。“狐につままれた気分”とはこのことを言うのだろう。


喘ぐように、それこそゾンビーのように手を前に突き出しながら席に着く。もう、このときは視界までもが真っ黄色だった。


夢にまで見た基隆のカレーがまさに目の前に。これが下川さんが食したカレーかどうかは定かではないが、「これ以外ありえない」という確信があった。そして「間違いなくこのライスカレーは美味い」という確信も。


「カーリーファン」と告げるとマダムが鍋の中のカレーをおもむろにぐるぐると、しかし愛おしさのこもる手つきで具が均一になるよう攪拌し、ライスが盛られたカレー皿にレモンイエローのカレーを注いでくれる。一連の動作が実になめらかでそこには確かな巧がある。ちなみに咖哩飯には(大)と(小)があるが、もちろん(大)で決まりだろう。やっぱカレーといったら(大)なのである。


そして目の前に置かれたライスカレー。添えられた黄色いタクアンが鮮烈なカレーの黄色をより鮮やかなものとしている。注目すべきは皿の「咖哩飯」と「鮮魚湯」の文字、そして淡い花柄の模様。そう、敬愛する下川裕治が食べた“懐かしライスカレー”が20年以上の時を経て確かに目の前にあった。この一杯に今回の訪台のすべてが凝縮されていると言っても過言でないだけに、激しく心に感じ入るものがあったが、感涙にむせぶ前に味わわなければいけねえ。

さて、その味。
日本のそば屋で供されるいにしえ“ライスカレー”を思わせるルックスだが、ベースとなっているのはプンと香る鰹だしではなく、動物系の力強いスープ。そしてほんのりと中華系の香辛料の香りを感じる。見た目は日本のライスカレーを踏襲しているが、しっかりと自分たちの食文化を融合させ、タイワニーズとしてのオリジナリティが感じられるライスカレーへと昇華させている。肉は中華系の香辛料で下ごしらえされたかなり大きな豚肉の塊(定期的にカレー鍋の中に投入されている)。独特の風味というか滋味があってとっても美味い。
当初、このライスカレーを喰うことで日本統治時代のなごり的なノスタルジーを感じるものかとばかり思っていたが、実際に胸中に訪れたのは台湾という「国」の懐の深さと力強さ。それほどまでにたくましいカレーだった。

ということで夢中で食べ食べあっという間の完食。
ツレがマンダリンを操ることのできる人間なので、煮方のマダムに「これを食べるために台湾に来ました」と伝えてもらいつつ、しばし三者会談を愉しむ。マダムは北海道へ家族旅行したことがあるそうだ。新たに俺の横に座ったおばさんはカレーの上に豚の角煮のような肉塊を載せた特別仕様のカレーを食べている。左横に座るおじさんはライスカレーに味噌汁を付けてもらっている(驚くべきことに、ちゃんと“ミソシル”という呼び方で供されている)。基隆には、しっかりとライスカレーが根付いていた。
なんて素晴らしい光景なんだろう、と思った。


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