goo blog サービス終了のお知らせ 

Alphanumeric

ブログタイトルを変更しましたが特に意味はありません。

京都・奈良 仏像めぐりの旅 その5・法隆寺

2010年07月25日 03時10分30秒 | 祭事・イベント・神社・仏閣・神事


薬師寺の次にやってきたのは、正岡子規の「柿食えば、鐘が鳴るなり法隆寺」でお馴染みの法隆寺。
薬師寺では、金堂の薬師三尊像、大講堂の弥勒三尊像など、国宝・重文クラスの見事な御神仏を拝するこがとができたが(写真撮影は禁止)、こちら法隆寺には、百済観音、救世観音、釈迦三尊像という重宝級の御神仏が控えている。ここを見ずして斑鳩を去るべからずなのである。
千数百年もの間、白布にぐるぐる巻きにされ、薄暗い厨子の中に閉じ込められていた救世観音。
近年になって百済から飛鳥時代の日本へと出自が解明された百済観音。
仏教が日本に伝わった後、最初に作られた仏像と言われる釈迦三尊像。
いずれも奈良見仏のハイライトに相応しいミステリアスな御神仏たち。否が上にも期待のボルテージが高まってきやがる。



薬師寺を後にした途端、空を覆う雲が消え、完全に抜けた空となる。写真では分からないが松の花粉が舞いまくっていた。幸いにして花粉アレルギーとは無縁なのでダメージなし。


そしてここでも金剛力士(吽形)が睨みを利かす。土埃を被り陽の光で色褪せ満身創痍。それが迫力を生む。罰当たりなことに、相方である阿形を取り忘れてしまった(あぎょ~ん)。




中門をくぐると美しい前庭が広がる。


夢殿。山岸涼子作画『日出処の天子』の中で、厩戸王子(うまやどのおうじ=聖徳太子)が瞑想に使っていた伽藍がこれである。作中だとかなりこぢんまりとした(加えてショボい)伽藍に描かれていたが、実際はもう少し立派。伽藍内には国宝である救世観音が安置されている。


金堂。これも国宝。堂内には金銅釈迦三尊像はじめ、金銅薬師如来座像、金銅阿弥陀如来座像などが安置されている。ごらんの通りの盛況具合につき、やや慌ただしかったが無事に見仏を果たすことができた。


修学旅行生たち。すんげく楽しそう。超加わりたい。


そんな修学旅行生たちの集団に混じりながら百済観音堂へ向かう。


ここが百済観音堂。この中に百済観音が安置、というかガラスケースに入れられ“展示”されている。ほっそりとした救世観音よりもさらにスリムな8頭身のフォルムを持つ百済観音。法衣に張り付くボデーラインが柔らかいS字を描いてる様がなんともなまめかしい。女性的な艶やかさとは明らかに異質のなまめかしさ。性を超越した神々しさと言い換えるべきか。


斑鳩神社へ続く道。法隆寺とも縁深いお社だが、今回は華麗にスルー。


法隆寺から東に歩いて数分にある中宮寺。山吹に囲まれた実に風情ある古寺だ。ここも聖徳太子と縁深いお寺で、自身の母である穴穂部間人皇后(あなほべのはしひとのひめみこ)の御所を寺にしたと言われている。
ここが大変ナイスなお寺で、畳張りの本堂に正座して、ごくごく間近で本尊である木造菩薩半跏像を拝することができる(しかもご住職の説明付き)。その憂いを含んだ静かな笑みは、「モナリザ、スフィンクスと並んで世界三大微笑像の一つに数えられている」とのこと。この木造菩薩半跏像も大和路のご神仏の傾向に則り、スリムで滑らかな曲線を纏う。


朝からひたすらの参拝だっただけに、腹もペコペコ。ということで参道沿いの民芸茶屋『松鼓堂 堀本』にてメシを喰うことに。




烈しくそば気分だったので古代米がセットになった「天ぷらそば定食」をオーダー。

「お伊勢参り」に付きものの伊勢うどんと同じく、強い日差しの中の参拝で弱った胃腸を考慮してか、うどん、そば共にかなり軟らかめに茹でられている。やや肩すかしを食らった感が否めないものの、確かに今の体調だとこれくらいがちょうどいいかもしんねえな。


天気にも恵まれ、いい参拝を果たすことができた。斑鳩の里をドライブしつつ、京都へ戻ることにする。


京都へ向かう峠道で通りかかった神秘的な野池。農業用の灌漑池のようだが、鏡面のような凪いだ水を湛えており、美しかった。


さらば斑鳩の里よ。

             *             *             *

修学旅行や仕事でこれまで何度か奈良を訪れたことはあったが、こうして古刹巡りで訪れてみると、京都とは趣きの異なる、素朴で落ち着いた土地だということがよく分かる。必ずや近いうちに「いま、ふたたびの奈良へ」を果たしたいと思う。


京都・奈良 仏像めぐりの旅 その4・薬師寺

2010年07月18日 14時20分07秒 | 祭事・イベント・神社・仏閣・神事


カレーの余韻覚めやらぬまま迎えた3日目。
今日は薬師寺を参拝することにしよう。宿泊先から薬師寺まではクルマで正味20分程度の道のり。眠気覚ましのドリンクを飲み終わる前に到着してしまうほど近い。昨日と同様、ややどんよりとした雲に覆われ、わずかな雲の切れ間からお天道様が顔をのぞかせる天候。抜けるような青空に越したことはないが、古刹名寺巡りという状況を考えれば、こうした暗鬱たる空模様というのも悪くはない。さぁ、本日一発目のお参り、行ってみようか。


天武天皇によって発願され、持統天皇によって本尊開眼、文武天皇によって飛鳥の地で堂宇の完成を見た後、平城遷都に伴い現在の西の京へと移された薬師寺。日本を代表するユネスコ世界遺産の一つ。


金剛力士像(吽形)。出で立ち、サイズ、表情、色合いすべてが東大寺のものと異なる。どことなく平成20年の蘇民祭のポスターを彷彿とさせ好感度高し。


金剛力士像(阿形)。そのカラフルな出で立ちと得体の知れぬ自信に支えられたかのような得意気なポージングはかのハヌマーンを彷彿とさせる。飛びそうですらある。


伽藍内金堂。修学旅行生の姿もチラホラ。ン十年前の自分を思い出す。あんときゃ、いかに女子とどっかにシケ込むかに頭が占有され、こうしたものを楽しむ余裕なんてなかったが。


向かって左が東塔。中央右寄りにチラッと見えるのが西塔。右端が金堂。


こうした朱色の回廊を歩いていると、JR東海の『そうだ京都いこう』のCMの軽妙洒脱なフレーズが自然と浮かんできやがる。一発、なかなかいいのを捻ることができたが、掲載は控えさせていただくぜ。


横幅41m、奥行20m、高さ17mの伽藍最大の建造物である大講堂。薬師寺公式HPによれば「南都仏教が教学を重んじ講堂に大勢の学僧が参集して経典を講讃したため」とあり、文字通りの講堂として使われていたことが分かる。在りし日の光景が頭に浮かぶ。



「玄奘三蔵院伽藍」。その名から想像するとおり、西遊記でお馴染みの三蔵法師を祀る伽藍。堂内には中国から分骨された三蔵法師の霊骨と、“仏師”大川逞一の手による玄奘三蔵像が安置されている。残念ながら修復の最中でこれ以上と近づけず。


いい具合に青空が顔を覗かせはじめた。この空にターコイズブルーの中学生たちが爽やかに映える。


さ、次行ってみようか。


京都・奈良 仏像めぐりの旅 その2・奈良へ

2010年06月09日 21時33分45秒 | 祭事・イベント・神社・仏閣・神事


2日目――



駅前の日産レンタカーでクルマを借り、まずは奈良との県境に近い浄瑠璃寺へ向かうことにする。例によってオレ様氏はCo-Driverとして、前を走る車のナンバーを合計してみたり、上空を飛ぶ飛行機の航続距離を言い当ててみたり、街道沿いにカレー屋を発見するたび叫び声を上げるなどして、ドライバーが運転に専念できるようサポートを行う。もちろん、要所要所で居眠りを織り交ぜることも忘れない。




浄瑠璃寺へ向か道中。そう、この古刹は徒歩や自転車では辿り着けないような山中にあるのだ。


そして到着した浄瑠璃寺山門。生憎と雨。本堂へ向かうにつれ雨脚が強くなってきた。やむなく途中の土産店で傘を購入。


浄瑠璃寺本堂。堂内には本尊である国宝の九体阿弥陀仏が安置されている。もちろん内部は撮影禁止。拝観料を払って堂内へ。九体の阿弥陀如来像の前で座禅を組み、説法を受ける。本堂内には四天王像も安置されているのだが、うち多門天が京都国立博物館に、広目天が上野の国立博物館に出張中とのことで、持国天と増長天しか拝めなかった。
残念ついでに薬師如来が安置されている三重塔は修復により閉扉中。とはいうものの、雨の浄瑠璃寺は凜として美しく、本堂内の九体阿弥陀仏は想像以上に神々しい偉観であった。いいもん見させてもらったよ。


浄瑠璃寺本堂前の庭園は極楽浄土を表しており、「阿字」を模った写真の宝池を中心に、西に九体阿弥陀仏を祀る浄瑠璃寺本堂、東に薬師如来像を祀る三重塔が配置される。


次にやってきたのは東大寺。奈良県庁傍の駐車場にクルマを駐め、地下道で東大寺前へ。


思ったよりも空いている東大寺。そして日本人よりも外国人観光客の姿の方が多い。


なかなかにフォトジェニックな鹿だが、こちらが構えるカメラには目もくれず鹿せんべいを持った人に熱視線。


意外と貪欲な鹿。修学旅行中学生が持っていた「旅のしおり」を咥えて逃走。ヤギですか、あなたは。


南大門の金剛力士像。左が吽形、右が阿形。“仏師”運慶によって掘られた守護神。


大仏殿。世界最大級の木造建築。つい先日、この名刹とそっくりなフォルムを持つPCケースをレビューしたことを思い出す。訪れたのは中坊の頃の修学旅行以来だ。


真実の世界をあまねく照らし出す智慧(ちえ)の仏、盧遮那(るしゃり)仏坐像。酔っぱらい同士のケンカに「まぁ、いいじゃないッスか」と仲裁に入る謎の徳者のようなポーズだ。


盧遮那仏坐像の左脇に侍する虚空蔵菩薩坐像。福徳と智慧を蔵する仏。もっとも俺に足りないアビリティだ。その功徳に少しでもあやかるべく、心して拝する。


浄瑠璃寺で見仏が叶わなかった四天王の一尊、広目天。その名が示す通り、広く遠きを見渡す千里眼を持つ守護神。その貌を見れば、ちゃんと目をこらす表情をしていることが判る。ちなみにこの裏には多聞天立像が安置されている。


持国天(右)、増長天(左)は何故か頭部のみ。説明書きにも、どういった経緯や背景でそうなったのかは記されていない。ただ、「広目天、多聞天は完成したが、持国天、増長天は頭部のみが残った」という結果のみが語られているだけ。志半ばで仏師が没してしまったのだろうか。


それにしても東大寺はいい。国宝や重要文化財指定の仏像を目前で拝め、なおかつ写真撮影までOKってんだからただただ頭が下がる。


手向山八幡宮を抜け、次に向かうは同じ境内にある二月堂。奈良時代に建造された国宝指定の堂宇。「お水取りの二月堂」と言えばピンと来る人も多いだろう。


54段の階段を登ってやってきた二月堂の舞台。ちなみに現今の堂宇は寛文9年、徳川家綱によって再建されたものだってさ。


奈良盆地を望む。正面に大仏殿が見える。左下のこぢんまりとした堂宇は四月堂。その裏手にはカレーライス&カレーうどんが名物の喫茶処、『鹿鳴園』がある。その匂い&シチュエーションにかなり強く惹かれるが、夜にカレーを喰う予定なのでぐっと堪える。


二月堂向いにある茶所、『龍美堂』で休憩。手前に見える鉄器は200余年の歴史ある茶釜とのこと。そんな長く使えるものなのか。


名物の「梅くずきり」を抹茶でいただく。結構な肌寒さを感じていたので温い抹茶が身に染みる。


これも名物の一つ、「わらび餅」。カナダはバンクーバーからやってきた外国人観光客としばし談笑。幼少の頃からの夢であったサーモンダービーついて2,3質問させてもらった。


南側の階段の反対にある階段を下る。お水取りと並ぶ二月堂の恒例神事、「お松明」の際にはこちらの階段が主として使われるとのこと。


そろそろ閉門時間近く。ということで東大寺を後にすることに。いい参拝だった。


ホテルへ向かう道中、4月24日から始まる『平城遷都1300年年祭』の会場の前を通りかかる。残念ながらこの日は4月20日につき、まだ準備中。


世界遺産である平城宮跡。ここの前の広場が『平城遷都1300年年祭』のメイン会場となる。開催期間は11月7日まで。チャンスがあればぜひ訪れたい。さて、早めに投宿先にチェックインしてカレーでも喰らいに行こう。


京都・奈良 仏像めぐりの旅 その1・京都

2010年05月20日 18時02分15秒 | 祭事・イベント・神社・仏閣・神事

4月中旬のある朝、なんとなくヒマだったこともあって、「久々に京都でも行ってみるか」と思い立ち旅に出ることにした。
ちなみにこの日の午前中は、確定申告の還付金受け取りに関する手続きで新宿にあるメインバンクに行く必要があり、東京駅発の「のぞみ」に乗ったのが13:00過ぎ。やや遅めの出発となってしまったが、もともと突発的に決まった旅だし、新幹線は空いていたしでよしとする。

京都観光と言えば、真っ先に考えなければならないのが現地での移動手段。
2年前の2月に取材で京都を訪れた際は、レンタサイクルを使って名刹巡りを行った。寺から神社、再び寺院へと小気味よく古刹名寺を継ぐことができ、なかなかに有意義な市内観光を果たすことが出来たが、今回は奈良をメインに山奥の古刹なども廻る予定なので、2日目からレンタカーを使うことにした。寺ばかりでなく景勝地なんかも見てみたいし、駅から離れた穴場的なカレー屋探しなんかもカマしてみたい。なによりもクルマだと嵩張ることを気にせず買い物もできるしね。駐車場代にさえ目を瞑れば、いいことづくめだったりするんだな。これが。
         
*              *              *


出張客で賑わう時間帯を外したこともあって東京駅発の「のぞみ」車内は思ったよりも空いていた。日頃、仕事でイヤというほど新幹線に乗っているが、こうしてレジャー客として乗るのは久しぶりだ。ちなみに翌朝までに入稿しなければならない原稿があり、車内で執筆を行う必要があったのだが、ありがたいことに乗車した700系新幹線は一席ごとにコンセントが装備され、さらにはワイヤレスLAN接続サービスまで提供されているという至れり尽くせりぶり。おかげさまで仕事もはかどり主要部分を往路の車内だけでほぼ書き終えることができた。後はホテルで残りを仕上げ、推敲をカマして送信するだけ。とりあえず後ろめたさに苛まれることなく旅を愉しむことが出来そうだ。

では、いざ、京の都へ。


「のぞみ」に乗車したのはいいものの、駅弁をカマし忘…、いや駅弁を買うのを忘れていたことに気づく。こんなトキの強い味方となるのが「車内販売」。残念ながら所望する「シウマイ弁当」は無かったが、なかなかウマそうな弁当をGetできた。


名前の通り、野菜オンリーの弁当だった。さり気なくラッサムとチャパティが添えられて…ということはなく、いずれも和風ダシベースのさっぱりとした料理で野菜好きとしては大満足。気に入ったぜ。


14:50京都着。まだまだ陽は高い。


予約を入れた駅前のホテルに投宿。すぐに出かけることにする。


駅前のバスターミナルからバスに乗ってやってきたのは金閣寺。17:00までと他の神社仏閣よりも拝観時間が長いので、今回のような夕刻近くの拝観にはうってつけ。


久々に訪れた金閣寺は、土産店で売られている金メッキの東京タワー並に金色に輝いていた。矢沢、こういうのキライじゃない。


京都を代表する名刹だけに、外国人観光客の姿が多い。欧米人を中心に香港や台湾、ベトナムといった東アジアからの観光客も。


裏から見た舎利殿。鏡湖池側から見るよりもはるかに近くでその造りを見ることができる。


夕佳亭からの眺め。だんだんと日が暮れ始めてきた。閉門時間も間近だし、そろそろここを後にすることにしよう。


夕暮れの北大路通りをブラブラと歩いてやってきた『大こう本店』。京漬け物の名店だ。


どれを買うか迷っていたら、「ご試食どうぞ」とお薦めの漬け物とお茶を振る舞われる。向かって右側の碗が旬の浅漬け。左側の碗がごぼう漬けや柴漬け、奈良漬けなどの日持ちする定番漬け。


2泊する予定なのでできるだけ日持ちする漬け物を、ということで「里ごぼう」と「刻みすぐき」「志ば漬け」などを購入。日帰りならば迷うことなく浅漬けを買うのだが。


「時代劇でよく使われるお寺だし、一度見ておくといいんじゃねえかな」という相棒のアドバイスに従いやってきた大徳寺。一度は荒廃の憂き目に遭うも、頓智話でお馴染み「一休さん」こと一休宗純によって興隆を得た臨済宗大徳寺派の総本山。


残念ながら18:00過ぎという夜の帳が落ちつつある時間帯だけに既に閉門。ちなみにこの龍源院には、「木造釈迦如来像」という重要文化財指定の本尊が安置されているとのこと。見られなくて残念。


大徳寺西側にある高桐院には、細川ガラシャの墓石とされる春日灯篭があり、秋の紅葉の絨毯の上のそのたたずまいはそれは見事だという。次回、必ずや。


日の暮れた大徳寺を後にし、北大路駅から烏丸線、東西線と地下鉄を乗り継いでやってきたぜ四条大橋。


四条大橋を渡り祇園方面へ。この川は高瀬舟でお馴染み高瀬川。そろそろ腹が減った。何か貪りてえや。


やってきたのは「おめん」という名のうどん屋。江戸時代に上州で生まれ、昭和43年に京都に移転して歴史を紡ぎ続ける老舗のうどん割烹だ。余談だが「おめん」と聞くと、その昔DTMのトップドライバーだったヨルグ・ファン・オッメンを思い出す。


つけ汁で食べる冷やうどん。つけ汁にはゴマや薬味だけでなく、きんぴらやなます風大根の千切り、キャベツのおひたしなどもブチ込み、そこにつるつるのうどんを浸してずびずずと掻っ込む。複数の野菜の香りと甘味、薄めのつけ汁の風味が渾然一体となってさっぱりとしつつも複雑な味を生み出しなかなかに美味い。これは病みつきになりそう。


上州発祥のうどんだが、味わいの上品さや見た目の洗練ぶりはいかにも京都らしい(量がこじんまりしているところなども)。ああ、カレーが喰いたい。


夜の南座。祇園方面へと歩を進めつつ、もう少しブラブラしていくことにする。