goo blog サービス終了のお知らせ 

Alphanumeric

ブログタイトルを変更しましたが特に意味はありません。

L E B A N O N

2012年04月14日 18時34分52秒 | MOVIE・SPORT




前々から観たいと思っていた戦争映画『LEBANON』を観た。
1982年のイスラエルによるレバノン侵攻を、IDF(イスラエル国防軍)の戦車の展望装置から“眺め”るというファーストパーソン・ポイントヴューが中心となった映画。全編のうち、実に85%以上が展望装置もしくは戦車内の映像という、徹底した“現場視点”に基づく作品として小さな話題を呼んだイスラエル映画である。『レッドアフガン』や『バルジ大作戦』を筆頭に、戦車映画大好きな身としては待望の作品だと言える。なによりも「イスラエル」という言葉に過剰反応してしまう性分ゆえ、これを看過することなど、愛するカレーを3日間にわたって口にできない苦行に等しい。そう、観ないわけにはいかないのである。

そんな期待を抱きつつ、眼をギラギラと血走らせながら鑑賞したのだが、溢れる期待に反して「イマイチだった」と言うのが正直な感想。なぜならば戦車搭乗員たちが揃いも揃ってヘタレであり、命令に対する任務遂行能力に著しく欠けているから。おまけに狭い戦車内で甲論乙駁な諍いを飽きもせずに延々と繰り広げているせいで、本来、この映画最大の売りである“戦場の只中にいるという緊張感”がどんどん希薄になっていってしまう。いずれも徴兵された兵士であり、総じて士気は低く、その中の幾人かはレバノン侵攻初日にして任務遂行よりも服務期間を安寧に終えることを第一に考えている。そんな烏合の衆が操る戦車だから大した働きも出来ず、無論、“外の仲間”の盾となることもできず、さらに爆弾を満載したテロリストの乗用車へ砲撃を加えることすらもできず、挙句にはニワトリを積んだ農民のおじいちゃんが運転するトラックを誤射してしまったばかりか、対戦車砲を構えた敵兵士と対峙した際には、やはりヘタレてトリガーを引くことができずHEAT弾の直撃を受けてしまう有様。敵兵士にクリティカルな一撃を加えられたのは、市街地戦にて集合住宅に篭城するパレスチナ人テロリストを、人質に獲ったキリスト教徒の民間人家族もろとも吹き飛ばしてしまったときだけ。終始そんなドタバタが続く。

ストーリーの中心となる戦車搭乗員は、車長のアシ、操縦士のイーガル、砲撃手のシムリック、装填手のヘルツルの4人。ヘタレの中心的存在はシムリックとヘルツル。“死”を与える役割のシムリックの心情は理解できるが、ヘルツルの暴慢さと怠慢っぷりには殺意を覚えるほどである。「ヘルツル」を名乗るなんざ億万年早ぇ。ヘルペスで十分だ。いや、屁でいいか。

とはいうものの、闇夜のひまわり畑を暗視装置の映像越しに進行するオープニングは、まさに戦場入りする直前の慄きと緊張がリアルに感じられて興奮を覚えたし、爆撃後の市街地に入城するシーンでは臓腑を露出させ涙を流すロバや黒焦げの死体をはじめとした屍累々な状況に慄然とするものを覚え、ストーリー終盤の戦場からの脱出劇は、一握りの仲間を売ることで大規模な部隊を安全圏へ逃す、という敵との裏取引に基づく謀略が働く中、下っ端であり密閉された空間内であるがためにどうハメられ何が起きようとしているのなかがまったく理解できない状況の恐ろしさがあった。そしてなによりも驚くべきはこの映画が1982年のレバノン侵攻初日の設定であるという事実。そう、ここから地獄が始まっていくのである。


戦車はセンチュリオン改、通称“ショット戦車”




ピット裏探検

2007年05月09日 03時29分59秒 | MOVIE・SPORT





すべてEOS 20D + TOKINA AT-X 107 DX FISHEYE RAW

しつこく富士スピードウェイでのカット。

ひとしきりメインスタンドのGTカーを撮った後はピット裏を探検。“まったり感”を求めて歩いてみれば、黒澤ガンさんご子息、琢弥選手が憮然たる面持ちで歩いていたり、星野一義監督が険しい表情でブリーフィングしてたりなど、予想に反してそこは殺伐感漂う世界だった。
だから俺はスニーキーに物言わぬオブジェクトにレンズを向けた。

SUPER GT テスト走行

2007年05月04日 19時14分29秒 | MOVIE・SPORT


SUPER GTのテスト走行を観に、富士スピードウェイへ。
練習開始時刻は5月2日の8:00AMから。しかし朝方まで残務に追われ、家を出発したのは正午寸前。半ば絶望的な気分で新宿に行けば、御殿場行きの『あさぎり号』の発車は1時間半後。「もう駄目だ」とへたり込みそうになる刹那、「西口から出る高速バスに乗れば1.5時間後には御殿場ですよ」との窓口係員からの天啓が。“出発は3分後ですんで急いでください”との声を背中にうけつつ重い機材を担いでラストダッシュ、南口から西口までを2分で走り通す。ギリで間に合った~


すべてEOS 20D + EF-S 17-85mm f4-5.6 IS USM

そんなこんなでFISCO、じゃなく富士スピードウェイに着いたのはGTカーのテスト走行真っ最中の14:40。道中、タクシーの運転手さん(御殿場からタクシーに乗った)から、かのサーキットにまつわるキナ臭い裏話(たとえばF-1開催権を鈴鹿からぶんどったポリティカルな話など)を聴いて一人勝手にボルテージを上げてゲートイン。先行メンバーたちと無事、落ち合うことに成功したのだった。

さっそく1コーナー前に陣取り、AFモードを「AIサーボ」にセットして流し取りに挑戦するも、17-85mmというレンズなのでクルマが小さすぎてあんま流れない。イマイチつまらないのでピットビルのテラスからピットインするGTカーを撮ることに。これがなかなか面白く、かつ簡単に撮れるんでしばらくここでパシャパシャやってた。つーワケでとりあえず第一弾、見てくれや。

炎628

2006年04月16日 03時39分37秒 | MOVIE・SPORT
前々から自分の中で、「観たい映画No1.」だった『炎628』をやっと観ることができた。

      ◇      ◇      ◇

有史以来、地球上で最も凄惨かつ陰惨&残虐性を極めた戦いは、ガ戦でもなければインパールでもナム戦でもなく、ましてやゲティスバーグでもなくWW2時の独ソ戦。純血アーリア人と東方スラブ民族という、やる気まんまんの民族の争いだけにやることなすことラディカル過ぎてエグいのだ。そんな独ソ戦の瘴気の全てを内包したかのような映画が、1985年バリバリの冷戦時下のソ連で作られたこの映画。

      ◇      ◇      ◇

ナチスの虎の子部隊、「移動殺戮部隊」の異名を持つアインザッツグルッペンの蛮行を描いた作品だが、よくもこんな恐ろしい映画を作れたものだと感心する。登場する人々みんなが悪魔に憑依されているかのような演技をしたり(全員リンダ・ブレア状態)、たびたび飛来するルフトバッフェのフォッカーGI型の飛行音が遠くから聞こえるアジテート放送みたいで凄く気持ち悪かったり、終始臓腑を吐き出すかのような呻き声が聞こえ続けていたり、機銃掃射のシーンで本当に牛を撃ち殺してしまったり、また、実際撃ち殺しているだけあってその牛の断末魔や表情がやたら生々しかったりなど、とにかく禍々しい。そんな雰囲気の中、終盤のアインザッツグルッペンによる映画史上最恐の凶行シーンを迎える。このシーンはひたすら恐ろしい。今まで数多の戦争映画を観てきたが、これ以上怖くて不快で悪魔的なシーンはない、と断言できる(グロテスクなシーンは一切なし)。この凶行を目の当たりにした主人公の少年は、恐怖のあまり一夜で老人の面相に変化してしまった(この少年の演技力も凄い――本当に凄まじい心的ストレスを与えて老人顔にさせてしまったんじゃないのかと心配してしまったほど)。



観ようによってはカルト性の強いホラー映画だよ、これ。
「子供から全てが始まる」というドイツ人青年将校が発するそれなりに重要な暗喩があるのだが、正直、「そんなんどうでもいいじゃん」ってな感じでメッセージの部分は自己マスキング。だって、後のベルリン入城の際、これ以上の蛮行を彼等は行うことになるんだし。
純粋に雰囲気だけを楽しむことに徹して観た。



      ◇      ◇      ◇

「さすがソ連映画」と思ったのが火器類のエフェクトの凄さ。凄いというか本物。トレーサーが描く地上スレスレの火線に激しく萌えてしまった。さらに岩に当たってドロップして飛び去っていく弾丸……やってくれる。
また、ドイツ軍の描き方も悪くない。安っぽさもなく、車両や軍装なんぞもかなり頑張っている。特に純血然とした青年将校なんぞはハリウッド映画のドイツ人よりもそれらしい。東ドイツの俳優を使ったのだろうか。
映画のメッセージよりもそんな点ばかりを注視していた。



      ◇      ◇      ◇

時にソ連は凄い映画を作る(った)。上映時間5時間を超える『ヨーロッパの解放』然りウクライナ赤軍工兵隊が爆弾を駆使して山を削り史実の戦場と同じ地形を作り出してしまった『ワーテルロー』然り。これらの映画は1960年代終盤に100億超という、今の価値にしてみれば兆単位の大金とソビエトの威信をかけて作られた大作。この『炎628』もそんな大作の一つ。ただし万人に薦められる映画ではない。むしろ薦めたくない類の映画。
でも観てよかった。

ミューニック

2006年04月14日 02時58分50秒 | MOVIE・SPORT
遅ればせながらスピルバーグの『ミュンヘン』を観た。
まずは原作(『標的は11人』)に忠実に作られた映画で一安心といっておく。なんせ原作が傑作とも言えるノンフィクションなもんでね。

ただ、映像ゆえにモサド内のスラブ系ユダヤ人(原作では“ガリシア人”と表しているがイベリアのガリシア人とは別モノのポーランド系の人々のこと。正確には「ガリツィア人」と訳すべきだろう)と西欧系ユダヤ人(主にドイツ系ユダヤ人。ただ、アシュケナジーと呼ぶべきか迷う。いろいろと)との不和や、モサド・エージェントが22口径の、さらに減装仕様のブレットにこだわる理由、オリンピック選手村でのイスラエルレスリング選手団の命を賭してのテロとの戦い――特に素手でテロリストを殴り倒し、至近距離で顔面を撃たれてもなお別のテロリストを殴って昏倒させ、その刹那新たに現れたテロリストによって胸部に自動小銃の掃射を受け一度は事切れたもののしばらく後に蘇生し、キッチンナイフを手に取り再び現場まで這い戻って手近にいたテロリストに斬り付け、最後に頭を撃たれて死んだモシェ・ワインバーガーの獅子奮迅ぶりなど――といった描写が希釈されていた感があったのは残念。逆にテロ実行直前、パレスチナ人テロリストが円陣を組み小さく鼓舞し合うシーンは、テロ実行直前の緊張感が伝わるようで深く印象に残った。

            *            *            *

よくこの映画の映画評で、「事を前にしてうろたえるモサドにリアリズムを見た」「モサドといえども所詮は人間」「モサドは神格化されすぎ」といった風潮が散見されているのを見る。
しかしながら最終的にアフナーのチームは11人のうち9人を殺すことに成功しているのである(最終的に別チームがミュンヘン五輪事件首謀者のサラメを殺害して復習劇をほぼ完璧に成就させた)。また国産戦闘機(クフィール)開発のためにフランス・ダッソー社から門外不出のミラージュエンジンの設計図をあっさりと盗み出して見せたのもモサド・エージェント、第三次中東戦争の歴史的大勝利にしてもモサドのエリートであるエリ・コーエンやウォルフガング・ロッツの諜報活動によるものだし、「バビロン作戦」において、核開発施設に潜入し、シュライクミサイルの誘導装置を取り付けたのもモサド・エージェントだった。
この映画でモサドの“粗”が見えたとしても、モサドは我々が知り得る中東の歴史的事件の中核として関わっていることは紛れもない事実なのである。

            *            *            *

そういうワケで個人的にツボを突く良作映画であった。ただし、この映画の中に「イスラエル VS パレスチナ」の図式を見い出そうと思ってはいけない。劇中の両民族の宿怨は意外にもあっさりと描かれている。よって、この映画を楽しむためには、イスラエル建国に対する最低限の知識が必要だろう。

余談だが、「美形のテロリスト」と評され、アラファトに可愛がられたアリ・ハッサン・サラメ(ロバスミに似てる)が、若作りしたカダフィにしか見えなかったのは残念。この部分、結構楽しみにしていたのだが。
もう一つ、主人公を演じたエリック・バナがどうしてもアシュケナジーに見えなくてしっくりこなかった(まんまスファルディとして通用しそうな顔だし)。原作から想像するに、若き日のエドワード・フォックスをイメージしていた。バナ自体はいい役者だ。完璧に演じきったと思う。

あと、
×「ファタ派」
○「ファタハ」
な。



EOS 20D + EF 50mm f1.8

munch

2006年01月02日 05時19分41秒 | MOVIE・SPORT
スピルバーグの『ミュンヘン』のCMに一瞬、魔法使いの婆さんみたいな老婆が映る。

「ミュンヘンという言葉」+「スピルバーグ」+「白毛の老婆」ですぐにピンときた。

元イスラエル首相、ゴルダ・メイヤ。
第四次中東戦争、エジプト・シリア軍によるヨム・キップルの奇襲に対し、核ミサイルによる報復を即決した女性首相(その後の反撃でゴラン高原の再奪取に成功し核使用は取り下げられた)。徹底した官僚主義でイスラエルの公共機関の機能をマヒさせた人。リクード政権でなくとも、また徹底したシオニストでない人々が為政を行っても「イスラエルは怖いのだ」ということを再認識させてくれる女性――



EOS 20D + EF-S 17-85mm f4-5.6 IS USM + 550EX



そのゴルダ・メイヤやモサド、引いてはユダヤ人という存在に、存分に浸れそうな映画が冒頭の『ミュンヘン』。
久々に心の底から「観たい」と思わせる映画だ。昔から興味があったゴルダ・メイヤという女性の人間的な部分を幾ばくか知ることが出来そうだし、監督がユダヤ系であるスピルバーグであるという点も興味深い。ついでに言えば、GSG-9はじめ各国のカウンター・テロリズム機関設立のきっかけとなったブラック・セプテンバーによるミュンヘン五輪事件が題材である点も見逃せない。また、これは邪推だろうが、今年6月のサッカーW杯ドイツ大会開催に対する警鐘もしくはミュンヘン五輪への追想の意が込められているように思え、このエントリを綴っている間に「観てえ」から「観なければ」という気持ちになってきてしまつた。

ロバート・カーライル主演の『ヒトラー』以来、楽しめそうな映画だ。

公開は2月初旬。

Scotland the brave

2005年08月11日 04時10分16秒 | MOVIE・SPORT
中村俊輔がセルティックでデビューを飾った。随所に“らしい”プレーを連発し、後半39分に交代。得点・アシストなし。

実は2000年の初冬、グラスゴーでセルティックの試合を観たことがある。

               *               *              *

当初、イブロックス(アイブロックスとは呼ばない)でレンジャースのホームゲームを観るつもりだったのだが、試合はグラスゴー到着の前日に行われてしまっていた。で、第2候補のセルティックの試合を観に行くことに(VS st.ジョンストン戦)。
セルティックのホームスタジアムは、グラスゴーのイーストエンドにある。低所得者向けの集合住宅が立ち並ぶエリアを歩いて行くと鉄柵で囲まれた殺風景な湿地帯に出る。その風景は放射能漏れで向こう何百年間立ち入り禁止となった実験場跡を彷彿させる。遠くからは太鼓の音。そのまま湿地帯を歩いてゆくと突如としてその偉観が露になる。それがセルティック・パーク。収容人数6万人超のケルト人の拠り所。
スタジアムの敷地は横縞のセルティックサポーターで埋め尽くされている。50、60のオヤジも多い。皆酔っている。グラスゴーは気性の荒い男達の街。暴力が空気感となって漂動している。この時は同じカトリック系クラブであるstジョンストン相手だから暴力はあくまでも空気感だけに留まる。貯めるのだ。貯めたエネルギーを爆発させるのは、アングロサクソンの、しかもプロテスタントの、しかも支持階級が中産以上の、しかもグラスゴーのウェストエンド地区のグラスゴー・レインジャースとのダービーマッチの時。その爆発は「オールド・ファーム」と呼ばれている。

試合は後にリーズでブレイクするマルコ・ヴィドゥカの2得点を含む4-1でセルティックの圧勝。ラーションのアシスト付き。印象としては典型的な4-4-2で徹底したサイド攻撃が特徴。しかもサイドから上がるボールの殆どは深く抉ったマイナス気味の高速センタリング。アーリークロスなんぞは上げない。後半途中から飽きてきてラーションだけを見ていた。

               *               *              *

セルティックというクラブは“うねり”が似合うクラブだ。スタジアム内は人間のうねりとチア・ソングのうねり。そして日本人の皮膚感覚で知覚困難な厳粛さと伝統と憎悪のうねり。こういったうねりに音楽は欠く事のできない要素である。
そんなセルティックのチア・ソングはシン・リジィの「ヤツらは街へ」。サビの「ボーイズ・バック・タウン」の部分の歌詞を変えてある。なんと言っているのかは聞き取れなかったが。
しかしながら、この曲、あんまりセルティック・パークという舞台にマッチしていない。少し慌しいのだ。荘厳さにも欠ける。鈍色の街らしい寂寥感も皆無だ。[アイルランドの国民的バンド]-[ケルト]という繋がりは分かるが。
考えるに、この舞台に最高にマッチするのはスコットランド民謡意外有り得ない。中でも『スコットランド・ザ・ブレイヴ』か『アメージング・グレース』。『ロッホ・ローモンド』も悪くはないが、グラスゴーはハイランド地方ではない。あの雰囲気の中でうねりまくるスコットランド民謡。ウェンブリーにおけるGod Save The Queenに勝るとも劣らないうねり――鳴動。嗚呼……。