海の色
2010-12-10 | 日記
木更津市にある佃煮屋さんで買い物をするため、壮祐を連れてやって来ました。
時節柄、佃煮屋さんはかなりの混雑。
詰め合わせの包装をお願いして、海の見える公園でひと休み。
2010.12.08. 12:11p.m
朝9時頃まで降っていた冷たい雨があがって、急速に晴れ間が広がった。
三方を海に囲まれた千葉県でも、木更津は東京湾に面した内海。
初冬の空気の澄んだこの日、肉眼でも対岸の横浜市が見渡せた。
私のコンデジでこの景色を撮れるだろうか・・・?
ズームを最大の12Xにして撮ってみた。
僅かの揺れでも景色がブレるので、仁王立ちして脇を閉めて息を止めてシャッターを切る。
年が明けて、
ホスピスの食事は、誤嚥を恐れてお雑煮がないので、談話室(キッチン付き)でお雑煮を作って食べる。
小さく小さく切ったお餅と、家から運んだ伊達巻と松前漬など。
時節柄、佃煮屋さんはかなりの混雑。
詰め合わせの包装をお願いして、海の見える公園でひと休み。
2010.12.08. 12:11p.m
朝9時頃まで降っていた冷たい雨があがって、急速に晴れ間が広がった。
三方を海に囲まれた千葉県でも、木更津は東京湾に面した内海。
初冬の空気の澄んだこの日、肉眼でも対岸の横浜市が見渡せた。
私のコンデジでこの景色を撮れるだろうか・・・?
ズームを最大の12Xにして撮ってみた。
僅かの揺れでも景色がブレるので、仁王立ちして脇を閉めて息を止めてシャッターを切る。
2003年 3月下旬、この木更津郊外のホスピスに「おとうさん」は入った。
「おとうさん」は手術が不可能な肺癌を患い、脳にも転移が見つかり、余命3ヶ月を宣告されていた。
高台に建つ総合病院の4階のホスピス。「おとうさん」の病室からは毎日海が望めた。
「おとうさん」がホスピスに入ってすぐ、桜が満開になった。「終の桜」になるんだろうか・・・・・
「おとうさん」は北九州の海辺の町で生まれ育った。
同じ故郷の女性と結婚して、若い頃に千葉県壮祐市にやって来た。
家を建て、男の子が2人生まれ、育ち、それぞれに結婚・独立をして、横浜市内で暮らしていた。
「おとうさん」は会社を定年まで勤め上げ、趣味の畑仕事などしながら、奥さんとふたり悠々自適の生活ぶり。
この頃、縁あって私は親しくさせていただいた。「お父さん」ご夫妻は私の親の年齢に近かった。
ホスピスは壮祐市からバス・電車を乗り継いで行くと、片道1時間以上かかってしまう。
奥さんは車を運転しないので、週に1度か2度、私は奥さんを乗せてホスピスへ通った。
働き盛りの「おとうさん」の息子さんたちは、頻繁には見舞いに来れなかった。
脳に転移したガンが悪戯をしたのか、「おとうさん」は毎週のように現れる私を娘だと思い込むようになった。
幸いなことに、脳のガンは水疱に守られていたため大きくなる事もなく、痛みが「おとうさん」を襲う事もなかった。
ホスピス入所から4ヶ月を過ぎ、夜「おとうさん」は病室の窓から木更津の花火大会を観た。
9月、「おとうさん」は「海が見たい」と言った・・・。
友だちと相談して、市の福祉課から車椅子ごと乗れるワゴン車を借り出し、海へ向かった。
浜辺に車椅子ごと降りられる場所がなかなか見つからず、
やっと降り立ったのは富津あたりの小さな小さな浜辺。
それでも「おとうさん」は車椅子から自力で立ち上がろうとした。
「おとうさん」の故郷に繋がっている海なら、泳いで帰れると思ったそうだ・・・・・。
浜辺で(私たちが)拾い集めた貝殻をお土産に「おとうさん」はホスピスへ戻った。
「おとうさん」は手術が不可能な肺癌を患い、脳にも転移が見つかり、余命3ヶ月を宣告されていた。
高台に建つ総合病院の4階のホスピス。「おとうさん」の病室からは毎日海が望めた。
「おとうさん」がホスピスに入ってすぐ、桜が満開になった。「終の桜」になるんだろうか・・・・・
「おとうさん」は北九州の海辺の町で生まれ育った。
同じ故郷の女性と結婚して、若い頃に千葉県壮祐市にやって来た。
家を建て、男の子が2人生まれ、育ち、それぞれに結婚・独立をして、横浜市内で暮らしていた。
「おとうさん」は会社を定年まで勤め上げ、趣味の畑仕事などしながら、奥さんとふたり悠々自適の生活ぶり。
この頃、縁あって私は親しくさせていただいた。「お父さん」ご夫妻は私の親の年齢に近かった。
ホスピスは壮祐市からバス・電車を乗り継いで行くと、片道1時間以上かかってしまう。
奥さんは車を運転しないので、週に1度か2度、私は奥さんを乗せてホスピスへ通った。
働き盛りの「おとうさん」の息子さんたちは、頻繁には見舞いに来れなかった。
脳に転移したガンが悪戯をしたのか、「おとうさん」は毎週のように現れる私を娘だと思い込むようになった。
幸いなことに、脳のガンは水疱に守られていたため大きくなる事もなく、痛みが「おとうさん」を襲う事もなかった。
ホスピス入所から4ヶ月を過ぎ、夜「おとうさん」は病室の窓から木更津の花火大会を観た。
9月、「おとうさん」は「海が見たい」と言った・・・。
友だちと相談して、市の福祉課から車椅子ごと乗れるワゴン車を借り出し、海へ向かった。
浜辺に車椅子ごと降りられる場所がなかなか見つからず、
やっと降り立ったのは富津あたりの小さな小さな浜辺。
それでも「おとうさん」は車椅子から自力で立ち上がろうとした。
「おとうさん」の故郷に繋がっている海なら、泳いで帰れると思ったそうだ・・・・・。
浜辺で(私たちが)拾い集めた貝殻をお土産に「おとうさん」はホスピスへ戻った。
12月、ホスピスの談話室で行われたクリスマスパーティー。
「おとうさん」は赤玉ハニーワインを2杯飲み、酔っぱらう。
「おとうさん」は赤玉ハニーワインを2杯飲み、酔っぱらう。
年が明けて、
ホスピスの食事は、誤嚥を恐れてお雑煮がないので、談話室(キッチン付き)でお雑煮を作って食べる。
小さく小さく切ったお餅と、家から運んだ伊達巻と松前漬など。
3月下旬、
「おとうさん」がホスピスに入って2度目の桜が咲いた。
週に2度のお風呂と、Dr.に許可をいただいて飲み始めた100mlの缶ビールでよく眠れるそうだ。
4月になって食事が摂れなくなる・・・
「おとうさん」自身の意思で、延命治療は最初から望んでいない。
2004年 4月14日 早朝 「おとうさん」は旅立った。
「おとうさん」がホスピスに入って2度目の桜が咲いた。
週に2度のお風呂と、Dr.に許可をいただいて飲み始めた100mlの缶ビールでよく眠れるそうだ。
4月になって食事が摂れなくなる・・・
「おとうさん」自身の意思で、延命治療は最初から望んでいない。
2004年 4月14日 早朝 「おとうさん」は旅立った。
も夜のランドマークが幽かに見えるんですよー
メール受信できました。
有難うございました。きさらずからの贈り物
美味しく戴いてます(*^_^*)久しぶりの壮祐くん
かわいいー。
優しい文章の中に、
いろんな葛藤があったのでしょうね。
人の命って、
あっという間のようでもあるし、
強いと感じるときもあるし。
ただ、昔いた人がもういないんだなぁ
という寂しさはたまりませんね。
病気は、望んでいないけど突然襲ってくる
それにどう対処してよいものか?
本人も周りも・・・
それを考える年齢になったんだな~とつくづく思いました
みなとみらい21地区&アクアライン、
まさに21世紀の象徴的な風景ですね。
木更津は「きさらづ」で、kisaradu で変換できます。
こちらこそ大好物をごちそうさまでした。
お茶の時間が楽しみです
葛藤とかってないんですけどね…ただ、
木更津の海を見ると「おとうさん」のことを思い出してしまいます。
コーヒーが大好きだったので、毎回一緒にお茶していましたよ。
寂しさと、懐かしさが残っていますね…
健康体であることが幸せなんだって感じますね。
コメありがとう!