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電電公社の民営化を振り返る 1

2017-08-25 22:55:00 | NTT民営化
日本最大の通信会社NTT
NTTは、昭和60年(1985)臨調の答申に基づき、電電公社から民営化された通信会社です。

現在は主要5社
1)持ち株会社NTT(日本電信電話会社)
2)NTT東日本・西日本(地域通信会社である、市内公衆電話網(PSTN)を保有する)
3)NTTコミュニケーションズ(NTTcom)(長距離系通信網を保有)
4)NTTドコモ
5)NTTデータ
と呼ばれる主要5社(この場合、持ち株会社は含めない)さらに、NTTコムウエア(ソフトウエアの開発等)・NTTファシリティズ(NTTビルの管理及びマンション等の分譲開発等)を含めた、主要8社という場合も多いようです。

NTT主要会社



http://www.ntt.co.jp/about/groupjigyou5.htmlから引用

民営化に際して分割を免れたNTT
電電公社は、民営化の際国鉄同様、分割も示唆されましたが、当時の総裁真藤氏が、積極的に民営化に舵を切ったこと、組合も一定の理解を示したこともあり、分割を含めた経営形態は民営化後5年以内に見直すこととされました。
国鉄が民営化された際も、新生JRの中で将来は再編があるかもしれないという考えが有ったのは、おそらくNTTが民営化に際して将来分割を含めて検討することとされていたため、JRも再編で再統一があると思っていた節があります。
その辺は、更に当時の資料等を探していく必要はありそうです。

NTT発足後、一部の会社は順次分離
NTTは、従業員の解雇等も無く全員が電電公社の職員からNTTという特殊会社の社員として移行しました。
また、民営化により他の通信事業者の参入も可能となり、日本テレコム(現・ソフトバンク)DDI(現・KDDI)が長距離通信の専用線サービスから参入していくこととなりました。
また、これを受けてNTTもより動きやすい体制とするため、昭和63年(1988)5月23日、最初の実質的な分社化としてNTT内のデータ通信事業本部が、NTTデータ株式会社として分社化、全銀システムや、金融機関窓口の自動応答システム「ANSER」、サービス、超大型コンピュータDIPS-11などを開発してきた組織でした。(DIPS-11は、郵政省でもオンラインシステムで使っていました)
さらに、民営化5年後の平成2年(1990)3月30日には郵政省からの要請で、移動体通信(現NTTドコモ)のNTT本体からの分離が勧告され、平成3年(1991)8月14日設立、営業開始は翌年(1992年7月1日)されています。
なお、この会社にあっては、完全民営化することが明記されていました。
10年目の組織見直し
平成7年(1995)にNTTの在り方が再検討され、最終的にNTT本体を持ち株会社としてその下に上記の主要7社を置くこととなりました。
地域ごとの分割を避けるという意味合いもあったと思われます。
更に、NTTの位置づけが再度検討され、
1)持ち株会社であるNTT本体、市内公衆電話回線網を持つ、地域電話会社(NTT東日本・NTT西日本)は、規制会社と呼ばれる商法上の民間会社ではありますが、極めて規制の大きい特殊会社とされました。
役員人事などの政府の承認は要らないものの、公衆電話回線網(PSTN網)の維持管理及び光ファイバー網の開放などが義務付けられるなど極めて公共性の高い(言い換えれば政府の介入が入る)会社として位置付けられています。
それ以外の会社は競争会社という位置づけで商法で言うところの完全民間会社として、政府の規制からは外れることとなりました。
長距離系の回線網を持つNTTコミュニケーションズ(NTTCom)、先に分社化されていた、NTTドコモ、NTTデータが該当します。(ただし、NTTグループ会社として、引続きNTT本体が株式を保有していることには変わりありません)
さらに、NTTファシリティーズやNTTコムウェアは、経営資源を有効に活用する会社という位置づけでNTTファシリティズはNTTビルの建築設計事務所であり電気関係の維持管理なども行っています、NTTコムウェアは交換機その他の機器類の開発並びに保守をメインとしておりIT化推進の組織としてファシリティズ同様、NTT本体に付属する会社としての位置づけとなっています。
他にも、多くの会社がありますが主なものは以上の7社+持ち株会社になります。
NTT東西が規制会社となっている理由は?
NTTは民営化された会社であり、株式も上場されていますが、その反面ひかりファイバー網の一定数を開放義務などが課せられており、極めて足枷がはめられていると言えます。
ここまで政府がNTTに対して、規制をかけるという背景には、通信基盤が公共インフラという位置づけにあるからです。

日本電信電話株式会社等に関する法律 (昭和五十九年十二月二十五日法律第八十五号)(通称NTT法)によりますと。

第三条  会社及び地域会社は、それぞれその事業を営むに当たつては、常に経営が適正かつ効率的に行われるように配意し、国民生活に不可欠な電話の役務のあまねく日本全国における適切、公平かつ安定的な提供の確保に寄与するとともに、今後の社会経済の進展に果たすべき電気通信の役割の重要性にかんがみ、電気通信技術に関する研究の推進及びその成果の普及を通じて我が国の電気通信の創意ある向上発展に寄与し、もつて公共の福祉の増進に資するよう努めなければならない。
とありますように、公共の福祉のために地域会社は「公共の福祉の増進に資する」ことを努力義務として法律で謳っています。
これは、JR法では見られないものであり、郵政でも郵便以外にはこうした聞語を見ることが出来ません。
過度な民営化は避けねばならない
個人的な見解として、郵便・水道なども本来は国民インフラですので民営化に馴染まないと考えております。
さらに、鉄道にあっても地方幹線鉄道(在来線)等は国民インフラと考えるべきではないでしょうか。
例えば、未だ株式上場の目処が立たないJR北海道・JR四国及びJR貨物は再度国有化した上で、国民インフラとしてすでに第3セクター化した所も含めて今一度検討していく必要もあるのではないでしょうか。
改めて、郵政の民営化。NTTの民営化を自分なりに検討していく中で感じたことであり、これを機会に多くの議論がなされればよいかと思っています。


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国鉄があった時代 JNR-era
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郵政民営化と国鉄民営化、その違いを改めて検証

2017-08-09 20:31:00 | 郵政民営化
日本郵政とは?
日本郵政は、ご存じのとおり郵政省が民営化して誕生した会社です。
正確に言えば、郵政省→総務省郵政事業庁→郵政公社→日本郵政という流れになるのだが、ここでは一般の人に解りやすいように、郵政省(郵政公社)→日本郵政という形で話を進めていこうと思います。
郵政省時代(公社時代を含め)は郵政3事業ということで、郵便を最重要事業と位置づけそれに付随する形で郵便貯金・簡易生命保険という位置づけになっていました。
実際、郵政省時代は建制順では、郵務局>貯金局>簡易保険局(大臣官房等の内局は考慮しない場合)であり、地方郵政局でも、秘書課や総務課は別格とすれば、事業部では、郵務部>貯金部>保険部の順番でありこの建制順は変わることはありませんでした。
それほど、郵便は郵政省に在っては要だったのです。
民営化当初は5つの会社だった

郵政民営化では、国鉄の様に地域単位での分割は行われず、事業単位での分割となりました。
すなわち、日本郵政株式会社という持ち株会社の下に、郵便局会社・郵便事業株式会社・株式会社ゆうちょ銀行・株式会社かんぽ生命保険会社が誕生したのです。
株式会社ゆうちょ銀行・株式会社かんぽ生命保険会社はいずれも、収益会社(NTTではDocomoやNTTDATA等と同じ)として、収益を上げることで持ち株会社である日本郵政を支える役割が期待され、郵便事業株式会社は純粋に郵便事業を行う会社とされたのですが、時代は信書配達から物流中心にシフトしてきており、メール便などとの競争もあって郵政の収益は下がってきていたのでした。
また、郵便局会社というのは、特定郵便局(現在は郵便局に統一)の帰属をめぐって追加されたような会社であり、郵便・貯金・保険の事業を受託してその手数料で運営するという枠組みでした。
郵政事業は、郵政省の頃から特定郵便局では、事業ごとの分計基準が定まっており、特定局では概ね郵便貯金に占める割合が70%~80% 郵便10~20% 簡易保険は10%以下という割合でしたでしょうか。
実際、特定郵便局では簡易保険の目標は貯金と比べると少なかったのですが、窓販の特性上募集手当は普通郵便局の外務員よりもはるかに大きかったそうです。(私は残念ながら、お局さんが居たので、特定局で勤務した2年間全く貯金も簡易保険も募集することはありませんでした。)
ということで、郵政は当初は事業ごとの会社だったのが、特定郵便局の局長の地位保全もあって、4つの会社が生まれるという事態となりました。
特に普通局では、貯金・保険事業は全く別会社と言うことで郵便局内で仕切りが設けられたリ、郵政支社(旧郵政局)も事業ごとに部署が別れてしまい、むしろ風通しが悪くなったと思ったものです。
時代遅れだった郵便事業の民営化

さらに、問題は郵便事業がインターネットの普及によりメールなどでのやり取りが一般化し、信書として手紙を出す機会が減ってしまったことでした。
私自身は、昭和63年頃、郵政省も民営化した方が良いのではないかと思った時期がありました、インターネットも解禁となっておらず、通信会社などにも参入すれば郵便事業は電気通信と郵便の2枚看板で行けるのではないかと思ったのでした。(まぁ、若者の浅知恵ですけどね。苦笑)
実際に事業論文に郵便局も民営化すべきだ・・・みたいなことを書いて総スカンを食らいました
ゆうちょ銀行も。かんぽ生命も収益会社は優等生
ゆうちょ銀行やかんぽ生命が、実質的に政府保証を受けたままの形で、特にかんぽ生命は、基本的には簡易保険時代の商品を看板だけ挿げ替えたような商品でその後も販売したり、貯金も同様に募集を行って利益を稼ぎ出す反面、郵便事業は平成20年(2008年)以降は赤字決算続きとなってしまいました。
郵便局会社は、上記の様に各事務取扱量によって手数料という形で郵便局会社に支払う形となっています。
結果的には、この4社体制はまず最初に、土性骨である郵便事業が早々と脱落し、郵便局会社が郵便事業株式会社を救済のため吸収合併する形で平成24年(2012年)10月1日に再編成が行われ、名称も「日本郵便株式会社」と変更し現在に至っているのはご存じのとおりです。
かんぽ生命は、一足早く郵便局から離脱
なお、現在も旧普通局などでは、ゆうちょ銀行は局内に設けていますが、かんぽ生命に関しては、旧普通局の局舎からでて、別の貸しビルなどに入居しており、完全に郵便局とは距離をおいた形を取っています。
なお、郵便局内のかんぽ生命の窓口は日本郵政の職員がかんぽ生命の委託を受けて仕事をしているようです


民営化10年を経て上場も果たした郵政事業ですが、郵政省末期から非正規を増やし始めており、現在では集配職員の半数近くが非正規とも聞きます。
さらに、前回書きましたが集配頻度の低下により送達日数(郵便物を郵便局が引き受けて受取人に到達するまでの日数)も遅延傾向にあり、郵政所時代は、島しょ部などを除き、翌日配達を目指すと言われたりしたものですが、最近では大阪から九州に郵便物を送付しても下手したら3日かかることもあるなど、サービスは大きく低下しています。
郵便事業は再度公有(国有)化されるのか?
今後も郵便に関してはユニバーサルサービスの維持ということが義務付けられていることを考えれば、日本郵便に関しては再度法令を改正して郵政公社もしくは、それに準じるような外局に戻していく必要もあるのではないだろうかと改めて思ってしまいます。



民営化は、大規模都市などで競争原理が働くところは有効ですが。そうでない地域に関してはブロック単位(旧郵政局単位)で収支を計算し、採算困難地域には、費用補填などの必要もあるのではないでしょうか。

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