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昭和30年代のローカル線問題を考える

2017-03-24 23:36:00 | 国鉄民営化
古くて新しい地方交通線の問題

JRは今年の4月1日で発足から30年と言う節目の年を迎えることとなりますが、ここにきてJR北海道の経営問題がクローズアップされ。JRとして鉄道を維持できない区間にあっては地方なりの援助が必要であると言っています。
外にも、」JR西日本が今後の本格的な人口減を踏まえて、鉄道としての特性を発揮できないところはバス、BRT,KRT等を含めて鉄道事業を縮小していく意向であると発表しました。

さて、こうしてここ最近になってまたぞろ出てきたローカル線問題ですが、実は50年以上前から議論されている問題でもあるわけです。


国鉄線昭和36年2月号(国鉄向け部内誌)の記事で「ローカル線」というPR映画を作成したと書かれています。
新幹線は開通していませんが、東海道線などを特急が颯爽と走りコンテナ貨物列車が颯爽と走る姿を紹介しながら、木次線・牟岐線・抑ヶ瀬線・篠山線の現状を紹介、その原因を究明し、これら線区の経営改善に努力する国鉄の姿を紹介していく映画だそうです。

ここで出てくる、柳ケ瀬線は元北陸本線の旧線区間で(昭和32年)10月1日 木ノ本~近江塩津~ 敦賀間が新線開業に伴い、木ノ本~柳ヶ瀬~敦賀間の旧線を柳ヶ瀬線として分離したもので、元々山岳区間であったこともあり非常に経営的には厳しく、は営業係数1145前後と非常に悪く、昭和39年には早々と廃止されてしまいました。

参考:柳ケ瀬線の廃止を当時の資料から振り返る

ローカル線輸送に対する考え方
既に昭和30年代からトラックや自動車が普及して、地方鉄道なども廃止に追いやられていた時期であり、国鉄としてもローカル線輸送に関しては当時の部内資料などをみると、下記のような考え方が有ったのではないかと推測されます。

それは、国鉄の中に「鉄道省」の頃の意識と、国鉄(公共企業体としての企業性の追求)という二つの思いが交錯していたのではないかと思われるのです。

故に、国鉄としては赤字ではあるが、何とかローカル線であっても維持しているところを見せて国民の国鉄としての姿を見せようと言う意識

もう一つは、企業性を出して経営を圧迫するものは何とかやめようという意識

この二つがあったかと思います。
ただ、当時の国鉄の意識はどちらかというと前者の意識が強く、営業と言いつつ、「乗せてやる」的な意識が強かったのも事実でした。

そうした意味では、この頃は経営的にはかろうじて黒字を積み上げ始めた時期ではありましたが、国鉄の部内ではまだまだ経営危機的な意識は大きくなっていなかったと思われます。
なお、その辺は今後更に当時の資料などを読み込んだうえで改めて書かせていただこうと思います。
更新が非常に間が空くと思いますが気長にお待ちください。

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国鉄があった時代 JNR-era
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