マヌケ便り

テレビ番組リサーチ会社の代表をしています。

三つ子のたましい『東京オリンピック』

2014-02-21 00:51:51 | Weblog
ボクの家にテレビがやって来た。
ボクが5才の時だ。
中学校の体育の教師だったお父さんが、『東京オリンピック』が見たくて買ったテレビだ。
お父さんは福島県の駅伝の選手だったので、東京オリンピックが見たくてと言うよりも、同じ福島県出身のマラソンの円谷選手の応援がしたくて買ったのだろう。



だからボクが最初に見たテレビ番組は、『東京オリンピック』だ。
以来オリンピックが行われる年には、寝ずに夢中になって見てしまうオリンピックマニアだ。
ボクが覚えているのは、開会式と女子バレーボール。
開会式はボクが見た最初の番組だったので、この開会式での聖火台に火を灯す瞬間は今も脳裏に焼き付いているからだろう。
お父さんも、オリンピックが見たくてテレビを買ったくらいだから、毎日でも見ていたかったのだろうがそうもいかない。
ただ、学校から戻って来るともうテレビにかじりついていた。
何故、女子バレーボールを覚えているかと言うと、お父さんの応援がひときわ強かったからだ。
何せ、中学校の部活では女子バレー部の顧問を任されていたからだ。
夜遅くまで、家族全員で応援していたのを思い出す。



このオリンピックの事を幼稚園で話すのだが、みんなは興味を示さない。
ほとんどの家ではテレビが無かっただろうし、東京でオリンピックが開かれている事すら情報として入れられていなかったからだろう。
『暖簾に腕押し』と言うのか、『馬の耳に念仏』と言うのか凄い空振り感があった。
世紀の祭典だと言うのに…。
その世紀の祭典のオリンピックの華、マラソンは何故か覚えていない。
幼少のボクには、ただ走るだけの人を見ているのが詰まらなかったからなのかも知れない。
それから数ヶ月後。
お父さんが、映画に連れて行ってくれると言う。
これは幼稚園の中でも話題にはなっていた。
『ゴジラ』や、『モスラ』そして、『ミニラ』等の話題は事欠かなかったし、ボクの地方ではパッタと呼ばれていたメンコにたくさん描かれていたからだ。
テレビの無かった時代に、映画はそれこそ子供達の大きな楽しみのひとつだった。
ボクも、映画に連れて行って貰える日は嬉しくて仕方がなかった。
何せ初めての映画だ。
『ゴジラ』かな、『モスラ』かな、はたまた、『ミニラ』かな、と胸を躍らせていた。
映画館の中に入る。
何が始まるのか楽しみで仕方がない。
…が、お客さんはお父さんとボクだけだ。
館内が暗くなる。
ボクの緊張は一気に高まる。
始まった。
「おい、また東京オリンピックかよ?」と、こうボクはお父さんにツッコミたかったに違いない。
ボクの初めての映画も、市川昆監督の、『東京オリンピック』だったのだ。
いい加減にしろ、お父さん。




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