マヌケ便り

テレビ番組リサーチ会社の代表をしています。

三つ子のたましい『新潟地震』

2014-02-20 00:00:19 | Weblog
お昼の食事の後で、机にうつ伏せになって寝るお昼寝の時間にそれは起こった。
『ドーン』と突き上げる様な下からの揺れに始まり、後は園内が波打つ様に揺れボクはまともに立つ事も歩く事も出来ないでいた。
園児達は泣き叫びながら先生のところに集まっていて、その先生すらも身動きが取れないでいる。
ボクも先生のところへ、泣きながら飛んで行きたいところなのだが、『オットット、アララッ』と思う様に自分の身体の建て直しが利かずに、オロオロしながらその状況に飲まれているしかなかった。
先生が園児全員を園庭まで出した時には、既に揺れが収まっていた時で、『何で今更?』と思ったものだが、園児達は揺れが収まっても泣き叫んでいた。
泣きたいのは先生も一緒だっただろうと思う。
この地震は昭和39年、ボクが5才の時に起きた、『新潟地震』である。
ボクは生まれてから、あんなに大きいと思った地震は他にない。
写真でもおわかりだと思うが、団地の建物が将棋倒しの様に倒れている。
『新潟地震』の凄さを物語る有名な写真だ。
当時は地震計の設置箇所は少なく、震源地付近の自治体でも観測は不可能だったらしいのだが、震度は6相当と推測された。
そして、当時は強弱の表記もなかったので、6強が妥当な震度だったのではないだろうか?
新潟県の隣県にある福島県だが、会津は新潟県に近い為に揺れも相当なもので震度は5が観測されている。
建物の多くが木造建築だった為に、今感じる揺れ以上であった事は間違いない。
更にはボク自身も小さい時だったので、その揺れは今の揺れの1.5倍にも感じていたはずだ。
泣き叫びながら先生を取り囲む園児達の様子は、ドーナツの中心に先生がいてその周りにドーナツの様に園児が取り囲んでいるので先生も身動きが取れない。
そんな情景を、一人だけ端から見ていたので今でも思い出す。
小学生になってからも地震がある度に、『新潟地震』の事を話すのだが、凄いのは友達の中であの地震の事を覚えているのは本当に少なかった事。
恐怖心が脳裏から消し去ってしまうのかな?
それともみんなバカなのかな?

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