マヌケ便り

テレビ番組リサーチ会社の代表をしています。

閉所恐怖症

2006-04-30 20:20:40 | Weblog
 私は以前に『恐怖の大王』の項で雷恐怖症について触れたが、実は閉所恐怖症でもある。

 もしも、私の乗っているエレベーターが、地震か故障かで止まってしまったら、おそらく私は恥も外分もかなぐり捨てて、エレベーターの扉の間に、指を入れて力ずくでもその扉をこじ開けるのに、必至になることだろう。もちろん、「開けろー」「助けてくれー」「早くここから出してくれー」等と叫び続けながらやるに違いない。まさにパニック状態になってだ。

 私が閉所恐怖症になってしまったのは、幼少の頃のある出来事がトラウマになってしまったからである。雷恐怖症になってしまったのも、小学校の時の出来事が原因だから、幼少期の出来事というのは、その後の人生に意外にも大きな陰を落としているのである。

 小学生の低学年の頃のことだ。お昼休みにクラスのみんなで隠れん坊をしていて、私と友達のY君は理科実験室に入っていったのである。そこには隠れるのに手頃な、人体標本の入った入れ物があったのだ。ちょうど棺桶サイズの大きさである。私はその中に無造作に入ってしまったのだ。ところが、友達のY君はご丁寧にも外側から鍵をかけてくれたのである。私はそこに隠れてしまった事を直ぐに後悔した。扉の隙間から薄く入る光が、片方は人の顔でもう片方は骸骨になっている人体標本を照らしているのである。怖くなって直ぐに出ようとしたのだが、扉が開かないのだ。「おーい、開けてー」と言っても、友達のY君は既にそこにはいない。何度叫んでもY君はおろか、隠れん坊の鬼すらも入ってきてはくれないのだ。

 私の声は既に大きな泣き声になっている。そのうちにチャイムが鳴って午後の授業が始まってしまったのだ。凄い汗が噴き出し始めた。恐怖心からくる汗と、狭い中で扉を壊してでも出てやろうとして藻掻いている汗が、一緒になって吹き出したのだ。50分間その葛藤は続いた。

 授業が終わって、鍵をかけたことを忘れていたY君が戻ってきて扉の鍵を開けた時、私はその中から崩れ落ちるように倒れ込み、そのまま保健室まで連れていかれたのである。

 それ以来、私は狭いところがダメだ。それどころか、電車も飛行機も、ダメとまでは言わないまでも、とても苦手なのである。狭くないところでも、第三者に制御されてしまっている、という感覚がいけないのだ。中が広くても、自分で開け閉めができなとダメなのが閉所恐怖症の心理なのである。

 だから電車などは年に一回乗るか乗らないかである。それも空いているというのが、私が電車に乗れる条件だ。これがラッシュともなれば、私の中では既に問題外。身動きが取れなくなったらもうダメだ。だから私は、この歳になるまで、ただの一度も満員電車には乗ったことがないのである。

 今日は、家族を連れて富士急ハイランドまで行って来たのだが、普段から家族サービスをおろそかにしている私は、この日くらいはと、私も童心に返り子供達と一緒になってはしゃいでいたのである。そして最後に観覧車に乗ってから帰ろうか、ということになったのだが、乗って表側から鍵をかけられた瞬間に気づいたのである。これは私にとって、非常に危険な乗り物なのではと。迂闊だった。…というより、私的には大変なマヌケことをしてしまったのだ。

 私は観覧車に乗るのが今日が始めてなのだが、この狭いところに家族4人で閉じこめられてしまったのだ。もちろん、私以外の家族に、そんな意識はない。『閉じこめられた』などと思っているのは私だけだ。仮に、ここから表に出られたとしても、そこは空中だ。中でも外でもダメでは話しにならない。『お願いだから、いったん観覧車を逆回しにして、そして私を直ぐに降ろしてくれ』と心の中では叫んでいる。本来なら、大騒ぎで口に出して言ってもおかしくない状態だ。だが家族の前では父親としての威厳もある。ここで狼狽えるわけにはいかない。だから私は腕を組んで目を瞑り、下を向いていたのである。それで子供が呟いた。「お父さん変なの。そんなに暑くないのに、汗びっしょりかいて居眠りしている」

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