6月11日、震災からちょうど3ヶ月目のこの日、大学時代の友人で岩手県奥州市の信用金庫の支店長になっている I 君と一緒に、やはり大学時代の友人で南相馬市の市役所に勤める H 君のお見舞いに行って来た。
南相馬市と言えば、津波の高さが最大だったであろうと言われている所だ。
I 君とは仙台駅で待ち合わせ、その I 君の車で南相馬市に向かったのだが、まず驚いたのが仙台南部道路の山田ICから乗ったとたんに見えて来た津波の傷跡。
それがタイトルの写真だ。
全てが津波に飲み込まれたその跡には、未だ至る所に流されたままの車が点在している。
その高速道路の山元ICを降りて、6号線(常磐自動車道)を南下して走ると道路脇に見えて来るのは、まるで津波の様な高さの瓦礫の山だ。
瓦礫の山とはよく使われる表現だが、間近で見るとまるで飲み込まれてしまいそうな津波に見える(写真下)。
そのくらいに高く積み上げられている。
でも、やっぱり津波には見えないな?
瓦礫はやっぱり瓦礫だ。
次に見えて来るのは船だ(写真下)。
道路脇に無造作に打ち上げられている。
『打ち上げられている』と言う表現をすると、海は直ぐ近くにある様だが海があるのは遙か先だ。
南相馬市の友人 H 君とは、昼過ぎに落ち合い3人で昼食を摂った。
食事は、H 君が案内してくれた処なのだが、既にこのお店が福島第一原発から25キロの所にある。
食事を終えてお店の人に写真を撮ってもらったのだが、向かって左側が I 君で中央が H 君でそして右側は私だ(写真下)。
お店を出てからは、H 君のご実家のあった所に案内されたのが、私も I 君も H 君の結婚式で泊めて頂いた事があるので、周りの情景は覚えている。
それが、H 君のご実家はもちろん、周りにあった民家も H 君のご実家同様、既に跡形もなく流され何も残されていない。
その H 君のご実家のあったところで撮った写真が下の写真だが、因みに後ろに見える松の木の生えている高台も津波に飲み込まれている。
下の写真は決壊した堤防だが、高さが7メートルある。
津波は、その高さの4倍はあったと言うのだから30メートル弱だったと言う事になる。
何とも信じがたい話しではあるが、実際に次に連れて行かれた所で納得せざるを得ない事実があった。
このグランド(写真下)は津波の時の避難所にされていた所だ。
ここに避難していた50名の方々は、津波に飲み込まれみんな命を落とされてしまった(合掌)。
そのグランド側から海の方を向いて撮った写真が下の写真だ。
写真の先に見える松の木の所から、海を見下ろす事が出来るのだが裕に30メートルはある。
津波の高さを正に証明している。
その松の所から眼下の海を撮った写真が下の写真だ。
真ん中に白く走ってしるセメント状のものが、高さ7メートルの堤防だ。
そのグランドに転がっていた、少年野球のヘルメット(写真下)。
そしてスクラップ場に置いてある様な下の写真の鉄の塊が、津波だけでこんな形になってしまった車だ。
唖然とするばかりである。
次に向かったのが、福島第一原発から20キロ以内の避難区域の入口の所だ。
立入禁止の看板が掲げられ通行止めになっている(写真下)。
実際に近くにはパトカーがいたのだが、そのパトカーに乗っていた2人の警察官は、首輪と紐を付けたまま彷徨っていた(元)飼い犬の保護に当たっていた。
そこからの帰りに、凄い話しを H 君から聞いた。
報道番組やワイドショーでも放送されているから既にご存知かと思うが、原発から20キロ以内の避難区域の中には牛や馬、犬に猫が至る所で彷徨い、その中には飢え死にしてしまった動物も多々いる。
ところが豚は雑食性の為に飢え死にはしないらしいのだが、親豚が子豚を食べてしまうのだそうだ。
そればかりではない。
子豚も親豚からの授乳だけでは足りずに、乳の部分から親豚を食べ始め内臓までも食べてしまうと言うのだ。
その話を聞いて、身の毛が弥立った。
もちろん、そんな写真はない。
ただ、この話は書く事を本当に躊躇った。
だが、これが原発がもたらした悲劇の一旦でもあるのだと思い敢えて書かせてもらった。
実際に、悲劇と言う表現が適当ではない様なおぞましい話しなのだが、原発事故がなければ知る事もなかった事だし、実際に起こらなかったであろう事でもある。
この部分を書いて、後の続きを書く元気がなくなってしまった(溜息)。
南相馬市と言えば、津波の高さが最大だったであろうと言われている所だ。
I 君とは仙台駅で待ち合わせ、その I 君の車で南相馬市に向かったのだが、まず驚いたのが仙台南部道路の山田ICから乗ったとたんに見えて来た津波の傷跡。
それがタイトルの写真だ。
全てが津波に飲み込まれたその跡には、未だ至る所に流されたままの車が点在している。
その高速道路の山元ICを降りて、6号線(常磐自動車道)を南下して走ると道路脇に見えて来るのは、まるで津波の様な高さの瓦礫の山だ。
瓦礫の山とはよく使われる表現だが、間近で見るとまるで飲み込まれてしまいそうな津波に見える(写真下)。
そのくらいに高く積み上げられている。
でも、やっぱり津波には見えないな?
瓦礫はやっぱり瓦礫だ。
次に見えて来るのは船だ(写真下)。
道路脇に無造作に打ち上げられている。
『打ち上げられている』と言う表現をすると、海は直ぐ近くにある様だが海があるのは遙か先だ。
南相馬市の友人 H 君とは、昼過ぎに落ち合い3人で昼食を摂った。
食事は、H 君が案内してくれた処なのだが、既にこのお店が福島第一原発から25キロの所にある。
食事を終えてお店の人に写真を撮ってもらったのだが、向かって左側が I 君で中央が H 君でそして右側は私だ(写真下)。
お店を出てからは、H 君のご実家のあった所に案内されたのが、私も I 君も H 君の結婚式で泊めて頂いた事があるので、周りの情景は覚えている。
それが、H 君のご実家はもちろん、周りにあった民家も H 君のご実家同様、既に跡形もなく流され何も残されていない。
その H 君のご実家のあったところで撮った写真が下の写真だが、因みに後ろに見える松の木の生えている高台も津波に飲み込まれている。
下の写真は決壊した堤防だが、高さが7メートルある。
津波は、その高さの4倍はあったと言うのだから30メートル弱だったと言う事になる。
何とも信じがたい話しではあるが、実際に次に連れて行かれた所で納得せざるを得ない事実があった。
このグランド(写真下)は津波の時の避難所にされていた所だ。
ここに避難していた50名の方々は、津波に飲み込まれみんな命を落とされてしまった(合掌)。
そのグランド側から海の方を向いて撮った写真が下の写真だ。
写真の先に見える松の木の所から、海を見下ろす事が出来るのだが裕に30メートルはある。
津波の高さを正に証明している。
その松の所から眼下の海を撮った写真が下の写真だ。
真ん中に白く走ってしるセメント状のものが、高さ7メートルの堤防だ。
そのグランドに転がっていた、少年野球のヘルメット(写真下)。
そしてスクラップ場に置いてある様な下の写真の鉄の塊が、津波だけでこんな形になってしまった車だ。
唖然とするばかりである。
次に向かったのが、福島第一原発から20キロ以内の避難区域の入口の所だ。
立入禁止の看板が掲げられ通行止めになっている(写真下)。
実際に近くにはパトカーがいたのだが、そのパトカーに乗っていた2人の警察官は、首輪と紐を付けたまま彷徨っていた(元)飼い犬の保護に当たっていた。
そこからの帰りに、凄い話しを H 君から聞いた。
報道番組やワイドショーでも放送されているから既にご存知かと思うが、原発から20キロ以内の避難区域の中には牛や馬、犬に猫が至る所で彷徨い、その中には飢え死にしてしまった動物も多々いる。
ところが豚は雑食性の為に飢え死にはしないらしいのだが、親豚が子豚を食べてしまうのだそうだ。
そればかりではない。
子豚も親豚からの授乳だけでは足りずに、乳の部分から親豚を食べ始め内臓までも食べてしまうと言うのだ。
その話を聞いて、身の毛が弥立った。
もちろん、そんな写真はない。
ただ、この話は書く事を本当に躊躇った。
だが、これが原発がもたらした悲劇の一旦でもあるのだと思い敢えて書かせてもらった。
実際に、悲劇と言う表現が適当ではない様なおぞましい話しなのだが、原発事故がなければ知る事もなかった事だし、実際に起こらなかったであろう事でもある。
この部分を書いて、後の続きを書く元気がなくなってしまった(溜息)。
大学時代からの親友への見舞いとはいえ、決断まで勇気(多少の躊躇があった)が要った事と推察いたし、改めて友情の絆の深さに感動して拝見させていただきました。
自分だったら躊躇(家族の反対等あったかも)し、同じ行動がとれたか自信がありませんね。
最後に豚の共食いの話が記事に掲載されておりましたが、私も以前に聞いたことが有りましたが、まさかこの様な状況とは驚愕ですね。
これも千年に一度の天災(地震→津波→原発)が引き起こした悲劇の象徴ですね。
何れにせよ、原発が終息しなければ、福島県の財政破綻が現実性帯びてきますし、東北地方の観光地を含めた経済的二次災害の回復の大きな妨げになりかねませんね。
震災後の政府の対応、国会内の討論の内容は、総理大臣はじめ、被災地選出の小沢一郎、渡辺晃三、与党の民主党議員、谷垣さんをはじめ野党議員さんも、結局は被災地、被災者の事より、自分たちの事しか考えていないのかなと
改めてレベルの低さを再認識した次第ですね。
まあ、議員さんたちを選出したのも我々国民ですけどね。
千年後、どれだけの人がいなければ、千年後の子孫に生を与えられるのか想像も付きませんが、『千年の風になって』千年後の人達にも、何かを伝えなくてはならないのは事実ですね!?
アップはしませんでしたが、「着ていった衣類は処分して来たんですか?」とか、「どうしてマスクをしていないんですか?」と言うコメントもありました。
私は人類の科学力を持ってすれば、新たなエネルギー開発も進み、いずれ近い将来は日本の電気需要は補えると信じています。
私は原発には反対ですが、現在稼働中の原発まで無くしてしまう必要はないと思っています。
日本の経済は逆に麻痺してしまうとも思っています。
ですから、電力需要の転換期はいずれやって来ると思います。
現状の原発事故に対しては、必要以上に神経質にならなくていいと思っています。
私の育ったのは福島県会津地方の小さな田舎町ですが、福島県内20カ所の小学校のグランドの放射線調査では、唯一震災前と放射線量が変わらなかったところです。
私の町には全国で出荷量が一位の野菜があります。
原発から100キロ近く離れていて、しかも放射線量が震災前とほとんど変わらなかったにもかかわらず、福島県産と言うだけでジュースの会社から取引停止を受けてしまいました。
もちろん出荷制限があった訳ではありません。
ただ福島県産と言うだけで取引停止になってしまいました。
これも企業に取っては死活問題になりますから、致し方のない企業防衛だとは思います。
でも私の町の打撃も、尋常ではありません。
残念でなりません。
ナイスボギーさんのおっしゃる様に、福島県の財政破綻を引き起こすのは県内市町村の財政問題次第ではないかと思ってしまいます。
このどうしようもない現実を、管降ろしや政争に国民の目を向けさせる国政の茶番には呆れてしまっています。
奥州市の信用金庫の支店長になっているI君が帰り際に、「H(君)に会えて、被災地の現状も確認する事が出来て良かったな?」と言う言葉に私も黙って頷きました。
ところで豚が共食いをする事は聞いた事がありましたが、H君の親子間での共食いの話しには流石に私とI君も顔を見合わせ閉口するばかりでしたが…?