ピース・ダイアリー

競わないで、奪わないで、争わないで。
分けあって、話しあって、助けあって。
この世が、そのようであったらいい、と。

「見てやろう」の

2007年07月31日 18時49分49秒 | 日記
 作家で、市民運動家の小田 実さんが、75歳で亡くなられました。1961年に、世界旅行記の『何でも見てやろう』がベストセラー。そして、ベトナム戦争下の65年に結成した、反戦グループ「ベ平連」。

 すると、61年か62年ころか、フリーターだったわたしは講演をききにいったおぼえがあります。西日本を、参考書などのセールスで学校をまわっていて、すると大阪あたりでしたか。「見てやろう」の若い作家だという、どこかでポスターを目にしたのです。

 インドから知人がたずねてきて、町を案内してやると、かれは「ここにもインドがある」「ここにもインドが」といっていた、というような話。つまり、庶民の貧しさといったもの、インドと似たような、と。いや、45年もまえのこと、ですからね。

 胃がんを病まれていたようで、それでも「九条の会」で活動を、いつかネットで動画をみていましたら、元気そうに発言していましたが。

 この国の、改憲をいう首相は続投をいい内閣改造をいい、どういう動きがでてくるか。きょうは晴れましたが、降雨のあとでしたから、真夏日にはなりませんでした。では、また。

惨敗で逆転で

2007年07月30日 12時20分09秒 | 日記
 きのうの参院選、全議席が確定し、与党の自民は36、野党の民主が60でした。けさのY紙は「与党惨敗 民主第1党」、M紙は「自民 歴史的惨敗」と、1面のトップにでかい活字で。

 M紙には、「共、社 厳しい戦い」ともあり、民主党以外の党首のコメントがでていました。

 共産党の志位委員長は、「わが党が伸びる結果には残念ながらならないが、次の機会に躍進させたい」と。社民党の福島党首は、「社民党は民主党の参院議長(選出)に賛成する。安倍政権の退陣を求めていく」と。

 国民新党の綿貫代表は、「民主党の流れには理解を示していきたい」、新党日本の田中代表は「あるべき日本の姿が語られ、伝えられるようになった」と。

 これで、早期の衆院解散で総選挙、来年かということに。このあたり、きのうはいい投票日和でしたが、きょうは本降りで雷鳴も。改憲をいう、与党自民の、これは涙雨(なみだあめ)ですか。はい、また、あした。

キャップかぶって

2007年07月29日 12時57分12秒 | 日記
 朝のうち、ちらちらとありそうな空模様で、こりぁあヒッチハイク投票か、と。ところが、昼まで待ったら薄日がさしてきて、愛車の風来号で。

 チャリンコですが、Tシャツに短パンですから、これはすっぴん投票。投票率は低いか、公民館の投票所になった部屋には職員が7人も8人もいたのに、投票人はわたしがひとりでした。

 館内は、きれいな床なのですが、履物をとらないで土足で利用するようになっています。それで、わたしもビーチサンダルで、帽子もかぶったまま。写真で見ると、辺見 庸さんが頭にのせているキャップ、野球帽のような。

 けさの、朝日新聞の社説のタイトルは「若者たちへ・・・その1票が未来にかかる」、産経は「混乱と停滞に戻すのか 将来を見据えた投票行動を」、東京は「参院選きょう審判 投票して歴史を刻もう」、毎日は「参院選きょう投票 緊張感増す選挙の重い一票」、読売は「参院選投票日 日本の将来見すえた選択を」でした。

 おや、晴れてきて、もう31度で真夏日です。みなさん、お元気で。

すっぴん投票を

2007年07月28日 12時49分28秒 | 日記
 何冊か、新刊の紹介を、お許しください。斉藤貴男さんの『「非国民」のすすめ』(筑摩書房)は、「アメリカに追従し、監視と排外主義へ突き進む日本。そこに隷属する『生活保守主義者』」というもの。

 雨宮処凛・福島みずほさんの『ワーキングプアの反撃』(七つ森書館)は、「生きづらいのも、貧乏なのも、決してあなたのせいではない。構造的格差社会にNO!」というもの。

 鎌田 慧さんの『いま、連帯をもとめて』(大月書店)は、「悲惨さを増す労働現場、切り捨てられる福祉、強まる国家の権力・・・。日本列島をたゆみなく歩き、弱者の声を伝え続けてきた著者が、『やさしさ』と『共感』が失われる時代にどこまでも抵抗し、人間的な生き方を求めて書いた渾身の記録集」というものです。

 そのような時代の、あしたは日曜日、参院選の。不自由なかたは、どなたかの車を拾って、ヒッチハイク投票を。飾ったり装ったりしないで、わたしのようにTシャツに短パンで、すっぴん投票を。はい、では、また。

わたしのヌード

2007年07月27日 10時48分12秒 | 日記
 さっき、友人が電話してきて、ということ。小さな新聞の、毎週金曜日にエッセイを連載していて、きょうのタイトルは「みんな裸で」というもの。それに、写真もついていて、「ヌードが写っていましたよ」というのです。

「学校は、夏休みだが、子どもたちはどうしているか。むかしの子どもは、みんな裸で走りまわっていたものだが。やい、クーラーの部屋で、なにをしているか」

「いまごろ北欧では、おとなも2週間くらいの夏期休暇だ。海岸の海水浴場も、町のプールもにぎわって、お庭のリンゴの木の下にシートを敷いて、みんな裸で寝そべっていたり。湖畔のヌーデスト村も、あちこちで開村だ」

「なるほど、『裸の王様』はいたが、アンデルセンも『裸の兵隊』なんて書かなかった。ここが、安全で平和な国だったら、夏はだれもが無防備で非暴力の裸ですごせるはずだ」

 このように書いたりして、短パン一つで、軒下の丸太にかけている写真。いま、もう31度の真夏日で、この小屋は。けさの新聞の天気予報は20%、あしたも20で、あさっての投票日は80%の降雨マークです。きょうあたり、期日前投票もいい。では、また。

まだまにあうか

2007年07月26日 10時31分11秒 | 日記
 まだ、まにあうか、ということ。「いいことない」などと、このまえ書きましたが。そして、このあいだの、ケネス・カウンダは。

「われわれに果てしない疑問が残されていることは明らかである。自分が創った危険な武器から自分自身を救い出すことが、まだ人間の能力の範囲内でできるであろうか?」

「お互いに憎みあい恐れあっている諸国が合流して平和裡に問題を討議することが可能であろうか? 個人が拳(こぶし)で相手のあごをはずしてしまうようなことが、はたして止められるであろうか?」

「普通の人間の良心が、人間の活動の全体に係わる自分の重要性に目覚めて、行動へと駆り立てられることがありうるだろうか?」

「もし、そのようなことが起こるなら、人類は、新しい指導と責任の感覚を発達させることができるのだ。しかしそれも、われわれの呼びかけが普通の人の良心に届くことができたとき、はじめて可能なのである」

 20年ほどまえ、原発に反対の声があがったとき、『まだまにあうのなら』という冊子がベストセラーになりましたね。わたしは、このようなメッセージを、あなたに届けつづけるだけですが。どうぞ、コメントなど。

目をそむけないで

2007年07月25日 08時14分13秒 | 日記
 まもなく公開される映画『夕凪の街 桜の国』は、原爆をテーマにしていますが、ヒロインを演じた麻生久美子さんは「原爆の話とわかった瞬間に見たくないと思う人がいる。悲惨な状況が描かれ、見るのが怖い人もいると思う」と、日刊紙の文化欄に。

 おなじ日に載った『週刊現代』の広告には、あのとき「柏崎原発で"急性死20万人"寸前だった」と。ノルウェーの、建築家のオッド・ナンセンは、あの本に。

「少なくとも現在のところ近代戦争を抑制している最も効果的な手段というのは、その戦争に対するおそれなのである。われわれの発達のおくれた想像力にとって、戦争がひどいものとして映れば映るほど、われわれの戦争に対する恐怖が増すのである」

「そこでは救いのなさがむき出しになっているため、われわれが誇りにできる高貴な資性とは言えないであろうが、恐怖はそれにもかかわらず、われわれの内部にあって生命を謳歌する力に密接に結びついているのである」

 怖さは、だれにもあるものですが、悲惨さからも目をそむけないで。麻生さんはまた、「この作品は、そのような悲惨な場面ではないところを描きながら、深く考えさせます。見終わって、希望も持てるし、生きていることに感謝できる作品です」と。はい、では。

喜びと美を

2007年07月24日 07時21分35秒 | 日記
「われわれの自由は、すべて、市民の不服従から生まれた」と、『芸術と社会』などで知られるハーバード・リードも。

「市民の不服従は、国家の正義に絶望したものの武器である。われわれは、国家が無法であり、もはやわれわれの生命と自由を保護できないと信ずるがゆえに、国家の法律に服従しない」

「われわれがどのような道を選ぶにしても、危険と困難はある。だが、世界と、そこにある喜びと美とを永久に滅ぼしてしまう深淵にわれわれを導くような人々に従うことこそ、最大の危険なのだ」

 そして、「われわれもある法の規制は認めるが、われわれの法とは、人間性の法、あるいは神の法とも呼ぶべきものである」といい、その人間性の法と国家の法律と「われわれは、このどちらに従うべきであろうか?」

 いま、わたしたちの「もっとも深い、そしてもっとも神聖な本能が呼び覚まされている。それがわれわれに、生き、愛し、たがいに助けあうことを命じている」のではないか。おや、きょうは、晴れますか。

希望に応じた

2007年07月23日 06時44分42秒 | 日記
 北ローデシアが独立して、ザンビアとなったとき、その初代大統領に選ばれたケネス・カウンダは「人間愛に基づく非暴力」を、と。

「太古以来、人間は争いをおさめるために暴力を用いてきた。『力は正義なり』は、当然のこととされた。国々は征服、被征服を繰り返した。政府は打ち倒され、新しい権力もまた暴力によって倒された。敗れたものにとっては、ふたたび戦争をおこす力を獲得できるかどうかだけが問題であった」

「だが、争いを戦争以外の方法により、政治の分野でおさめるという考え方がしだいに拡がった。いくつかの地域で、人々の希望に応じる憲法が政府にそなわり、暴力による変革の要因を取り除いた」

 しかし、「今日でも、この世界の大部分の国々の政府は、巧みに力を使用するか、力で威嚇することによってその権力を維持している」と。

 この国の首相は、この選挙中の遊説で改憲をいっていますね、ゆうべのラジオをきいていましたら。わたしたちの希望に応じた、9条を捨てるというのか、ね。はい、晴れマークは、まだまだ。

権力には否と

2007年07月22日 08時01分08秒 | 日記
 心理学教授のエーリッヒ・フロムは、「数世紀にわたって王は、僧侶、封建領主、企業主、それに親たちは、『服従は美徳で、不服従は悪徳である』といいはってきた」と書かれています。

 けれども、もうひとつの考えかたを「人間の歴史は不服従の行為で始まった。そして、それが服従の行為に終るといえなくはない」と紹介し、次のようにも。

「人は、不服従の行為によって、進歩をつづけてきた。人の精神的進歩は、良心と信念の名において時の権力に対して否という人がいたからこそであった」

「人類が自殺をするとすれば、それは人々が、彼らに死のボタンを押すよう命じる人々に従うからであろう。恐怖と憎しみと貪欲という古い感情に従うからであろう。また、国家主権だの国家の名誉だのという古臭いおきまりの文句に従うからであろう」

 いま、書架をのぞいたら、『自由からの逃走』『正気の社会』『悪について』『愛するということ』など、フロムの著作が並んでいました。きょうの日曜日も、降らず照らずか、この県では知事選の投票日です。

執行猶予ですか

2007年07月21日 10時20分45秒 | 日記
 きのうの、あの「不服従のすすめ」から、また。広島について研究の『橋上の人』を、1958年に出版されている、ギュンター・アンデルスは。

「今日われわれは、必要という概念にはあてはまらない産物、必要とされてはならない、絶対的な意味で大きすぎる産物が製造されるような状況に達しているのである」

 原爆という軍事利用でも、原発という平和利用でも、ということになりますが「それゆえ、この時代は『執行猶予期間』である」と。

「この執行猶予の時代に、『まだ非存在になってはいない』われわれにとって、その答は一つしかない。たとえ終りの時代がいつでも時代の終りになりうるのだとしても、われわれは力の限りをつくして、終りの時代を終わらせないため、あらゆることをしなければならない」

 そうです、きょうはここまでにして、もう何回かこのような理論を。そう、この梅雨が明けるころまで、つづけますね。では、また、よろしく。

寝る子を起こして

2007年07月20日 13時29分02秒 | 日記
 原発の事故、おとといトラブル50件と書きましたが、そのあと63件と伝えられました。直下に活断層、火災がおきて、放射能がもれて、貯蔵タンクが倒れて、と。この国最大の原発がと、よその国のメディアでも、大きなニュースになっているようです。

 土を、手でひっかいているうちはよかったのですが、石炭や石油、ウランまで掘りだして。寝た子を起こしたら、手におえない暴れん坊だった、ということになります。

 そんなもの要らない、電気も車もノーと、あなたの良心はささやいていませんか。『不服従のすすめ』(弘文堂)に、編者のクララ・アークハートが書かれていますが、田村 浩さんの訳です。

「産業中心の時代において、人間が自分の良心の声を聞くことはより困難になったようである。それはまず、人々が外向的な生活を送っているためであり、またこの機械時代において道徳的に生きるのに必要な、内面的進歩をとげえないでいるためである」

「良心はその本性からして非順応的である。良心は、他のすべてのものがイエスといっているときでも、ノーといえなければならない」

「順応的であればあるほど、人は自分の良心の声を聞きにくくなり、たとえ聞いても、それに従いにくくなるのである」

 40年あまりもまえにでた本ですが、みな核兵器、核戦争についての論考ばかりです。原発のこと、まだ話題にならなかったころで、副題に「核時代の行動と理論」とあります。

 はい、では、また。どうぞ、「ブックマーク」から他のブログ、メールマガジンも。

自給力アップを

2007年07月19日 09時28分32秒 | 日記
 このまえ、「老人力」ということばを考えられたかたがいて、そのような本がよく読まれました。そのあと、○○力、○○力と、なんにでも「力」が使われるようになって。

 ところで、この国の食料自給率は、カロリーベースで40%という低水準です。オーストラリアは237%、アメリカが128%、フランス122%です。

 内閣府の世論調査によると、それでは「国際情勢の変化で輸入が大きく減ったり止まったりする可能性」「異常気象などによる内外の不作の可能性」などから、これからの食料供給を不安であると77%の人たちが答えていたといいます。

 食料ばかりか、そのほかの資源もエネルギーも、自給率こそ「国力」ではありませんか。わたしは、ここで、わたしひとりをまかなう自給率はかなり高いようで。つまり、「自給力」があって、それがわたしの老人力ということになります。

 いかがですか。これからの10年、20年、なにがおこるかわかりませんよ。せめて、お庭を自家菜園にしては、ということにして。では、また。

手を動かして

2007年07月18日 15時00分45秒 | 日記
 若いものがいない、わけではありません。土からはなれた給与生活で、どこかにマイカーで通勤なのです。村の鎮守の、杜(もり)にも社(やしろ)にも、まったく関心がないという。

 中越沖地震による、柏崎刈羽原発の事故、放射性物質ももれて全7基でトラブル50件と。車も、発電所も、機械です。荘子のことばに、こうあるようです。

「自分の仕事を機械的に片づける人は、機械の心をもつようになる。機械の心をもっておれば、その人から素朴さが失われる」

 このごろはまた、トイレも機械のようで、ウオッシュレットというのはお湯がでて、おしりを洗ってくれるのですか。いや、「最新の洗浄機トイレには『便意促進ボタン』というのまでついている。便秘がちの人のために、強い刺激の水がピュッピュッと出るのだそうである」と、三砂ちづるさんが書かれていました。

 素朴さというのは、飾らないで、自然のままであること。できるだけ、そのように、暮らしたいものです。土からはなれないで、そこまで足を運んで、考えをめぐらし手を動かして。では、また。

若者がいない

2007年07月17日 10時38分27秒 | 日記
 おとといの、この集落での、夏まつり。むかしは、裸でパンツ一つの若い男たちが、「わっしょい、わっしょい」と、みこしをかつぎまわったものですが。

 もう、それをできるほどの、元気な青年たちはいません。30年も40年もまえから、軽トラックの荷台にくくりつけて、ぐるりと集落をひとまわりするだけです。

 いや、そのむかし、おなじようなことが一度ありました。あの1945年、その7月15日、青年たちは戦場へ、このような田舎でも敵機による爆撃か機銃掃射か。そこで、ウシに荷車をひかせ、それにみこしをのっけて、うしろからお年寄りたちが「わっしょい、わっしょい」と声をかけて。

 ところが、そのあとで、伝染病の赤痢が流行した。これは、まつりに、みこしをかつがなかったからだ。というわけで、あらためて、おまつりのやりなおしをしたというのです。

 さて、それが、いつだったか。原爆投下もあって、1か月後には敗戦です。わたしは、そのころ、ここを留守にしていました。9月の末に、もどってきて、その話をきいたのです。

 戦時下の、愚かしいことか、理不尽な話か。いまも、牛車が軽トラにかわって、おなじように戦争末期ですか。きのうの中越沖地震と、震源地近くの原発事故と、いかがですか。