ピース・ダイアリー

競わないで、奪わないで、争わないで。
分けあって、話しあって、助けあって。
この世が、そのようであったらいい、と。

79・64とは

2011年07月29日 12時58分11秒 | 日記
 おとといの、厚生労働省の発表によると、2010年の日本人男性の平均寿命は79・64歳だったといいます。わたしは、いま81歳8か月ですが、実年齢はそれより10年は若いか、などと。そして、女性は、86・39歳。 

 けさの新聞で、作家の小松左京さんが亡くなられて、80歳。写真がでていますが、わたしの顔もこのようになるのか、いかにもおじいさんと、そのような感じで。さっき、洗面台の上についた鏡を、しげしげとながめたりして。

 県版の「おくやみ」欄で、この町では67歳と36歳の女性が、まあ30代で。やはり、ここまで生きられて、哀れな独居老人ではありますが、いまもなお不自由のない日々であることを感謝しないではおれません。「半農半読書」などと、書いたりしましたが、どこかに。

いくつか気になること

2011年07月25日 08時04分16秒 | 日記
 あの「星に願いを」には、原発事故のことなど、一つもありませんでした。このあたりの子どもには、ほとんど気にならないことか、そのようなこと、おとなたちも話したりしていないか。

 毎朝の新聞で、目をむけるものに、各地の放射線量があります。24日のそれは、県都・前橋市で、毎時0・029マイクロシーベルト、隣県の宇都宮市では0・056。ホットスポットか、ここよりも遠い東京・新宿区で0・058。いや、すぐそこの小学校の校庭の地表では、市による測定結果ですが、0・147で、このような数値は3か月たっても4か月たっても、ほとんど変わっていないようです。

 24日、ノルウェーのオスロで、テロにより92人死亡というニュース。「治安の良い北欧での大規模な凶悪事件は異例」で、容疑者は排他的思想、反移民思想の持ち主。他国からの移民に寛容な自国が、それでは高福祉社会への脅威だ、と。わたしの友人たち、その事件にも、こちらの原発事故にも、驚かれていることでしょう。

 ここにはテレビなどありませんが、地デジというものに変わって、といいます。なるほど、どちらの家でも、屋根の上のアンテナがいままでのものと変わっています。そして、けさの新聞によると、ラジオではそのテレビの音声を聞けなくなった、と。わたしは、これまで、FMでそれを聞いていたのですが。

 視覚障害者のグループが、それで困った、なんとかしてほしいと要望すると、メーカー側から「採算が合わない」と回答されたというのです。やれ、やれ、なにがなんだか。

星に願いを

2011年07月21日 08時27分00秒 | 日記
 いまの子どもたち、なにになりたいか、なにを願っているか。7月7日の新聞に、ちらし広告が。販売店が、短冊に書く文を募集して、そのコピーが次のように載っていました。

「おはなやさんになりたいです」
「ようちえんのせんせいになれますように」
「家族が健康で、かがやく未来になりますようにお願い申し上げます」
「ピアノがじょうずになりますように」
「サッカーせんしゅになれますように」
「おこめやさんになりたい」
「ぽけもんげっとしたいな」
「もっと上手にお話が出来ますように」
「お医者さんになれますように」
「おきくなたらやきゅせんしゅになる」
「家族みんながニコニコ笑顔で過ごせますように」

 と、まあ、このように。お母さんに聞いた子もいるようですが、みんなで話しあうのもいい。小学校は、きょうから夏休みかも、きのうまでの雨も止んで。みんな、お元気で、ね。

小さくていいのです

2011年07月16日 14時38分36秒 | 日記
 ただいま発売中の、月刊『望星』(東海教育研究所/発行)の8月号に、わたしのエッセイが5ページにわたり掲載されています。この誌名で検索しますと、その表紙と目次をごらんになれます。

 この号の特集は「小さいことはいいことだ!  大きくていいのは心だけ」で、わたしのところのタイトルは「無駄な電気エネルギーなど欲しがらない・・・早寝早起き、『半農半読書』の小屋暮らし」とあります。

 導入部に「『小屋』と称する小さな家で、十五坪の小さな畑を耕しながら、農と読書と思索で暮らす久保田さん、小さく暮らして大きく生きる毎日とは・・・」とあります。

 小さい家だから小屋といい、小さい畑だから菜園で、それに風樹小屋とか、風来園と名をつけて。また、読書と思索は書斎兼客間の風来軒で、ということになります。はい、きょうから3連休のようですね、お気をつけて。

事故に感謝、か

2011年07月15日 09時36分37秒 | 日記
 四国電力伊方原子力発電所での、危険性の高い出力調整実験、それに反対の声があがったのは1988年の1月でした。「原発やめて! いのちが大事!」という反原発運動は、それをきっかけに全国津々浦々にひろがったのですが、その年の7月に刊行の『原発ありがとう』(径書房)がここにあります。

「私たちがみずからの生存を支えるために口にする食料は、農薬に汚染され、化学的添加物にまみれ、いまや放射能さえたっぷりと含むことになってしまいました」
「日々の電気を使い、その料金を拠出し、電力会社の事業を支えているのは私たち自身にほかなりません」

 そこで、「もっとエネルギー資源を」と「政府や電力会社に言わしめているのは、私たちの生活態度そのもの、つまり私たちの生き方そのものに一つの根拠があるはずです」と、そのことを気づかせてくれたチェルノブイリ事故なら、ありがとうと逆説したくなる事態ではないか、と。

 こんどのフクシマの事故から、わたしたちはなにを気づいたか、なにを考えたか。支持率は落ちても、首相は「脱原発」を表明と、そのような動きもありますが。では、また。

人間は征服したのか

2011年07月13日 09時44分41秒 | 日記
 ここに、戦後まもなく1951年発行の『少年文学代表選集2』という児童書がありますが、その2年まえにノーベル物理学賞を受けた湯川秀樹さんの「原子と人間」という詩が載っています。

石炭の代りに ウランを燃料とする発電所
もう すぐ それが できるであろう
錬金術は ゆめではなかった

原子時代が 到来した
人々は かがやかしい未来を のぞんだ
人間は ついに 原子を 征服したのか
いやいや まだまだ 安心は できない

人間は 原子を 知った
そこから 大きな希望が わいてきた
そこには しかし 大きな危険も ひかえていた
わたしどもは 希望を 持とう
そして みなで 力をあわせて
危険を さけながら
どこまでも すすんで ゆこう

 このようにつづくのですが、それから20年もしてからその発電所は建てられ、また40年もしてからの、たいへんな事故で、危険をさけられなかったのです。錬金術をゆめみてはいけなかった、夢ではなく、それは幻であった、ということでしょうか。

目にするもの無事で

2011年07月03日 13時54分39秒 | 日記
 たくさんのかたから、おたより、あの絵本について。ここで、また、いくつか紹介させてください。

「いつもの暮らし、ずっとずっと続いてほしい素敵ないつもの暮らしにほんわりとつつまれた気がします」
「おばあちゃんの愛に包まれたモエの姿、子どもたちにやさしく受けとめられることと思います」
「貴兄の心の豊かさ、優しさを確認した思いです」
「ほのぼのとした温かみあふれる絵本でした」
「あたたかい、ほのぼのとした作品ですね」
「モエちゃんとおばあちゃんの日常にほっこりしました」
「この子は久保田さんが会いたがってる娘さんなんだと思いました」

 いま、空には薄く雲がかかり、ここでは開けた窓からそよりとそよ風が。31度、わたしは裸で、扇風機も止めています。軒下には、マツバボタンが、21個の花を。愛鶏は、2個の産卵。菜園には、サツマイモと大豆と、サトイモ、トマト、ナス、キュウリ、ニラ。ブドウ、ブルーベリーにも、実が。

 目にするもの、みな、事も無し。が、原発を許した、むこうの海浜では、いまもこれからも・・・。

はい、バカな男です

2011年07月01日 12時24分38秒 | 日記
 ローカル紙の、毎週金曜日にエッセイを連載していますが、きょうは第756回。そのおしまいのところに、わたしは「屋内にいるときは下着1枚だけの裸だ。いつも、みすぼらしいかっこうだが、『えらそうに装うな、こぎれいに飾るな』を自戒のことばにしている」と。

「ときどき、あそこのじいさんバカみたい、などという声を耳にする。そんなとき、『あのなあ、このまえイギリスの田舎町へいったとき、若い娘さんといい仲になってよう』と。『彼女が、「わたし、日本語知ってます」なんていうんだ』といい、『英語のフイッシュは「サカナ」ですね、それからフーリッシュは「バカな」ですね、だってさあ』などとバカなことを話し、とぼけた顔をしている」

 そのとおり、きょうも裸で、扇風機を『弱』で。一休みには、マグカップを手に、ブドウ棚の下のロハ台にかけて。あなたは、エアコンつけた室内で、こぎれいに飾ったりして、それで電力多消費社会にしてしまった、のではないか。きょうも、放射能は飛散しているか、海のサカナは食えないで、わたしはバカな男か。