ピース・ダイアリー

競わないで、奪わないで、争わないで。
分けあって、話しあって、助けあって。
この世が、そのようであったらいい、と。

小さくなった地球を

2008年07月30日 10時47分29秒 | 日記
 もういちど、つづけますが、あのシンポで基調講演をされた東大総長小宮山 宏さんは「21世紀は『意思の時代』。どうなるかではなく、どうするかが問われる。人口の密度が高く、先進国でもある日本には課題が集中している。その解決に取り組み、実践を発信することで、日本は世界をリードできるはずだ」と。

 その2週間ほどあとに、「地球規模でのサステイナビリティ実現のために、大学が果たすべき役割や具体的な取り組みについて話し合う『G8大学サミット』」が開かれ、そこでも小宮山さんは次のように。

「地球規模の持続可能性は、21世紀における人類の中心的な課題となっている。気候変動そのものが人類にとって影響を与えるだけでなく、バイオ燃料の生産増が食糧不足の問題を引き起こすように、問題は非常に複雑で、相互に複雑な関係性がある」

「20世紀、人類は『無限の地球』に暮らすぜいたくを享受し、地球の将来を心配する必要はなかった。現状を分析し、未来への予測を立てるだけで十分だった。ところが、人間の行動や活動が地球を支配するほどに大きくなり、相対的に地球は小さくなった。現在、私たちは『有限の地球』に暮らしている。地球をコントロールすることは、我々自身の運命をコントロールすることだ」

 おなじようなことに、わたしは20年もまえから目をむけて、18年まえに『この星のかたすみで』(新宿書房)を上梓しています。副題は「つつましく生きてハッピー」で、どうぞ、この書名で検索を。

暮らしを変えないと

2008年07月29日 11時02分13秒 | 日記
 このまえの、あのシンポジウムで、ほかの先生がたの発言は。日本エネルギー経済研究所理事長の、内藤正久さんは「地球温暖化は宇宙船地球号の浮沈の問題であり、今まで体験したことがない新たな社会リスク管理だ」と。

 東大特任教授の、湯原哲夫さんは「エネルギー危機はすでに来ており、資源や食糧、水問題などを考えれば、世界は2030年までに何らかの破たんに直面する可能性が高い。そこから立ち上がる中で日本の果たす役割を考えることが大事だ」と。

 科学技術振興機構上席フェローの、安井 至さんは「CO2排出量削減は、途上国の発展の仕方がカギを握る。人間の生活スタイルは慣性が強いので、2030年ころまでに考え方を転換しなければ対策は間に合わない」と。

 この地球号、2050年にどうなるかという課題でしたが、2030年に破たんか、それまでに生活スタイルを変えないと、ということになるようです。はい、わたしのスタイルは、「そよ風がドアを」で。

存亡をかけた

2008年07月27日 18時40分38秒 | 日記
 この6月下旬に、東京大学などの主催で「環境シンポジウム 『2050  その時地球は』」がありました。あと40年後、地球という、わたしたちの生存環境は、ということになります。

 東大教授の住 明正さんは、「今の状態がこれからも続くのか、50年まで国家があるのかも含めて、国際政治の枠組みを考える必要がある。日本は大国モデルでいくのか、小国モデルでいくのか。大陸国家モデルでいくのか、海洋国家モデルか。これからの社会のあり方が試されているわけだから、国家イメージが大事だ」と。

 京大客員教授の竹内佐和子さんは、「世界経済は、文明の存亡をかけた転換期にある。京都議定書から排出量取引に至るこれまでの流れは序章にすぎず、非常に大きな転換が10年単位で続くだろう。世界経済は市場競争の時代ではなく、リスクをいかに世界の共通認識にし、どのような枠組みで解決していくかを提示する作業に入る」と発言。

 そこで、ひとりひとりに、なにができるか。「日本の豊かで繊細な食文化の伝統や省エネルギーの知恵の素晴らしさを見直して行きたい」とも、うーむ。

経済より環境を

2008年07月25日 11時13分34秒 | 日記
 駒澤大学の大橋照枝教授が、環境を重視する新たな価値観を、と新聞に書かれています。いつも、引用ばかりですが、わたしの関心はこのような解説に目がとまりますので。

「私は、人の幸福や満足感と持続可能な発展を両立させる指標で、『社会』『環境』『経済』の3分野を織り込んだ『人間満足度尺度(HSM)』を開発している」

 そこで、日本とスウェーデンで調査したところ、「両国の生活者が3分野の重要性をどう評価したか。両国とも『環境』がトップで、『社会』『経済』と続いていた。経済優先とみられた日本でも、『経済』より『環境』と出たのである」と。そして、日本では。

「格差への不満、将来への不安が充満している。弱者に平等の機会を与える仕組みが確立されておらず、社会のゆがみのツケが弱者に回っている感も否めない。ただ、そんな情勢の中でも『環境』重視の傾向が強まり、『経済』一辺倒ではない価値観も示されている」

 きのう、この町は猛暑日で、きょうもそうなりそうで。どうぞ、どなたも、ご自愛を。どうぞ、ブックマークから、他のブログなど。

破滅の危機から

2008年07月23日 14時43分29秒 | 日記
 この月曜日の新聞に、山田養蜂場の一面広告がでていて、その代表と横浜国立大学名誉教授の宮脇 昭さんの対談が。「再び歩むか破滅への道」というタイトルですが、宮脇教授は「絶やすな 30億年の命のドラマ」と。

「18世紀後半からの産業革命を機に地中に埋まっていた石炭や石油などの化石燃料を人間が使い出したことが今、温暖化として深刻な問題になっているのです」

「森はもはや人類にとって邪魔者ではなく、生きる基盤といってもいいでしょう。30億年前に原始の命が生まれ、その長い遺伝子の糸が一度も途切れずに続いてきたから今、私たちは生きているんです。生物学的にいえば、奇跡なんですね。この人類を主役とする地球の命のドラマを絶対、破滅に導いてはなりません」

「そのためにも今、必要なのは、エコロジカルな命の森を積極的に回復、再生することです。土地本来の木を植えることによって再び炭素を森の中に閉じ込めて固定する。同時に生物多様性も保全できるわけです。まさに一本一本の木が地球を破滅の危機から救ってくれるといっても言い過ぎではないでしょう」

 いやあ、きょうも暑い。「これまで科学技術の力で高度な文明を築いてきた人類が、あと何年生きられるかを考えると、身震いするような恐ろしさを感じます」とも、あなたにもそう感じられますか。

勝ち負けの時代か

2008年07月21日 17時43分44秒 | 日記
 このあいだの洞爺湖サミット、たいへんなお金を投じて、なんの成果もなしということのようでしたが、Y紙では国際部長・大塚隆一さんが解説の書きだしを次のように。

「人類が農耕を始めてから約1万年、石炭や石油を原動力にした産業革命の時代から200年余り。私たちが築いてきた文明はいま転機を迎えている。世界は新しいルールづくりを迫られ、大国間では新しい競争が始まろうとしている」
「サミットでは温暖化、石油、食料など、21世紀を通じた難問になるであろう地球規模の課題がそろって主要議題になった」

 そして、別の日に、元米国務長官のヘンリー・キッシンジャーは「サミット参加国拡大を」のタイトルで。

「真に地球規模の経済システムが、史上初めて形を現してきた。グローバル化である。だが、そのグローバル化は皮肉にも、(各地で)ナショナリズムを引き起こし、自分で自分の首を絞めている」
「グローバル化の前提は、競争によって最も効率の高いものが生き残ることにある。つまり定義上、そこには勝者と敗者がいる」

 なるほど、有史以来初めて、地球規模で競いあい奪いあう時代がきた、ということですか。勝ち組・負け組といったり、格差社会といったり。さて、これからこの夏も、暑くなりますか。

空梅雨ですか

2008年07月18日 10時28分47秒 | 日記
 日本は島国ですが、また山国で、急な斜面が多い。そこに森があって、雨水を蓄えています。河川は干上がることなく、いつも水が流れ、水田がまたダムのような働きをしています。

 農民は、そこに手をかけ、森もまた手をまわして間伐したりしないと、荒れてしまいます。富山和子さんの書かれたものから、前回につづけて、引用させていただきます。

「豊かな土と水こそ、日本が世界に誇る大切な資源です。それを作りだしてきた零細な農業・林業を尊ぶ社会にするのは、経済的な支援や教育であり、突き詰めると政治の問題となります」

「昔から農民は、少々損をしても、親から受け継いだ農地だから頑張らなくてはならないと、目先のお金だけに左右されない生きがいや理念をもってきました。意気込みと哲学をもって自然と対話しながら大地を耕してきました。そういう伝統を大事にしないといけません。そのことが食料自給率を高めると同時に、自然環境を守り水資源を守ることにもつながります」

 もう5日もしたら梅雨明けか、このあたり降雨量が少なく空梅雨であったような、この夏は水不足なんてことになりませんか、ね。

この秋の実りは

2008年07月16日 09時16分48秒 | 日記
 この国の食料自給率は39パーセントといい、よく指摘されるのは減反ともいう生産調整、農業従事者の高齢化、後継者難など。それで、草ぼうぼうの耕作放棄地も、ひろがるばかり。

 いつかの日刊紙には、「崩壊する日本の米作農家」の見出しで「政府は農業に競争力をつけるため、一定規模の農業者に助成金対象を絞る政策を打ちだした。事実上の『小規模農家切捨て』政策である」と、けれども、立正大学名誉教授の富山和子さんは。

「政府は、もっと効率のいい農業を行えば、市場における日本の農産物の割合を高められると考えているようです。だから、工業的農業、株式会社の農業を広げようと言います。しかし、そういう政策は間違っています。日本の農業には『効率』で計ることのできない役割を担ってきた歴史があるからです。日本の文化も農業によって育まれたものです」

 これは、月刊『自然と人間』5月号からの引用ですが、また次回につづけます。これからの暑さ、降雨量はどうか、それも秋の実りにつながります。

なんの不満もない

2008年07月14日 08時36分55秒 | 日記
 立教大学大学院の教授で、哲学者の内山  節さんは、NPO法人・森づくりフォーラムの代表理事などもされています。東京ばかりか、本県西部の上野村にも生活の拠点をおいて、都市と田舎の二重生活です。

 著作の『山里の釣り』には、「なんでもそうだが、育てるってことは計算ですることじゃあないんだ。木を育てる。山を育てる。それは人間の営みっていうもんだ」と書かれています。

 また、『「里という思想』(新潮社)について、その版元は「グローバリズムは、私たちの足元にあって継承されてきた技や慣習などを解体し、幸福感を喪失させた。今、確かな幸福を取り戻すヒントは『里=ローカル』にある」と解説されています。

 ここもまた、その里であるような。果樹もあり、野菜を育て、トリも飼って、このシニアのひとり暮らしである営みに、わたしはなんの不満もありません。ブックマークから、どうぞ、他のブログも。

エコとグリーンで

2008年07月12日 07時26分15秒 | 日記
 翻訳家の高祖岩三郎さんが、アメリカのポートランドという町のことを、雑誌『一冊の本』の5月号に書かれています。そこに、「野生の大木に体を括りつけて、伐採者から守る『木守り人(tree sitters)もこの地から多く出ている」とありました。

 そのようなツリー・シッターのこと、本になったものがあって、わたしも自著に紹介したことがあります。木の上に登って、この木を伐らないでと、いつまでも降りてこない女性の話でした。高祖さんは、次のようにも。

「この町の活動家の伝統としては、広義と狭義のエコロジーが根強く継承されている。共通空間としての都市を守り育てるコミュニティー運動から直接行動を土台にするラジカルなグリーン運動まで、幅広い活動形態が観察される」

 そのラジカルな一つが、木守り人ということになりますが、また「ここには若く情熱的なアーティストのコミュニティーがある」ともあり、そのような芸術家たちがエコロジーやグリーンに目をむけているらしいことがわかります。

 さて、きょうは晴れそう、気温は真夏日から猛暑日か。わが菜園も、グリーン・スタッフで、あおあおとにぎやかですよ。

欲から解放されて

2008年07月10日 09時09分16秒 | 日記
 木に抱きついて、木が伐られること、森が破壊されることから、それを守るというチプコ運動。1992年5月に開かれた、モントリオール国際環境会議に、インド代表として「チプコ運動の父」といわれるスンダルラル・バフグナさんが出席しました。

 そこでの「チプコのメッセージ」を読むことができますが、おしまいのほうにこうありました、いかがですか。


開発は自然を殺し、一時の富をもたらすが永遠の生活と幸せを失う
私たちは開発ではなく、幸せを求めている
小さな土地と少しの水、少しの食物で十分なのだ
幸せはお城の中ではなく、自然の中にある
悩みは欲に中にあり、幸せとは欲から解放されること
あなた方はどうして、その当たり前のことを忘れてしまったのか?
あなた方はどこに行くのか?


 どこに行くのか、ここまで来てしまった、まだ「国敗れて山河あり」だったあのときから60年たって。さあ、わたしのばあいはと、いろいろとふりかえっています。どうぞ、ブックマークから、他のブログも。

全裸で自転車

2008年07月08日 09時45分50秒 | 日記
 インドのことばで、抱きしめるはチプコだといいますが、英語ではハグで、木はツリーです。ところで、このごろ「木を抱きしめ隊」という人たちがでてきて、ツリー・ハッガー(Tree hugger)というようです。

 いろんな木に抱きついている、いろんな人たちの写真を撮って、それをポスターなどに使ってもらう。そういうことなど、おやりになっているのか、そのなかには全裸の男が大木にハグしている1枚がありました。

 人目をひく、というやりかた、おもしろいではないか。6月7日から9日まで、アメリカ、イギリス、フランスなどで、ヌーディストたちのデモがあったようです。石油の使いすぎ、車の乗りすぎ、それが環境に悪影響をおよぼす。ただ、それを「反対」と声をあげたり、手をあげたり、行進したりという、それだけでは、と。

 こちらは、それを全裸でアピールしようと、ワールド・ネイクド・バイク・ライドです。まっ裸の男女が、何十台もの自転車に乗って、町の大通りをパレードしていました。

 というニュース、どこかのMLにでていました。もう、お暑い毎日で、省エネのためにも健康のためにも、窓を開けはなって風をとおし裸んぼうになって、ね。まあ、そのままママチャリ・風来号にまたがってお使いにと、そこまではできませんが。

木のため水のためにも

2008年07月06日 13時05分26秒 | 日記
 熱帯林の木材を、いちばん多く輸入しているのは、こちらの日本です。「木は循環可能な資源。二酸化炭素を吸収し、土壌を浄化し、酸素を出して成長します」と、広葉樹林を育てる活動を続けているのは「ドングリの会」です。

「子ども一人、ドングリ一粒」を合言葉に、「1本のオークの大木も、1粒のドングリから芽を出すのです」と。種を埋めるのもいい、苗を植えるのもいいが、樹木は手入れをしないと育ちません。「国土緑化推進機構」というグループは、「緑の基金」をつづけて、それを支援しています。

「森林の種類や成り立ちにかかわらず、適切な手入れによって、森は土壌の保水力を高めることができます。間伐をする、下草を刈る、枝を払うなど。森林は、人の手入れを必要としています」

 あなたは、1年に50リットルのうんちを、そして500リットルのおしっこをする。「それを流すための水、1万1000リットル」と書いているのは「日本トイレ協会」で、それは汚水となり川から海へ、そしてペーパーを使えば、それだけ森の木が伐られます。

 この国で、トイレの水洗化率は、現在84パーセント。あなたは、紙のためにも水のためにも、保水力のある木を植えなければなりません。と、いうことになりますが、いかがですか。いやあ、きょうも暑く、それでわたしは裸ん坊。

木を抱きしめて

2008年07月04日 12時57分09秒 | 日記
 ここに、『木』(小学館)という絵本があって、インドでのお話が載っています。そのインド北部で、いまから20年もまえのこと、とあります。

 お金がたっぷりある材木会社が、その村の木を森ごと買いしめてしまいました。伐採人がくると、村の人たちは総出で森にかけつけ、チプコ運動です。チプコとは、抱きしめるということ。

 男たちは、会社から買収されたりしますが、女たちは「木を切ると村が破壊されてしまう」「水も、土もなくなってしまう」「家畜のえさも、薪も食べ物もなくなってしまう」と木に抱きつきます。

 銃をむけられると、「撃つなら撃ちなさい。でも、木には指1本もふれさせないわ」と。とうとう、その勢いに負けて、伐採人たちは森をあとにします。

「このレニ村での抵抗運動以来、チプコ運動はインド北部ばかりではなく、インドのほかの地域へも広がっていきました」

 だいじなものを、お金を集めて守るか、いのちをかけて守るか、ということになりますね。よく晴れて、暑くなりました、わたしは裸です。

飽食で残飯か

2008年07月02日 07時19分11秒 | 日記
 ナショナル・トラストのこと、絵本「ピーターラビット」で知られるイギリスのビアトリクス・ポターも、印税収入で、風光明媚な湖水地方に農場を買って経営したり。

 また、「旧友のローンズリィとナショナル・トラストを設立することを通して、田園を住宅開発から守ったのでした」といわれていますが、もう100年あまりもまえのこと。

 ところで、このごろ、このあたりではということになります。耕作放棄地もめだちますが、畑だったところに家が建ったり、広い農地が住宅団地になったり、町の人口は減っても世帯数は増えたり。

 それで、自給率は落ちて、飢餓も気になるということですか。お金を集めて、みんなして放棄地を買いしめるか。いや、これから、資本がそのように動いて稼ごうとたくらむか、も。

 飽食といい、大量の残飯も、わが国民のばちあたりめ。ゆうべ、ラジオの「新・話の泉」という番組で、小泉武夫教授もなげいておられました。きょうは、降りません、ブックマークから「そよ風」もどうぞ。