ピース・ダイアリー

競わないで、奪わないで、争わないで。
分けあって、話しあって、助けあって。
この世が、そのようであったらいい、と。

ひとりで学ぶ

2010年01月30日 10時08分52秒 | 日記
 加藤秀俊さんの『独学のすすめ』(ちくま文庫)には、「学校というものは、『独学』では勉強することのできない人たちを収容する場所なのだ」とあるようです。わたしは、先生とか教授とか、肩書きなどつけないで、いつも「さん」と紹介しています。

 そのような場所から、はなれてきたし、いくらかでもわたしに知恵があるとしたら、それは独学でといいたいからです。このごろは、足で野を歩いて、まわりの自然に目をむけ耳をかたむけて、そこからなにか読みとろう、などと。

 そして、また、無学暦で無職歴でなどというようにしているのは、そうではない教員とか党員とかいう人たちが、なんともおバカさんだと思えるからです。わたしの娘の母親、つまりわたしが別れた女性は、小学校の先生で共産党員でした、はい。

自分が変われば

2010年01月28日 08時34分31秒 | 日記
 幸福度ということばがあるようで、この国は経済大国とはいっても、その幸福度は先進国のなかでは低いほうだといいます。それを、「幸福のパラドックス」ともいい、ブータンという国はGNP(国民総生産)ではなく、GNH(国民総幸福)という考えかたを基に国づくりをすすめているといいます。

 幸福感ということばもあり、『幸せを科学する』(新曜社)を書かれた大石繁宏さんは、「幸福感の高い人は、他人への思いやりがあり、ボランティア活動にも熱心など個人の幸福感は社会にとって有益だ」と話していると、そのようにY紙の解説欄にありました。

 足るを知るともいい、それを知足ともいうようですが、どうでしょう。わたしの生活費は、月額3万円ということになり、これなど知足を生きるといえますか。それで浮いたお金を、どのように他に分けてあげられるか、と考えていたり。「自分が変われば、世界も変わる」ということばもあり、そうしたら「1日3時間しか働かない国」にできますか。

幸せですか

2010年01月25日 14時56分31秒 | 日記
 精神科医で作家の加賀乙彦さんが、『不幸な国の幸福論』(集英社新書)を書かれたようで、「今ほど希望の持てない時代はない」と。  

 書評には「幸福は定義するものではない、何を幸福と感じるかは、人それぞれでしょう」ともあり、その本のなかで著者は「人と違っていい。色々な人とつきあい、場を広げなさい」と説いているというのですが。

 Y紙の編集子はまた、コラムに「街の本屋には今、定年後の生き方を指南する本があふれている。世界には、貧困やエイズが原因で、平均寿命が40歳台の国がまだまだある。平和で不思議な国だな、ニツポンは。そう思わずにはいられない」と。

 不幸な国なのか、平和な国なのか。それも、人それぞれに、見かたや感じかたがちがうというものか。きょうは、しずかでおだやかで、おひとり来客あり、ウォーキングを30分、わたしには幸せな1日でした。

すてきで好きな言葉

2010年01月23日 10時25分56秒 | 日記
 もう一つ、あのプロフィールに、次のような「好きなことば」を。どうぞ、あなたのすてきな言葉、コメント欄にお知らせください。

「幻からは自由にならねばならぬが、人は夢なしに生きられぬ」・・・ドルチ
「夢に向かって自信をもって進み、思い描いた人生を生きようと努力するなら、思わぬ成功を手にするだろう」・・・ソロー
「善いことというものは、カタツムリの速度で動くものである」・・・ガンジー
「同胞よ地は貧しい、吾らは豊かな種子を蒔かなければならない」・・・ノヴァーリス
「人には、自然との触れあいが必要です。わたし達はみな宇宙の一部なの」・・・テューダー
「ノー・カー、ノー・マネー、ノー・ファイト」・・・ヤンソン

 きょうもまた、あたたかな日になりそう、晴天なり。寝具を、庭先のママチャリの上にひろげて、日に当てています。

足を運んで

2010年01月21日 06時56分18秒 | 日記
 おととい書いたものにつづけますが、「出会った人」のあとに、「訪ねた場所」を次のように記したのでした。

「オランダでアンネ・フランク・ハウス、オーストリアでナチスの強制収容所跡、フランスでラルシュ生活共同体、オランダでエコ派のコミューン、イギリスで冬を過ごした農園、デンマークで反核グループ事務所、アメリカでサンフランシスコの日本人街、日本山妙法寺、フードバンク・センター、インテグラル・アーバン・ハウス、ザ・ファーム共同体、ホピ族の居留地など」

 プロフィールとして、このように書いたことを、どうしてお気に召さぬのか。わたしは、足を運ぶこと、手をかけること、目をこらし、耳をかたむけること。そのようにして、たしかな「知」を身につけたい、と思っていますが。

だれかと出会うこと

2010年01月19日 07時43分21秒 | 日記
 ある会に参加したら、プロフィールを、といわれました。そのようなとき、わたしは、学歴も職歴も書きません。その会の主宰者は、それを嫌うようで、わたしのそれはコピーされませんでした。

 そのかわり、そこには「出会った人」と記したりしたのですが、次のように。わたしが嫌うのは、最高学府などといい、その権威にしたがうということで。

「延べ4~5年滞在したノルウェーのノルリ・ファミリー、画家のロルフ・グリーク、童話作家のアンネ・ウェストリー、作家のアーナ・モーン、平和学教授のヨハン・ガルトゥング、オランダのクエーカーのレフトーツ夫人、柔道家のアントン・ヘーシンク、オーストリアのエスぺランチストのアロイス・ヒルカスベルガー、フィンランドの画家のユハニ・アホラ、アメリカ先住民のトーマス・バニヤッカ、南米インディオのラミロ・レイナガ、カナダのジョージ山田」

 だいじなことは、だれかと出会うこと、どこかで話すこと、足で歩いて自然をたずねること。きょうも好日、でかけたくなりました、風来号のペダルをこいで。

賢く老いたいもの

2010年01月17日 15時46分59秒 | 日記
 仙人のお散歩、2時すぎに、30分ほど。きょうは、ほぼ200戸というむこうの住宅団地をひとまわり、それにしても、子どもの姿がどこにもありません。むかしは、子どもは風の子、などといわれていましたが。

 部屋のなかで、なにをしているか、ぬくぬくとあたたかいところで。古紙などの収集日に、ステーションををのぞくと、コミック雑誌などの束がたくさんあって、そのようなものをめくっているか、のぞいているか。

 わたしのところに送られてくるもので、「風樹小屋だより」を連載していた隔月刊誌は休刊、「ぴーす・ねっと・にゅーす」も昨年7月に、「人間家族」も。賢く老いたいなどと自著に書いたり、この世は庶民の愚かさで滅びるか、などとも。どうなりますか、ほんとに、ねえ。
 

仙人のような

2010年01月15日 11時20分30秒 | 日記
 けさ、配達された、発行部数11000部という月刊の地元紙「ポンポコぽん」に、わたしのことが「80歳とは思えないバイタリティー溢れる雰囲気から『実は仙人ではないのか・・・』と一部で囁かれている」などと紹介されていました。

「まさに『晴耕雨読』な生活をしており、『自然と共に生きている』といった印象。その暮らしぶりや生き方の原点は少年時代の戦争体験にあるという」
「久保田さんは、14~15歳の頃、少年志願兵として軍隊に所属していた。体罰ばかりの窮屈な暮らしがほとほと嫌になり、管理される生き方に反発を覚えたという。その経験が後の『職に就くのはやめよう』という決心に繋がった」

 このようにつづくのですが、「自然な流れのままに」「本当に『仙人』のよう」と。もうひとつ、日刊の「シャトル」は発行部数15000部といい、毎金曜日に「小屋は好日」というエッセイを連載しています。けさのそれには、この仙人が、フナが泳いでいるらしいと堀をのぞいている写真も。

無気力が気になる

2010年01月13日 10時58分32秒 | 日記
 おとといの成人の日、そしてどちらの町でも村でも、成人式が。何年かまえには、そのような催しが荒れた、とニュースになりました。このごろ、みんな、おとなしくなったか。

 わたしには、それが気になりますが、「草食系男子」といったり、「三無主義」といったら無気力、無関心、無責任のことだそうで、荒れたりしないでおとなしいというのは無気力だからか、と。

 内分泌攪乱物質のことを環境ホルモンともいい、そのような化学物質によって、「性器の異常の他、雄では精子の減少、生殖能力の低下など、雌では不妊などが挙げられています」と書かれたものもあり、もう20年もまえの新聞には「西欧各国の男性15000人を対象に研究した結果、50年間に精子の数が半減した」と。

 気力に欠けるのは、そのせいでもあるか。ここまでにしますが、どうぞ、あなたのお考えをコメントに、若者のことが気になるものですから。

ことばを殺すな

2010年01月11日 12時58分28秒 | 日記
 成人の日ですが、この町での成人式は、きのうでしたか。今年は「国民読書年」、新聞に新春鼎談「活字文化と言葉の世界」の要約が載っていて、文部科学大臣の川端達夫さんは。

「文部科学省の調査では、学校における生徒・児童の暴力行為は残念ながら増加傾向にあります。この大きな要因に、いろいろな感情があった時、言葉で伝えきれず、もどかしくて、手が出てしまうということもあると認識しています」

 いま、原田奈翁雄さんの『この国は道理も道徳も破壊しつくした』(清流出版)を読みはじめていますが、そのまえがきの部分には。

「人はなぜ自殺するのか?」「人はなぜ人を殺すのか?」「生きる意味がわからないからだ」「生きて求め、生きて悩み、生きて悲しみ、生きて愛する。ひとりひとりが生きて感じ、生きて考えるのは、もちろんことばによってなのだ」

 そしてまた、「この国では、ことば、日本語が殺されているのだ」と、「ことばが滅茶苦茶にこわされ、はずかしめられ、もてあそばれている国で、道理も道徳も成り立つわけがない」とも。

 原田さんは、径書房の創業者で元社長で、20年ほどまえに、わたしの『小屋に棲む』を本にしてくださったかた。いま、82歳でしょうか、お元気で。

田舎に夢あり、か

2010年01月09日 15時54分29秒 | 日記
 土・日・祝日と、3連休といい、あさって(月)は成人の日です。その若い人たち、どような未来を夢見て、待っているのか。

 この3月に卒業という、高校・大学の生徒・学生たち、就職できる当てはあるのでしょうか。就職活動、それを就活などと短くいうようですが、それにまた結活といったら結婚活動のことで。

 動かないと、なにも手にできないか、ここで活動というのは競うこと、奪うこと、争うことではないのか。そして、勝ち組・負け組、という格差社会で。そうでした、このまえ『1日3時間しか働かない国』を紹介しましたが、それはユートピア小説でしかないのか。

 わたしは、ここにいて、ゆうゆうと在る、などと。夢は、自然の・田舎の・里の、ベーシック・ワーク(基本的な仕事)である農にあると、そのように考えたりしていますが。

待つことができた

2010年01月07日 08時06分19秒 | 日記
 どうなのか、「もう、いくつ寝るとお正月」と、いまの子どもたちはこの正月を待ったのか。その正月がきて、どこで、なにをしているのか。わたしは、「子どもは遊べ、おとなは学べ」などといったりしていますが、日課のウォーキングに、子どもたちを見かけないのです。

 遠くに去った、あの故郷で、みな風のなかにでて凧をあげたり、コマをまわしたり、女の子は羽根つきをしたり。そのような、おもしろいこと、たのしいことを待つことがあって、いくつか寝て待てば、それがかなえられた。

 きょうは7日で、冬休みもおしまい、あしたから3学期です。また、そこの通りを、みなマスクをして、おしゃべりなどしないで、石ころをけとばしたり、追いかけっこなどしたりしないで、1列にならんで登校ですか。

 いや、このような田舎で、お餅をつく音などきけません。いまは、お店から買ってくる、それは冬にも夏にも売られていて、正月のごちそうというものではなくなりました。

 そうでした、土間か裏庭か、そこに臼(うす)を据えて。杵(きね)をふってぺったんと搗くのは父さんで、こねどりをするのは母さんで。よき時代だったといえませんか、小さい子どもたち、待つことができて、ねえ。

野を歩いて

2010年01月03日 16時57分22秒 | 日記
 初夢というのは、元日か二日に見る夢のこと、といいます。そのような夢、たまには就寝中に見ているのかもしれませんが、わたしには思いだせません。

 一茶の句に、「初夢に古郷を見て涙かな」があるといい、「故郷は遠くにありて思うもの、そして哀しく詠うもの」とは室生犀生の詩といいます。わたしに、故郷は、ここですが。

 けれども、小学唱歌にあったように、山は青き故郷、水は清き故郷、ではありません、このごろ。そのようであったのは、遠くに去って、その昔を思いだし詠うだけで。

 でも、まだまにあうのかもしれません、漫歩の道すがら堀をのぞいたり空を見あげたりすると、雑魚ももどってきたようで、野鳥も。きょう、上天気で、ひとまわり歩いてきました。ブックマークから、「そよ風」を、どうぞ。

生活を 平和を

2010年01月01日 14時59分12秒 | 日記
 明けまして おめでとう ございます
 この年も どうぞ よろしく

 風樹小屋と呼んでいる、このわたしの住居、きょうは晴れて風あり。きのうにつづく、初春というきょうですが、傘寿の老いをつつがなく。お餅はありません、近所のおばさんからいただいた、消費期限が二日まえに切れている、バタロールとあるパンをいただいて。それに、ミカンのLサイズを二つ。

 去年、その1年に入浴したのは、5回か6回でした。どうかな、このあと、燃料の灯油をつけて、あたたかい湯につかり垢を落としましょうか。そうでした、玄関の上に、次のようにある横断幕が吊ってあります。これは、いけません、ほこりだらけのようです。28年もまえに、サクラメント(米)の、平和グループからもらってきたものです。

Choose life
Choose Paece

 これは、暮しを選ぶ・平和を選ぶ、というものですね。はい、このシルバー・シングルと、3羽の愛鶏から、愛をこめて。どなたも、お元気で。