ピース・ダイアリー

競わないで、奪わないで、争わないで。
分けあって、話しあって、助けあって。
この世が、そのようであったらいい、と。

玄米では不健康か

2011年08月28日 12時48分08秒 | 日記
 このまえの、早場米の放射性物質の検査ですが、けさのローカル紙にも市沢さんのケースが。「安全を確認したコメの流通を徹底するため、県は放射性セシウムが暫定基準値の玄米1キロ当たり500ベクレル以下なら出荷できる方針を示している」と。

 この地区の農業指導センターでは、「不検出で出荷自粛要請が解除され、速やかに出荷や販売できるようになることを期待している」とも。

 さて、ここでは、今年も玄米(出荷できない屑米で、小米「こごめ」という)を届けてもらうことになるか、その皮や胚芽に多く放射性物質はついているというのですが、屑米では精米機にかけて白くできません。

 これまでは、安価の屑米でも健康にいいと思っていたのですが、それが逆になってしまいました。菜園には、黒大豆がしげっていますが、これもどうなるのか、サツマイモも。無農薬の、無化学肥料の、自給自足だあといっていたのですが、原発から150キロで。

・27日の放射線量・前橋市=0・028マイクロシーベルト毎時・

農家は倒産か

2011年08月25日 17時46分57秒 | 日記
 けさのY紙の県版に、「農家、緊張の収穫」とあり、「福島第一原子力発電所の事故を受けて県が実施する県産米の放射性物質検査で、24日、対象となる稲の収穫が早場米産地の板倉町で始まった」とありました。

 群馬県東部で、おとなりの町ですが、昨夏は猛暑で品質低下、今夏は「放射能が出て、2年連続で駄目となれば農家は倒産してしまう」と、同町の市沢さんは険しい表情で、「3か所から2キロ・グラムずつサンプルとして集め、県が29日、東京都内の検査機関に送る予定だ」と。

 どういうことになるか、微量でも汚染されていれば、売れないか安く買いたたかれるのか。そして、どうであれ、農家はそのお米を家族で食べなければなりません、ね。

・24日の放射線量・前橋市=0・029マイクロシーベルト毎時・

水で争うか

2011年08月22日 16時18分51秒 | 日記
 20年まえといったら、1991年で、湾岸戦争の起こった年。前年の8月に、イラクが、おとなりの石油大国クウェートに侵攻、そして91年1月に国連が多国籍軍を派遣した、というものでした。

 わたしは、それをテレビで見ていて、パチパチと花火のような夜間の戦闘場面を。ところが、そのテレビがパチバチと鳴りだし、こげくさいにおいがしてきました。ぱっと画面が消えて、背面から薄い煙が。20年も使っていた屋内アンテナの受像器でしたが、それが壊れてしまい、それからノー・テレビということになったのです。

 その年の夏でしたか、数年後だったか、ノルウェーにでかけたとき、平和学のヨハン・ガルトゥングをたずねました。教授は、あの戦争は石油の争いだった、これからは水の争いになるだろう、と。

 さて、これは、どうなのでしょう。どちらも、地下から湧くもの、掘りだすもの、それをがぶがぶと使って、奪いあって。オイルは、水を汚し、土も空気も荒らし、枯渇するオイルの代わりにとウランを掘りだして、それで生けるものすべては息の根をとめられるか、ああ。

この20年のあいだに

2011年08月17日 14時31分06秒 | 日記
 知人から、「原発とめよう・群馬」とある案内が送られてきました、その市民のネットワークが広瀬 隆さんの講演会を開くようで、こんどの日曜日に。次のように、呼びかけています。

「私たちにとって、原発って、本当に必要なの? 事故から5ヶ月を迎え、詳細な汚染測定は行われず、本格的な除染活動も行われず、高濃度汚染地区に人々は取り残されたままです。国際基準を大きく超える『暫定基準』さえ守られず、どれが安全な食べ物か見分けることもできません」

「群馬県においても高濃度汚染が発生しています。県は『直ちに健康に被害はない』と見て見ぬふりをしています」

 呼びかけ人の名が178人ほど、チェルノブイリのあと運動がひろがって、そのころ知りあったかたの名が数名でていますが、みなさん、この20年のあいだ、どうされていたのか。おとなしくなってしまい、そのあいだに、原発のほうは20基も増設されてしまって、ね。

性が満たされていないか

2011年08月09日 08時35分41秒 | 日記
 あのノルウェーのテロ事件で、容疑者は反移民・反イスラム、排外主義を、と。そのような考えかたを信じていたか、かたく思いこんでいたか。信じることは、狂うことにつながり、狂信ということばもあるくらいで。

 信じるものは救われるともいわれますが、いや、わたしは信じこまないで迷いつづけたいと思っています。そして、迷いつづけるということは、ああだろうか、こうだろうかと、考えつづけることで。それで、いいのです。

 きのうの、ネットのニュースで、米オハイオ州で男が銃を乱射、7人を殺害と。けさの新聞には載っていませんでしたが、おなじ北欧では4年前に、フィンランドの高校で男子生徒が乱射と。

 ひとつ気づくことは、この種の無法者には、独身の若い男性が多くはないかということ。つまり、食は足りている、けれども性が満たされていないのでは、と思えることです。

 県内で、この5日の新聞の県版のニュースですが、小中高校での「いじめ」が急増しているというのです。県教委の調査結果によると、昨年度のそれは、前年より8・7倍の2380件、と。「自分より弱い者に対し一方的に攻撃を加え」るということ、中高よりも、小の増加率が高いというのは、早熟になった、ということと関係ないか、どうでしょうか、はい。

人柄に触れて

2011年08月04日 14時07分19秒 | 日記
 あの本のこと、グロのこと、つづけます。彼女がWHOの事務局長をしていたとき、オフィスのあるジュネーブに、夫妻は在住していました。訳者の竹田さんも、夫の仕事の関係で、そちらに。あるとき、グロ夫妻をたずねていきます、「ちょっと緊張して」「不安がいっぱい」でしたが。

「ところが、グロ夫妻の家に到着するや、こんな心配はふっとんでしまいました。垣根ごしに目に飛び込んできたのは、ショート・パンツにTシャツ姿でバーベキューの用意に走り回っているグロだったのです」
「私たちが目に入るや、顔中に笑みを浮かべ、深いブルーの目をきらきら輝かせながら『いらっしゃい! さあ中に入って!』と手をひろげて迎えてくれました。エッ、これが元首相でWHO事務局長? 私は自分の目を疑ってしまいました」

「それから今日まで、グロ夫妻とは家族ぐるみのおつきあいが続いていますが、この最初の印象をくつがえされたことはありません」
「いつも、大らかで、心あたたかく、飾り気がなく、ちょっと失礼かもしれませんが、いわゆる『普通のおばさん』です。料理をしたり、庭で草取りをしたり、長椅子に座って音楽を聴いたり・・・」

「しかし、世界の政治や経済の動き、環境破壊、女性が遭遇する障害などについて話をするときには、深い洞察に裏打ちされた鋭い意見が飛んできます」
「でも決して話を独り占めにするようなことはなく、いつもまわりの人たちの言葉に熱心に耳をかたむけています」

 それで、「こんな人柄に触れれば触れるほど、彼女を日本の皆さまにも知ってほしいという思いが強くなってきました」「そんな折、彼女の回想録の英訳がアメリカで出版され、その日本語訳を出版する機会が与えられて、これをかなえることができたのです」と、竹田さん。わたしたちが他のだれかにひかれるのは、そのやさしい人柄に触れてのこと、ですか。はい、お元気で。

キャリア・ウーマン

2011年08月03日 13時41分08秒 | 日記
 あの本の「はじめに」で、グロは「公衆衛生を専門とする医者」でしたが、「35歳のとき、思いもかけず環境大臣に抜擢され、そこから政治家としての人生がはじまりました」と書かれています。

「そして六年後にはノルウェー初の女性首相に選ばれたのです。こうして約二十五年にもわたりノルウェー政治に関わることになりました」
「この間、国連の環境と開発に関する世界委員会の委員長として『持続可能な開発』という考え方を広めることにも力を注ぎました」
「やがて私は、医者と政治家の接点ともいうべきWHO (世界保健機関) の事務局長の仕事をすることになりました。くしくも、これまた初の女性事務局長でした」

「このようにキャリアを積み上げながら、私はいつも社会における女性の役割の重要性、女性の地位の向上を考え続けました」
「これは単に男女平等という道義的な意味からだけではありません。これが豊かな社会を築く鍵だと信じているからです」

「私は、キャリア・ウーマンの道を歩んできましたが、基礎はいつも家庭にありました。妻として、また四人の子供の母として、大きな喜びも、また深い悲しみも経験し、それによって人間的に豊かになったと思います」

 そして、「家族のサポートと励ましなくしては、今の私はありえません。そしてキャリアの第一線から退いた今、家族の絆の尊さをいっそう噛みしめています」と。また、次回に。

グロのこと

2011年08月02日 13時35分29秒 | 日記
 7月25日に、22日にノルウェーの連続テロ事件で92人死亡と書きましたが、その後そちらの捜査当局により76人と訂正されたようです。つまり、オスロの政府庁舎の爆破で8人、ウトヤ島での銃乱射事件で68人、と。

 また、新聞によると、ブレイビック容疑者の島での標的に元首相で現与党・労働党の党首グロ・ブルントラントも、とありました。そこで開かれていた労働党青年部の集会に参加され、事件が起きるまえに島を離れていた。ブルントラントは女性ですが、いま彼女の自伝ともいえる『世界で仕事をするということ』 (PHP研究所) を読んでいます、武田ヨハネセン裕子=訳です。

 ノルウェーにいたころ、政治家として在任中の彼女のこと、テレビでよく見ていました。そして、わたしの友人たち、みな労働党員でしたから。また、次回に。