ピース・ダイアリー

競わないで、奪わないで、争わないで。
分けあって、話しあって、助けあって。
この世が、そのようであったらいい、と。

いつまでも消えない影

2012年08月20日 14時49分35秒 | 日記
 広島の日、長崎の日、敗戦の日とつづきましたが、思いだしたことあり。48年もまえ、オランダでたずねたお宅に、「シャドー・オブ・ヒロシマ」という、つまり「ヒロシマの影」という本があったのです。めくってみると、波多野勤子著『少年期』の英訳版でした。

 1950年に光文社で発行され、ベストセラーとなり、いまここにひろげているのは、それから4年後に出た新書版です。東京から諏訪に疎開した波多野家の、その母と息子の往復書簡集というもの。息子は、戦時下と戦後をはさんで、中学1年から4年まで。

 どうやら、原爆投下のことは書かれてないようですが、どうしてヒロシマの影か。訳者は、広島=戦争とし、戦争の影と考えられたのでしょう。原爆・原発 一字の違い。日刊紙の県版には、きょうもこの町の空間放射線量の数値が載り、きのうは0・056マイクロ・シーベルトと、これはほとんど毎日変わりません。このさき、フクシマの影は消えることなし、か。はい、ご自愛を。

子どもたちに伝える

2012年08月10日 06時20分45秒 | 日記
 きのう、9日、長崎原爆の日、すぐそこのお寺で平和を祈念する鐘を鳴らす集まりがありました。毎年、あるグループの人たちが呼びかけるのですが、あまりにぎわってはいませんでした。おとなの人たちが、20人ほどでしたか、子どもたちはひとりも見えませんでした。

 つまり、そのグループの人たちが、あちこちから車で寄ってきていた、ということ。夏休みですから、近所の子どもたち、おばあちゃん、おじいちゃんたちが、たくさんきているかと思いましたが。そのきのうの、Y紙の投書欄に、この町の76歳のかたの「戦時の暮らし 孫に絵で説明」という投書が載っていました。

 孫娘が6年のとき、夏休みの宿題に、「戦争についておじいちゃんかおばあちゃんに聞き、その感想文を書きなさい」という宿題がでた。それで、イラストを描いて説明してやった、というのです。

「どこまで理解できたは定かでありませんが、孫娘は興味を持って私の話を聞いていました」「平和で豊かな時代に育った子どもたちだからこそ、こうした戦争体験を伝えていくことが大切なのではないかと、改めて思いました」

 たしかに、そのようにできたらいい、まず身内の小さいものたちに大切なことを伝える、という。よその、他のものを呼んで話しかける、というよりも。それに、絵を描けるということも、やさしくおもしろく話せるという、うまく歌うこともできるという、そのような技を身につける、そのようなこともできたらいい、ですね。

あの日・8月6日

2012年08月06日 14時31分54秒 | 日記
 67年まえの、きょう、わたしはどこにいたか。カレンダーには「広島平和記念日」とあり、その8月6日、この15歳の少年志願兵は北海道の網走にあった基地にいました、海軍の航空隊の。近くには刑務所があったか、網走番外地ともいわれた。いや、軍隊のなかも、自由のないところで。

 愛知・岡崎の航空隊から、そちらに配属されたのですが、もう米軍の戦闘機から機銃掃射などされるようになって。そこにあった軍用機を森のなかにかくし、模型の飛行機を広いところにセットして、機銃の弾はこちらへと。どうにも、情けない負け戦。わたしは、たしか上官たちのいる司令室とかいう部屋につめていて、その上官たち「広島に新型爆弾が落とされたようだ」と。

 そして、8月15日、玉音放送というものがラジオで。こちらには、なにがなんだかわかりませんでしたが、やがて首をうなだれた上官たちがおもてをとおるのを目にしました、神国日本は負けたのか、神風は吹かなかったか、なんということだ。数日後、上官たちは森のなかに待機させていて飛行機で帰っていきました、神奈川の厚木あたりだったか。

 こちらの少年兵たちは、そのあとも解体される隊のかたづけものなどさせられて、父母たちのいるこの郷里へ復員してきたのは、9月の末でした。八つ年上の兄は、ビルまで戦病死していました。貧農たち、食うや食わずの戦争末期で、ね。いま、わたしは82歳、この大和民族は、つまり大きな和の、争いごとに手をかしてはいけません、戦争に巻きこまれてはなりません。

水田で作況は

2012年08月03日 17時17分36秒 | 日記
 この暑さ、きょうあたりがピークだといいのですが、ここはノー・マネー、ノー・エアコン、ノー・テレビ、ノー・カーの小屋ですから、ね。正午に35度で、いま5時をまわって33度、扇風機を「弱」でまわしています。

 暗くなったら寝てしまいますが、そちらの寝間がまた冬は寒く、夏は暑い部屋で。それでも、原発再稼動になどつながらないよう、ゆうゆうと絶えています。オリンピックなど、まったく関心ありませんで、新聞もラジオもそちらばかりですが。勝った、負けたと、熱狂するなかれ。

 それでも、一つだけ気になりますのは、田んぼの稲作の、その作柄は。天候のぐあいで例年よりも不良となれば、値上がりします。けさの新聞に、「コメ店頭価額 上昇も、『超早場米』不作で高騰」と。沖縄、高知、宮崎、鹿児島あたりで「やや不良」ということ、5月下旬の日照不足で、とありました。お元気で。

暑い、熱い8月

2012年08月01日 10時13分15秒 | 日記
 いろんな資料が送られてきますが、このあいだは県央のТ市で開かれる9月8日の講演会のもの、「膨張する中国とどう付き合うか」というテーマで、講師は拓殖大学総長・渡辺利雄さん。

「中国の国力と軍事力は拡大の一途にある。他方、米国の財政は危機的状況にあって、軍事予算の大幅な削減を余儀なくされている。膨張する中国、国力衰退期にある米国。日本は中国をどのような存在として捉えるべきか。米国との同盟関係をいかにして強固なものとするか。アジア太平洋を舞台にした日米中三国関係のあるべき姿を、近現代史の教訓から読み解く」

 なるほど、国家と国家との関係、この国のおかれたシチュエーションというもの、それはこのように考えられるのか。いかがですか、8月です、広島、長崎、敗戦という。まだまだ続く暑さの日々、ご自愛を。