ピース・ダイアリー

競わないで、奪わないで、争わないで。
分けあって、話しあって、助けあって。
この世が、そのようであったらいい、と。

春の便りを

2010年04月30日 05時46分25秒 | 日記
 日刊のローカル紙に、毎週金曜日ですが、エッセイを連載しています。けさの、704回の、その書きだしは。

「むこうの集落のはずれに、これはシダレヤナギか、若い葉をつけた枝が風に揺れていた。戦後2年目にヒットした、サトウハチロー作詞の『夢淡き東京』を思いだしたが、『柳青める日 つばめが銀座に飛ぶ日/誰を待つ心 可愛いガラス窓』というものだった」
「往来ということばがあるから、誰か来るのを待つのもいいが、こちらからだれかをたずねて往くのもいい。若者たちは、ボーイ・ハントも、ガール・ハントもいい」

 そのあとに、友人たちからの私信を、そして「うれしい春の便りだが、それを待つのもいいが、こちらから届けるのもいい」と。その便りも、電子メールより、下手でもいいから手書きの手紙のほうがいいのでは、と。はい、お元気で、このようなブログも、便りというもので。

いっぱいの陽射しを

2010年04月28日 10時26分38秒 | 日記
 頭にいっぱいの太陽、それをいっぱいの陽射し、といいかえてもいいか。ここに韓国映画『シークレッド・サンシャイン』の宣伝印刷物があって、青年と少女のきれいな写真に、大きな活字で。

「ふりそそぐ陽射しを どれだけ 浴びたら あなたの悲しみは 消えてゆくのだろう」

「すべての悲しみを 癒す『陽射し』 それは あなただったのですか?」

 どのような物語なのか、「あなた」とは女性か男性か、ここではそのどちらをさしているのか。ブックマークから、「そよ風がドアを」も、どうぞ。いま、ヒヨコを飼っていますが、そのハルコちゃんも、日のあたるところにだしてやると、とてもよろこんでくれます。

 まあ、きょうは、あいにくのお天気で。食と住をささえる空き箱を、この部屋において、わたしのほうは、もう昼食をすませてしまいました。

親も子も遊びなさい

2010年04月26日 10時42分50秒 | 日記
 きのうの日曜日、頭にいっぱいの陽気な太陽で、いつものようにひとまわり歩いてきました。けれども、いつものように、子どもとはひとりも出会いませんでした。

 その前日には、新聞に「遊びの力が、子どもの育ちの危機を救う」と、大学准教授の中村和彦さんが書かれていました。「小学校5年生の4割は外遊びの時間ゼロ」という調査結果もあり、と。

「面白くのめり込むようなからだを使った遊びをいっぱい経験することが大切です。子どもが心もからだも元気に育つためには、からだを動かす、おいしくご飯を食べる、ぐっすり眠るという一連のサイクルをトータルで考えなくてはなりません」

 はい、「習い事の前に、親御さんはもっと子どもと一緒に遊んでほしいと思います」ともあります、いかがですか。わたしはまた、「子どもは遊べ、おとなは学べ」などと、いったりしていますが。

陽気な太陽が

2010年04月21日 13時59分44秒 | 日記
 もう、サクラは、花のあと若い葉がのびて、葉桜になってしまいました。たしか、オランダの民家にお世話になっていたとき、そこにフランスのシャンソン歌手、よく知られたイヴ・モンタンのレコードがありました。

 日本の歌が入っているというので、聞いてみますと「桜、桜、弥生の空に」でしたが、まあ。「サクラー、サクラー」ではなく、「サクウラ、サクウラ」と聞こえて、にやりとしてしまいました。

 ここに、邦訳された、そのモンタンの自伝のような『頭にいっぱい太陽を』(渡辺淳訳/ミリオン・ブックス)がありますが、「日本のみなさんへ」のところに。

「わたしの書物の標題になっている『頭にいっぱい太陽を』の太陽は、希望と友情の太陽」
「わたしは、凍りつくようなパリの冬、樹々の落葉したセーヌのほとりでこの文章を書いている。が、みなさんがこの書物を開く時には恐らく、みなさんの国でもわたしの国でも同じように、陽気な太陽が降りそそいでいることだろう」

哀を、愛に

2010年04月19日 14時56分09秒 | 日記
 きのう、日曜日、ここから200メートルも先になるか、そちらのおうちから女の子がたずねてきました。6年生といいますから、これまでに、わたしの本を学校からもらっているはずです。

 いつも、著者紹介のところに、住所を記しています。それに、先生から、わたしがここに住まうおじいさんだときいているはずです。それで、どんなおうちかな、どんなおじいさんかなと、でかけてきたのかもしれません。

 いや、こちらも、とてもうれしい気分にさせられました。そして、また、ふっと。そこの空き地を買いとって、絵本館か、ミニ図書館か、フリー・カフェか、そのようなホールを建てたいな、と。

 ただひとつ、わたしに事故のあったあと、その法定相続人は。ちゃんと、わたしの遺志を継いでくれるか、ということ。喜のときと、哀のときがあって、人生というもの。その哀のときを、愛のときに変えたいものですが、春の4月も半ばをすぎて。

冷夏になったら

2010年04月17日 16時02分13秒 | 日記
 きょうは、なんとか晴れましたが、ずっとつづいた寒さと日照不足でお店では野菜が高騰しているようです。それに、アイスランドでは、火山が噴火して、火山灰が上空をおおって、と

 それで、「物流・経済に打撃懸念」と、また「この火山帯では過去に、噴火の火山ガスで太陽光が遮られ、気候が寒冷化する、いわゆる『火山の冬』が起きた」といい、それは飢饉、食料難につながります。

 よその国のこと、ではなくて、北半球の気温低下といいますから、自給率の低いこの国にも、ということになりませんか。田舎はどうなっているか、かつての農村は、このさき冷夏になったら、お米も高騰します、ね。

あと20年を

2010年04月15日 09時41分52秒 | 日記
 これは、未練がましいということになりますか、年齢(とし)のことばかり書いたりするのは。おととい、すぐ近所のおじいさんが、88歳で亡くなりましたが、わたしより八つ年上で。

 もう1か月もまえになるか、むこうの集落の男のかた、一つ年上の81歳で。つまり、小学校のとき、1年上のクラスでした。けさも、新聞の「おくやみ」欄に、そちらの集落の86歳の男性が。

 ところで、おなじ紙面に、聖路加国際病院理事長の日野原重明さんは98歳で、と。それにまた、映画監督の新藤兼人さんは、おなじく98歳で、これから新作『一枚のハガキ』の撮影へ、と。作家の井上ひさしさんは、この9日に、75歳で亡くなられましたが、肺がんで。

 あと20年の余命を、天よ、このわたしに。おや、トリが鳴いています、2羽のうちどちらかが産んだようで。

これから朝のお散歩

2010年04月13日 08時57分45秒 | 日記
 あるサプリメントのメーカーが、新聞に大きく一面広告を載せていて、商品を宣伝するまえに、次のようなことばを。

若いころは気に留めなかったことが、
じつは、とても大切なことだったと気づくときがあります。
たとえば季節の移ろい、朝の小道。ただそこをゆっくりと歩く・・・。
年齢を重ねることは、日々の暮らしの中にあるしあわせを、
ひとつひとつ再発見して行くことかもしれません。

 ただいま、わたしは80歳で、なるほど、と。これから、朝のお散歩にと、そんな気にさせてくれます。きのうは雨で、低温で、きょうは快晴で20度をオーバーか。ゆっくりと、のびのびと、この老いの日々を。みなさん、お元気で。コメントなど、いつもありがとう。

心配しなきゃあ

2010年04月09日 06時13分30秒 | 日記
 セーブ・ザ・チルドレン・ジャパンというグループの新聞広告、それを切りぬいたものが、やはり机上にひろげてあります。泣きふせた、小さい子どもの写真、それに次のようなことばが。

「7人に1人の子どもが貧困。これは日本の話です」
「きょうも朝ごはんがないんだ」
「わたしは病院に行きたいの」
「みんなは遠足にいくのに、ボクは・・・」

 あのノルウェーにいたとき、友人のロアルドが、Don't worry be happy と歌っていました。ドン・ワリー・ビ・ハッピーと、「気にとめなきゃあ、幸せよ」とでも訳せますか。

 心配することはいい、他の人たちのこと、この世のこと、それを気にすることも。なにか、できることがあるか、なにもできなくても、ということになりませんか。

花を咲かそうよ

2010年04月07日 16時32分12秒 | 日記
 喜納昌吉さんのメルマガの、そのおしまいに、次のようにありました。この机上のすみに、それを書きうつしたものがあって。

すべての武器を楽器に
すべての基地を花園に
すべての人の心に花を
そして
戦争よりも祭りを!

 この喜納さん、いま参院議員でしたか、チャンプルーズという音楽グループを率いて、そして平和運動家、なんとも多才ですね。30年もまえに、「80年代」という雑誌が出ていて、そこにいろいろと書かれていて、と思いだしました。

 この4月28日、東京・新宿で、ライブ・コンサートを開かれるようです。お元気で、みなさん。

音沙汰なくて

2010年04月04日 11時40分29秒 | 日記
 あの堀を、ずっと下っていくと、おとなりの集落の墓地のわきにでます。田んぼの、細い畦(あぜ)をとおって、そちらにいくと、お墓のおもてに薬師堂があります。

 それはまた、住民の集会所になっているようで、仮設トイレも。70年もまえには、その庭にステージを仮設して、夏の夜など、納涼祭とでもいうのか、演芸大会などありました。

 子どもたちは、このへんからも歩いて、見にいったものです。いま、そこにブランコとすべり台と、鉄棒があって、遊園地のように。でも、近くの子どもも、幼児をつれた若いお母さんなど、だれもいませんでした。

 そして、思いだしたこと、40年もまえのこと。わたしは、娘を自転車の補助椅子に乗せて、そこまででかけたもの、と。まだ、おむつをとれない、2歳をまわったばかりの小さい女の子。

 ブランコよりも、すべり台を好んで、するするとステップをのぼって、あの斜面をするーっと。うれしそうに、何回も、そのようなおてんばで。さあ、いま、首都のN区のマンションにいるようですが、そして男の子がいるようですが、こちらからなにか送ってあげても、音沙汰がありません。わたしの「哀」のとき、どうしたものか、春ですが。

どこで、なにを

2010年04月02日 12時34分58秒 | 日記
 きょうは、曇ったり晴れたりですが、きのうはとてもいい日で。よく歩いていますが、往路はウォーキング(散歩)、帰路はソーンターリング(漫歩)で。

 あの用水堀は、三面コンクリートですが、そこに魚がいること、まえに気づきました。橋の下に群れているか、その下流からピッピッと、水面下をすすんできます。そして、橋から上流には、のぼりません。

 大きくて、30センチもありそうな、むかしはいなかったようなやつ。だから、フナではなさそうで、ひげを生やしていたらコイかもしれません。そして、フナなどでしたら、底のほうをスーイスーイと、泳いでいたものです。こちらは、何匹かつづいて、水面すれすれのところをヒュッヒュッと、早いこと。

 まあ、それにしても、春休みなのに子どものすがたがありません。どこで、なにをしているのか、そこは集落のすぐ裏なのに。だいじなことは、学力とかいう、それよりも好ましい人格を身につけること。もっと、自然のなかで、ほんとうの知恵を、ねえ。