私は小学校に行く前に父が亡くなりました。
それから、母と弟と3人で生活してきました。
子供のころ、父が亡くなったという話をすると。。。決まって大人はこう言いました。
「大変やね」と「それは頑張らないといけないね。」という言葉です。
「大変やね」という言葉はそんなに引っかかりませんでした。
実際、あまり大変だとは思っていませんでした。
(本人たちにとっては物心ついたときからそれが普通の生活でしたから)
そんな時は「母は大変だと思いますが、私たちはそうでもないです。」と答えてました。
「頑張らないといかんね」とか「お母さんに心配かけたらいかんね」とか言われるのは実はかなり苦痛でした。
大人が悪気なく言っているのは、そのころでも十分理解していました。
でも。。。正直
なんで私だけ頑張らないといけないだ!!と思ってました。
父が亡くなったのは仕方がないことです。
そしてそれは私が望んだことではないんです。
それなのに、なぜ頑張らないといけないんだろう???
そう思っていました。
でもそんなことは、母には言えません。
なぜなら母がすごく頑張っていたことは、何よりも近くにいる私たちが一番知っていたからです。
そんなことを言って母を悲しませたくなかったのです。
それに、普段の生活の中でも頑張ってきたつもりです。
友達からお父さんの話を聞いて、うらやましいと思ったことも多々ありました。
友達が自分の父親とケンカした時、
「あんなお父さんならびぃちゃんみたいにいない方がいいよ。」と言われたり。。。
(正直、なんてことを言うんだろうと思いました。)
そんなことも同じ年の友達に言ったところで、自分と違う境遇の人をその年の子供が理解できないこともなんとなくわかっていたので、反論せずに頑張ってきたつもりでした。
なのに。。。これ以上頑張らないといけないんだ。。。それはかなりプレッシャーになっていました。
大人が言ったさりげない一言。
これが子供に結構プレッシャーをかけることもあるんです。
心の片隅にでも覚えていてくれると。。。うれしいです。
でも、そんな経験があったからこそ、今の私があるんです。
ありがたい経験をさせていただいたのだと、今は思います。![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/kaeru_fine.gif)
それから、母と弟と3人で生活してきました。
子供のころ、父が亡くなったという話をすると。。。決まって大人はこう言いました。
「大変やね」と「それは頑張らないといけないね。」という言葉です。
「大変やね」という言葉はそんなに引っかかりませんでした。
実際、あまり大変だとは思っていませんでした。
(本人たちにとっては物心ついたときからそれが普通の生活でしたから)
そんな時は「母は大変だと思いますが、私たちはそうでもないです。」と答えてました。
「頑張らないといかんね」とか「お母さんに心配かけたらいかんね」とか言われるのは実はかなり苦痛でした。
大人が悪気なく言っているのは、そのころでも十分理解していました。
でも。。。正直
なんで私だけ頑張らないといけないだ!!と思ってました。
父が亡くなったのは仕方がないことです。
そしてそれは私が望んだことではないんです。
それなのに、なぜ頑張らないといけないんだろう???
そう思っていました。
でもそんなことは、母には言えません。
なぜなら母がすごく頑張っていたことは、何よりも近くにいる私たちが一番知っていたからです。
そんなことを言って母を悲しませたくなかったのです。
それに、普段の生活の中でも頑張ってきたつもりです。
友達からお父さんの話を聞いて、うらやましいと思ったことも多々ありました。
友達が自分の父親とケンカした時、
「あんなお父さんならびぃちゃんみたいにいない方がいいよ。」と言われたり。。。
(正直、なんてことを言うんだろうと思いました。)
そんなことも同じ年の友達に言ったところで、自分と違う境遇の人をその年の子供が理解できないこともなんとなくわかっていたので、反論せずに頑張ってきたつもりでした。
なのに。。。これ以上頑張らないといけないんだ。。。それはかなりプレッシャーになっていました。
大人が言ったさりげない一言。
これが子供に結構プレッシャーをかけることもあるんです。
心の片隅にでも覚えていてくれると。。。うれしいです。
でも、そんな経験があったからこそ、今の私があるんです。
ありがたい経験をさせていただいたのだと、今は思います。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/kaeru_fine.gif)
私も母一人子二人の環境なので。
うちは離婚で。ですけど。
私もよく大変だったね。って言われます。
私も妹も県外の大学行かせてもらったし、何不自由なく育ててもらいました。
いつまでも感謝してます。
私には父の記憶はほとんどありません。
小さなころでしたから。
なので、きっと母独りがすべてを背負ってきてくれているのだと思っています。
私だったらきっと出来ないだろうな。って思います。
特に今は離れて暮らしているのでいっぱい心配してしまうけれど、ここにいられるのは母のおかげです。
びぃちゃん、あまり頑張らなくてもいいですよ。
私は頑張るという言葉が嫌いです。
本当に楽しくやっていたら、頑張るなんて言葉でないですものね。
頑張らず、なにに対しても楽しめる人間になりたいです
P.S.頑張るのは悪いことではないですよ。
あしからず。
2回入ってしまいました。
よければ消していただければ・・・と。
とても素直に育ってこられたと感じています。
私もカナダっ子さんと同じ。親が離婚したので母と暮らした子供時代です。
私はいつも喧嘩の絶えない家庭に育って。。
「自分は生まれて来て、悪かったのではないかな? 両親が仲が悪いのは自分が良くないからか?」と思う暗い子でした。
妹達より 父に似ていて(性格・趣味)母に
いつもそのことについて小言を言われました。
今は父も母も他界して、どちらも恨んでいませんが、かえって親なし子になってから、積極的に人とかかわりたいと思える人間に変わりました。
それまでは「そんな性格じゃ 人と上手くやって行かれないヨ!」と母に言われて信じてしまっていました。あははっ
今では「離婚」もめずらしくない世の中ですが「何で自分の親が、そうなんだ。よりにもよって」と子供の立場ではどうにもならない
大人の事情に悩んだ時代を 少し懐かしく振り返って見れます。
でも夫婦は仲が良いのが 一番!
1つ削除しました。
ありがとうございます。
わかってくれている仲間がいるのは心強いです。
仲間が増えてから、ずいぶんと気がラクになった気がします。
私も頑張るのはいいことだと思っていますよ。
でも、それを人に言われるのがイヤなんです。(笑)
>文月さん
文月さんもそうだったのですか。
お嬢様だと思ってました。(本当に。。。)
私は文月さん、大好きですよ♪
そのままの文月さんでいてくださいね。
母がことさら長女の私に厳しくしたのは、父親が居ないから子育ての責任を一手にひきうける意気込みだったんでしょうね。
自分が子育てをしてその不安を推し量ることが、できた気がします。
そのままの私でしか・・・・・もうこれでいくしかないのですぅ カンベンね。
彼は、ブラックジャックを幼い頃読み、「沢山の人を救える人間になりたい」と夢見ていましたが、その夢が叶う日と、挙式まであと数日というところで、自分の時間を止めてしまったのです。
周りの人たちは、私を気遣ってくれ口々にこう言ってくれました。
「辛いだろうけれど頑張ってね」
皆が、心底心配してくれているのが分かっていたので「頑張るね」と答えていましたが、
心は、どう頑張ればいいの?と悲鳴を上げていました。
そして、周囲の人たちに心配をかけてはいけないと、平気なフリをしていましたが、それがとても辛くて辛くて「誰も私の事を知らない場所に行こう、そして思いっきり泣こう」
と、彼との思い出の詰まったアジアの国々に一人で旅に出ることにしました。
一年近く旅して回り、沢山の出会いがありました。
(今も連絡を取り合っている人が、何人かいます)
そして今。。。
こういったことを経験するまで、意識していなかった人との縁、出会いをとても大切に、愛おしく思う自分がいます。
ひとつひとつの出会いを大事にしたい。
支えてくれる人に感謝したい、自分も人を支えたい。
そして、「泉ちゃんの笑った顔大好き」
といつも言ってくれていた彼のためにも、
いつでも機嫌よくいたいと思っています。
#当時はプレッシャーでしかなかった
「頑張ってね」の言葉にも、今では「出来る範囲でね」と答える図々しさが身について
しまいました。
(沖縄在住が長かったので、てーげー←適当
と道産子気質の大雑把さがブレンドされています)
子ども達にはすまないという思いが頭の片隅にはあります。でも、自分の選択は間違っていないという思いもあります。
私は昔から「がんばって」しまう性質で、自分ではどうしようもなくなるまで自分を追い込んでしまい、かなりやばい状態になったことがあります。
そんな経験から、自分が自分でなくなってしまう前に、子ども達を心底笑って育てるために、ひいてはそれが子ども達のためと割り切って離婚しました。
昔は、「これ以上がんばれない。どうやってがんばればいいの?!」というマイナス思考でしたが、今は、子ども達に「がんばるけんね」と言いつつ適当にマイペースでがんばってます。
皆さんのお話を読んで、子ども達のことを改めて考えてます。
これからきっとつらい事もあるだろうし、思う所もあるでしょう。
それでも、皆さんのように感じてもらえるなら…と、思いをはせてます。
家は両親いますが、
今は、とても仲良しな家族のようですが、
子供の頃は途方にくれていました。
大人の気持ちを子供の頃から察しているような
子供らしくない子供だったと思います。
殺されるかも、死んでしまうかもと思ったときもありました。
あの時の事を思い出すと、
辛かったな~の思いしかしない。
怒られないように、そればかり考えて生きてきたようにも思える。
でもびぃちゃんの思いでじーんときたのが、
「その経験があったからこそ・・・」の気持ち。
今の私も全く同じ気持ちを持っています。
そういう経験をしたからこそ、
さまざまなことを乗り越えられる、強い自分であったのだと、今は感謝の気持ちでいっぱい。
モシ出来れば、あの時の自分に伝えてやりたいとおもいます(できんけどね♪)
>文月さん
私は子育てはまだ経験ありませんが、この年になって親に対していろいろと理解できることが増えました。
正直、よく八つ当たりをされていたと思います。
(さすがに子供でもそのあたりは気づきますから。)
それも仕方なかったんだろうな~と。
>泉さん
そんな辛い過去をお持ちだったのですね。
泉さんとはお会いしたことはありません。
でも私は最初からすごく魅力的な人だなーと思っていました。
文章の中から、深い魅力を感じていました。
それは、今までのいろんな経験が今の泉さんを作っているのだと思います。
ますますお会いしたくなりました。
>kokoroさん
(⌒^⌒)b うん
間違ってなかったと思いますよ。
kokoroさんがいろいろと考えて悩んで出した結論なんですから。
kokoroさんが頑張り屋さんなのもよくわかります。
私の尊敬する先生が自分のブログの中でこのようなことを書かれてました。
完全主義にならない法に、以下のようなフレーズを記憶にとどめて、事あるたびに思い起こすというやり方があります。
以下の項目を暗記してください。そして、行き詰まったときに、どれかを思い出してみてください。あなたの気持ちはきっと楽になるはずです。
それこそ完全主義的に暗記できればbest!ですけど(^^)
①○か×に△も入れる
②ベストでなくても、ベターで良しとする(次善の策、志望を下げる)
③%表示にする(55%よければOK)
④優先順位をつける(今日中、今週中、今月中、今年中)。先延ばしをする
⑤結果を複数予測し、シミュレーションする
⑥上手くいかなかったら、教訓を得る
⑦上手くいかなかったら、勇気をたたえる
⑧自分でできるか、他人に相談するか、前もって考える
⑨曖昧さを受け入れる
⑩好い加減に生きる(加減好くという意味です、NABAのテーマ)
⑪批判しないで多くの人の考えに耳を傾ける(AAなどのミーティングならbetter)
⑫高望みをしない
⑬自分を許す、過食だって、10年のひきこもりだって自分に必要なんだ
⑭「憂うつなときは神経が疲れて機能が悪くなっているだけ」という生物学的事実
>teddyちゃん
teddyちゃん家はずっと仲良く家族だと思っていました。
辛い経験もされていたのですね。
でもそんな経験があるから、teddyちゃんが魅力的な人になれたのだと思いますよ。
これからもヨロシクです。
でも、私も色々な経験をしたお陰で、上のフレーズにあるようなことを頭に置けるようになったかな?と思ってます。自分としては大分、セーブできるようになってきたと思ってます。…でも、人から見るとそうでもない時もあるらしい…。
ただ、これだけは曲げちゃいけないと言うことを学びました。それは、「自分の気持ちにだけは嘘をついちゃいけない」と言うこと。「嫌なことは嫌と言う」って事です。これをやっちゃうと、結局自分がつぶれちゃう。じゃないと、自分を嫌いになっちゃいますもの。
今の自分は、そんなに嫌いじゃありません。適度にがんばるのも子ども達のためと思えば、結構楽しいし。
びぃさん、こんな私ですが、これからもよろしくお願いします