マンションのペットライフ

限られた空間で、いかにして“家族”がまあまあ暮らせるか・・・、ない知恵絞っていこうと思います。

値引交渉

2005年04月05日 | お仕事
専門職ソフトをS社に決めた事業主。
あとはいかにして、更に値引きをさせるかを
考えていた。
S社の営業マンは“煮ても食えない”という
表現がぴったりなキャラクターだったりするが、
うちの事業主は“焼いても食えない”という
イメージがぴったりかもしれない。

「自分の方にしてくれるなら、さらに3万円くらいなら
がんばって値引きするみたいなこと、おっしゃってましたよ。」
あんまり関係ないのになぜか口を出す従業員。
「じゃあ、びびさん、話詰めてよ。」by事業主。
「別にいいですけど、やっぱり“ボス”が直に交渉したほうが
いいんじゃないですか?」by従業員。
“煮ても食えない”と“焼いても食えない”対決。
「どういったら、その3万円の値引きしてくれるかなあ~」
と、悩みだす事業主。
「大丈夫ですよ、あの営業さんの場合、ご自分がどう考えるか
置き換えたらいいんですよ~!」
ついつい、口を出す従業員。だって、タイプが似てたりする。
「自分だったら?ってこと?ん~~~~~~~~!」
と、真剣に考え出す事業主。
しばらく考えて出した答えが「わかんない!」
やっぱり、“煮ても食えない”ヤツと“焼いても食えない”ヤツ
だと、妙に納得してしまった従業員であった。

どたばたTDL

2005年04月04日 | ファミリー
以前にも書いたが、休暇は“午後”からもらえることになった。
ほんとうは、午前中“長距離”の外出が入るはずだったのだが、
金曜日のお昼にどんなに“この日”を待ちわびていたかと
いうことを切々と訴えたら、外出は後日になった。

今日は念願のディズニーランドの日である。
外出も延期になり、“13時までは事務所にいてほしい”という
要望を受け、時計と睨めっこしながら事務所で仕事をしていた。
ふぃるちゃんと“子供たち”はすでに出発し、自分も
13時にすぐに出られるよう、仕事をちまちまやっていた。

12時半頃、お昼を食べようかと思っていたところに
携帯に“自宅”から電話がはいった。
“だんな、ずいぶん早い帰宅だな。”と思いながら電話に出ると、
「おかあさん、まだ、帰ってこないの?」とその声の主は言った。
???状態の母。その声はだんなではなかった。
しばらくの沈黙のあと、母は素っ頓狂な声を出した。
「なんで、いるの!」←大文字の出し方がわからなくって残念。
声の主は息子であった。ふぃるちゃんとでかけたはずの息子が
なぜ、“自宅”にいる???
状況が把握できないところで、今度は事務所に電話が入った。
電話にでる事業主。なにやら、一生懸命何かを訴えていたが、
電話を切るなり、
「ごめん、びびさん、仕事だ。」
え~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~!!!!!
携帯のむこうで息子のつぶやきがきこえた。
「おなか、すいた・・・。」
漫画の画面に例えれば、まさに白地に黒ラインのまさに
かたまった状態の母。頭の中はまさに真っ白!!!

「ごめん、なんで君がそこにいるんだかわかんないんだけどさ、
お母さんまだ、帰れない!冷蔵庫をあさってなにか食べといて!」
というなり、携帯を切った。
仕事というのはチャリで片道40分のところに書類を取りに
いくというものだった。その時の時間は12時40分。
どんなに考えても事務所に戻ってこられるのは往復と
仕事の内容を考えて14時頃になりそうだった。
あわててだんなに電話を掛ける母、事情を話し、
車で仕事先まで連れて行ってもらえないかと頼んだが
だめだった。
「なんで置いていかれたんだよ!」と電話の向こうで
怒こりとばすだんな。いや、私にきかれても・・・と、
覚悟を決めて、お昼のおにぎりをあわてて頬張り
書類一式持って飛び出した。

息子、熱が下がらなかったと、ちゃりを漕ぎながら
ふぃるちゃんに電話をしたら、事情を説明された。
前日、「熱があっても絶対にいく!」と
宣言していた息子だったので、ついつい鵜呑みにして
いた母だったのだが、そうだよな、ふぃるちゃんに
してみれば、熱の高い子を連れて行くわけにはいかなかった
んだよなと、納得した。

これでもかとこれでもかと、ペダルを漕ぎ、いつもなら
40分かかる道のりを、30分でたどりついた。
記録更新である。
「早くくれ!早くくれ!はやく~~~~~~~~~!」
と、受付のおじさんを胸の中でせっつきながら、
ひたすら書類を待つよそ者事務員。
意地悪されてるのかと思ってしまったくらいにとろいおじさん。
おじさんの手に書類を発見、“よこせ!早くよこせ!”と
訴えつつも、声に出さなければ伝わるわけもなく、なんと
そのおじさん、私が待ちわびている書類を机上におき、
どこかへ消え去ろうとした。
「急いでるんです。その書類早く下さい!!!」
我慢できずに、言ってしまった。そのおじさんには
“きつい性格のよそ者事務員”の印象を植え付けてしまっただろうが、
今後のことより息子とTDLのことで頭が一杯だったりした。

内容を確認し、帰り道、またチャリを漕ぎ出す母。
と、そこへ見慣れた車と遭遇した。
だんなの車であった。
気になって仕事を早くに切り上げきてくれたのだった。
「このままディズニーランドへ送ってやる!」
有難い申し出だった。
チャリを車に載せ、事務所に戻り書類の整理、
自宅に戻ると息子は玉子焼きを作りお昼をぱくついていた。
熱を測ると37度5分だった。
「明日明後日寝込むから、絶対にいく!」
1年半待たせたのである。当然連れて行くことにした。
お得意様に書類を届け、いざ、TDLに出発。
“もしかしたら、スターライト券っていうのあったよな。”と
チケット代を払いながら、もう少し待てばよかったかもと
ケチくさいことを後悔しつつ、無事ふぃるちゃん達と合流できた。

楽しかった後には、つらい別れが待っていた。
帰りもふぃるちゃん達といっしょだと思い込んでいた娘、
別れるときも別れてからも、電車の中、タクシーの中、
そして、“泣き止んだ”とふぃる娘にメールを打ってからも
布団の中で泣いていた。
娘の部屋には黒板がある。黒板には3人の落書きが残っていた。
「絶対に絶対に消さないんだ!」
宣言した娘であった。

“絶対にまたディズニーランドにいくぞ!”
決意を新たにした母であった。

風邪ひき

2005年04月03日 | ファミリー
朝、やたら寒くって目が覚めた。
いつも目を覚ます時間なのだが、とにかく寒くって身体をさすり
まくりの、いつもと違う目覚めだった。
さすってさすってさすりまくったが、どうしても身体が暖まらず
とにかく暖まりたい一心でお風呂にそのまま突入した。
夜中の2時半でお風呂のお湯はすっかりぬるくなっていたのだが
追い炊きをして、ひたすら身体が暖まるのを待っていた。
30分くらい、ずっとお風呂の中につかり、ようやく身体が
あたたまりほっとしたのもつかの間、今度はあっちこっちの
関節が痛み出した。
とにかく眠ろうと毛布の上に布団を掛けて我が家の中で一番平均体温の
高い娘にへばりつき眠ろうとしたが、関節がさらに痛み出して
たまたま息子の枕元においてあった体温計に手を伸ばして
熱を測ると38度3分あったりした。
2月のインフルエンザの時ですら、37度5分しか熱のでなかった
母、起き出してアイスノンと冷えぴた子供用をおでこにはり、
娘の横を陣取り、天天をあんかかわりにした。
(扁桃腺で熱を出していた息子にへばりつけばよかったとあとで思った。)

今日はふぃるちゃんが来るから家の中を掃除しようと思っていたのに
結局、寝込んでしまってなにもしなかった母であった。

ふぃるちゃん、娘っ子、ほんとにごめんね。

またしても扁桃腺

2005年04月02日 | ファミリー
朝から熱が37度1分の息子。バイオリンのレッスン日で
無理をすれば行けないこともなかったが大事をとって休ませることにした。
そして、2時ごろ、熱を測ると38度に突入、のどをみると
白いものがついていた。
午前中でいつもの小児科は診療を終了していたので、2月にインフルエンザで
お世話になった、近所の呼吸器科の先生にみてもらうことにした。

「月曜日、どうしてもディズニーランドに連れて行きたいんです!」と
唐突に言い出す母。
年に何回も扁桃腺が腫れて熱をだす息子。そのパターンは親が一番よくわかって
いるつもりであったが、ついついすがるようにいってしまったのであった。
「まあ、今から薬を飲んで、ぎりぎりかなあ・・・。」
真面目に考えてくださる先生で、申し訳なかったりする。
「最終的な判断は“お父さん”にしてもらったら?」
と、付け加えて下さった先生、“図星”な判断にとても感服してしまった
母であった。

厳しい世界

2005年04月01日 | お仕事
今の職場になって、“ウィンドウズ3.1”というのがあるのを
初めて知った。98が主流の時だった。

私が働かせてもらっている職場の事業主は世間で言う、
“有資格者”もしくは“専門職”といわれている人である。
その専門職が使うソフトがその3.1に入っていた。
なんでも、その頃開業したての事業主、新しくそのソフトを
導入すると、○百万円してしまうということで、廃業する
同業者の方から○万円で譲ってもらったということだった。
ソフトひとつが“○百万円”、当時の私には信じられない
額だったりした。


そして、現在、XPのこの時代、3.1でがんばってくれた
専門職のソフトも時代の波に逆らえず、だんだん限界に
近づいていたりする。
開業したての当時○百万円だったソフトも時間とともに
値下がり、百○万円で導入できるようになったので、
新しく導入することを考え出した事業主であった。

そこで、タイミングよく現れたのがR社、“買って下さい!”と
いう、熱意が感じられ、本当に一生懸命だった。
ところがR社の不運は事業主が3.1で使っていたソフトとは
別会社ということだった。
熱心に営業するR社をよそに、現在使用中のソフト会社にも
見積もりを依頼する事業主。
個人的には、あんなに一生懸命で評判もよい、R社に決めて
あげればいいのにと思っていたが、私が使うわけではないので、
口には出せなかった。
事業主が以来したS社は、その業界でいう“老舗”だったりする。
当然、見積もりは高かった。

昔に比べれば安くなったとはいえ、百○万円の買い物である。
当然、事業主は悩んで悩んで悩みぬいていた。
何回も両社に交渉を繰り返して、見積もりを出しなおし
させたりもしていた。
それでも“老舗”のS社は高かった。そしてS社の担当者は
俗にいう“煮ても食えない”という表現がぴったりな
事業主とたいして年の変わらない、営業マンだったりした。
それに比べて、R社の担当者、“営業マン”なりたてほやほや、
いかにも“がんばってます”みたいなほんとうに一生懸命な
若者だった。

そして、今日、事業主が下した決断。
「S社にするから。」

R社の営業マンくんは、ほんとうによくがんばった。
誠意もあったし、一生懸命で、タイミングもいつも
よくって、腰が低くって、私からみれば、若いのに
偉いなあって、陰ながら応援していた。
事業主もその点は認めていた。
が、そこまでがんばったR社を選んであげられなかった理由が
“使い勝手”だった。
R社の熱意にほだされ、そのソフトのデモをしてみた事業主、
どうしてもそのソフトになじむことができなかったのだ。
こればかりは、本当にどうすることもできない現実だった。

その事を事業主がR社の営業マンくんに告げているとき、
私は顔を見ないように下を向いて伝票の整理をしていた。
私が逆の立場だったら、くやしくってくやしくってたまらないだろうと
思うと、正視できなかったのだ。
それでも、R社の営業マンくんは礼儀正しく立ち去っていった。

が、帰ってから事業主が私にいったひと言、
「下むいてたから、笑いをこらえているのかと思った。」
おい、おい、おい、おい、おい!!!!!
私って、私って、そんな非人情的な人間に思われているのかと
かなり、ショックな締めくくりであった。