マンションのペットライフ

限られた空間で、いかにして“家族”がまあまあ暮らせるか・・・、ない知恵絞っていこうと思います。

ためこみ

2005年08月03日 | おかたづけ
3週間ちかく、新聞ためこんでました^^;

昨日夜読み、そして今朝4時に起きて、一気に読みました。
読む場所はだいたい決まっていて、“コボちゃん”“人生相談”
“医療ルネッサンス”“投稿欄”かな。
(読んでる新聞、即バレですね。)

じっくり読むと、1時間近くかかる新聞。
その後の使い道は、もちろん、ペット関連です、アハハ。

棚作り その2

2005年07月25日 | おかたづけ
昨日、娘の棚を作ると宣言しておきながら、
結局、クローゼットの整理に時間を潰してしまった、母。

月曜日の今日、仕事から疲れ切って帰ると
 
「やってくれるって、いったよね!!!」

と、娘にいわれ、疲れた身体に鞭打って、昨日の続きを
することになった。

構想はできていたのだが、いざやるとなると、
なかなか予定通りにいかず、だんなまで巻き込み
やっとこさ、夜の10時、棚は一応完成をみたのであった。

へとへとなのであった。

棚作り その1

2005年07月24日 | おかたづけ
「プールへ行きたい!」「じゃあ、今度の日曜日」
旅行から帰ってきたばかりの時の親子の会話であった。

が、母は疲れきっていた。

曇っていることを理由にプールはやめにした。
当然いじける娘。
これはまずいと、なんとか気分を盛り立てようと母はいった。

「そうだ、ランちゃんの机の前に棚をつくろう♪」

実は娘の机、姑が買ってくれた物なのだが、引き出しの底は
ぬけるわ、安定感がないわの、ちゃちい造りの品物だった。
“買いなおしをしてほしい!”と何度か懇願されたのだが、
きちんとした学習机はとってもお高い!!!
どうせ買い直すのなら、中学生に入って好みが確定してからの
ほうがいいと思い、騙し騙し使わせることにした。
が、騙し騙し使わせるにはやはり収納が足りないのであった。
で、思いついたのが棚造りだったのである。

すっかりご機嫌になった娘、2人で布団の上に寝転んで
DAY雑誌を広げ、いろいろ構想を練り、だんなに頼んで
ホームセンターに足を運ぶことになった。

が、所詮“ド”素人の構想である。
思いのほか材料選びに時間がかかってしまった。

そして、だんなはいった。
「どうせここにきたんだから、クローゼットの中の衣類
整理する引き出しも買っていったら?」

こうして、乏しい財布の中からクローゼットの中を整理する
3段式引き出しも買い、帰路についた。

が、3段引き出し、実に大きかった。
必然的に先にクローゼットの整理をする羽目になり、
娘の机の棚づくりは次の日に持ち越されたのであった・・・。

ほしいもの

2005年02月07日 | おかたづけ
いつからやりはじめたんだったか、否、はたしていつまで続くのか・・・。
お部屋の“かたづけ”?、否、“模様替え”?
くだらないこと思っている場合ではないのだけれど、
いかにすれば、家事を楽かつ効率よく、いやにならずに
できるのか、ひたすら考え、考え尽くして燃え尽きてたりして。

“ごまちゃん部屋”とよんでいる、だんなが寝てる部屋、
押入れが子供達の“秘密基地”となり、布団が万年床に
なってしまっている。
私は楽なのでそのままでいこうと思っていたら
「万年床はいやだ!」という、だんなからの要望で
ダブルかセミダブルの三つ折ソファーベッドを探すことになった。
二つ折は結構あるのに、三つ折はなかなかない。
で、オークションをみていたら、あるものをみつけた。

それは、私がまだ、勤めはじめて間もない頃、
デパートの家具屋でバーゲンで一目ぼれした、
たしか25万円位して、ほしくって、ほしくって、
でも、値段が高くって、置き場所もなくって
あきらめた、ドレッサー兼用の小振りで、
でも造りが頑丈な“机”。
コメントに“買った当時30万円した品物”とあったが、
それが4万8千円、送料込みででていた。

“ほしい~!”強烈にそう思った。

が、しかし、今の私にはやっぱり高い。
花道の“去勢”代、うさたちのケージ代、
そしてこれから買うであろう、ごまちゃんの
鳥かご、さらに、だんなのソファーベッド。
そして、なにより置き場がない。
せっかく“再会”できたのに、またしても、
手の届かぬ“高嶺の花”のなのであった。

秘密基地

2005年01月23日 | おかたづけ
いつだったか、息子がいった。
「僕、この押入れが気に入って“ここ”がいいと思ったんだ」と。

そう、新しい住居を捜していた時、5歳だった息子は
見学にきた“この家”の押入れにやたら、出たり入ったりと
おおはしゃぎだった。
「僕、“ここ”がいい~!」と、たしかにいった。
たしかにいったがまさか、“押入れ”のことをいっていたとは
思ってもいなかった。
(別に息子の意見だけで“ここ”に決めた訳ではないのだが)
そして引越しの当日、憧れの“押入れ”は当然布団と衣装ケースで
いっぱいになって、本当に悲しかったのだそうだ。

押入れにそこまで思い入れをしていたのかと、
母は切なかった。
願いをいつかかなえてやりたいと(なんの願いなのか
いまいちよくわからなかったりするのだが)
ずっと思っていた。
思っていただけだったのだが、ある日、あることに気がついた。
背が私に近づいているのだ。
このまま伸びたら、もう、“押入れ”で遊ぶのは無理だ、と。

ちょうどいい機会だから、押入れを子供達に“開放”しようと
思い立った。
だんなに彼の“熱い”思いを語ったら、すぐに賛同してくれた。
そして私の思惑も成就することになる。
今まで家中分散していた、衣類を“ごまちゃん部屋”に
まとめられること、そして、だんなの布団を“ごまちゃん部屋”から
わざわざ和室の押入れに運ばなくってよいこと、
なにより、息子の長年の夢が叶うこと、いいことずくめだったりした。

午前中、うさたちの“トイレ”を返品し、クローゼットにいれる
衣装ケースを新たに買い、午後さっそく始めた。
そして、子供達への押入れ開放が夕方できた。
子供達は“秘密基地”と命名して、さっそく入り込んで遊んでいた。
そして母は、押入れからだした衣装ケースと衣類と格闘して
ほとんど一睡もできぬまま、次の日、お仕事にいったのであった。
当然、片付け終わらぬままに。