【能力の限界を弁えた者】
惨めさの限界(みじめさのげんかい)
能力の限界を弁えた(わきまえた)者は、
成功への道を歩む。
モーゼも自我の力からは、
相手を殺傷することしか出来なかった。
その後40年の荒野の生活を経て、
主に謙り(へりくだり)委ねることが
成されたときに・・・
主なる神は、わたしを立てたのである。
モーセは言った、『主なる神は、わたしを
お立てになったように、あなたがたの兄弟
の中から、ひとりの預言者をお立てになる
であろう。その預言者があなたがたに語る
ことには、ことごとく聞きしたがいなさい。
(使徒行伝3章22節)
神はご自身のためにわたしたちの才能を
用いることを、決して求めません。自分の
力ではなく主の力に完全により頼むことが
主のご計画なのです。わたしたちの力や
才能で、主の働きが達成されるのでなく、
わたしたちのうちに住まわれる、主の霊に
よるのです。
その時、
モーゼの杖突く一点のように
紅海は開かれる
目にも留まらない一点が、大きな奇跡を生み
行動の道を築くのである。
自分に死んで イエス・キリストに生きる時、
その奇跡の再臨を見るだろう。
パラドックスに目を塞がれて、右往左往
する無かれ。
すでに扉は、開かれた
私は、キリストのために弱さ、
侮辱(ぶじょく)、苦痛(くつう)、迫害(はくがい)、
困難(こんなん)に甘んじています。
なぜなら、わたしの弱い時にこそ、強い
からです。
(第二コリント人への手紙12章10節)
ハレルヤ エーメン
[ボイスプログ]
http://www.voiceblog.jp/bethesda/
◎ ビッターズに出品しておりますのでご覧下さいませ
(白井の梨が始まりました。)
http://www.bidders.co.jp/user/8601985
◎ ヤフーに出品しておりますのでご覧下さいませ
http://openuser.auctions.yahoo.co.jp/jp/user/npocac1215
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます