【帰集】
今日は、神様の愛を力強く語る
「いなくなった羊のたとえ」から
学びたい。
1. いなくなった羊は、人生の荒れ野をさまよう人間の姿
羊には可愛いというイメージがある。しかし羊は道に
迷った時、自分で集に帰る帰集本能(きしゅうほんのう)
が乏しく、どんどん先に進んで行ってしまう。同じく、
わたしたち自身も、「なぜ、自分は生まれたのか?」、
「なんのために生きるのか?」そのことを問い続けながら、
なお答えを得られず、人生の荒れ野をさまよっている
のではないか?
2. 神の愛の物語
たかが一匹のために多数を犠牲にできない。これが
人間社会の常識である。しかしたとえ話の羊飼いは、
それを覆す(くつがえす)行動をした。このことが教えて
いるのは、見失った一匹の羊の絶大な価値である。
神によって造られ、神と共に生きるべき人間は、神の
みもとを離れ、御前に失われた状態にある。しかし
神は、全く価値のない失われた罪人であるわたしたち
一人ひとりを大切に思って、徹底的に捜し求めて
くださる。このたとえ話は、神の主権的な愛の物語
なのである。「わたしはよい羊飼いである」とお語りに
なったイエスは、わたしたちが求めるより先に、「
あなたはどこにいるのか」と呼び求めていてくださる。
この御声に耳を背けてはならない。イエスは、わたし
たちが神の愛の内に素晴らしい人生を送ることを
望んでおられるのである。そして神のみもとに立ち帰る
時に初めて、わたしたちは自分の存在の意味を悟り、
平安と希望に満ちた人生を送ることができるように
なるのである。
3. 神の喜び
ルカ15章の3つのたとえ話の結末には、異常な程の
喜びが記されている。しかしこれによって、わたし
たちは天上の世界の垣間見ることができまる。神に
よって見出され、救われた人に喜ぶだけでなく、
それ以前に。それ以上に、神が喜んでくださるのだ!
イエスの教えた神は、人間の営みに無関心、干渉
しない超越的絶対者(ちょうえつてきぜったいしゃ)で
はない。一方的な愛で、わたしたちを捜し求め、救い
主イエスとなって、この地上に降ってこられた神である。
そして神とわたしたちが共に生きるために必要なことを、
十字架の死によって全て成し遂げてくださったのである。
これ程にわたしたちを愛し、求め、喜んでくださる
お方が他にいるだろうか?神と共に歩む以上の幸せは、
この世にはないのである。
アウグステンのことば!
「あなたは私たちをご自身のために創られました
だから あなたのもとに帰るまでわたしたちはいこう
ことができないのです」
2011年10月16日
筑波福音基督教会 週報より
ルカの福音書15章1-7節
「いなくなった羊のたとえ」
メッセンジャー
大洗キリスト教会 岡本告牧師
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