いじめに勝利しよう!(13頁中/6-9頁) ライター かみなか さとし
ことを語っています。ましてや、「死ね」「お前なんかいなくなれ」と言っていじめをしている子どもや大人たちは、神さまからどんな裁きを受けなければならないことでしょう?
私たちは日頃、どんな言葉を発しているでしょうか? 相手を励ます言葉でしょうか、それともけなす言葉でしょうか?
ヤコブの手紙の著者は、「私たちは、舌をもって、主であり父である方をほめたたえ、同じ舌をもって、神にかたどって造られた人をのろいます。賛美とのろいが同じ口から出てくるのです。私の兄弟たち。このようなことは、あってはなりません」(ヤコブ3章9、10節)と戒めています。
「賛美とのろいが同じ口から出てくる…」。すなわち、「神さま、あなたを賛美します」と言った後、舌の渇かないうちに「あの人、本当にバカだね」と人をけなしている…。これが私たちの実態ではないでしょうか? そんなことがあっては決してならないと聖書は言っています。私たちは神さまの助けを受けながら、舌を制御することを学ばなければならないのです。
さらに箴言10章には、語ることに関して、実に示唆に富んだ言葉が多く書かれています。
「心に知恵のある者は命令を受け入れる。むだ口をたたく愚か者は踏みつけられる」(8節)
「ことば数が多いところには、そむきの罪がつきもの。自分のくちびるを制する者は思慮がある」(19、20節)
「正しい者の舌はえり抜きの銀。悪者の心は価値がない」(20節)
「正しい者のくちびるは多くの人を養い、愚か者は思慮がないため死ぬ」(21節)
「正しい者の口は知恵を実らせる。しかしねじれた舌は抜かれる」(31節)
「正しい者のくちびるは好意を、悪者の口はねじれごとを知っている」(32節)
「言葉は人を生かしもし、殺しもする」と言います。あなたは「正しい者の舌」でしょうか? 「ねじれた舌をもつ愚か者」でしょうか? 私たちは舌を制御することを学んでいかなければなりません。そして、人を面白がったり、からかったりする場面に出くわしたならば、気持ちを強く持って「それは罪です! 神さまが悲しまれる行為です!」と注意してください。「本気にするなよ! 冗談だよ!」と相手は言うかもしれません。でも必ず、冗談が冗談でなくなる時が来ます。また、自分がそれをしているのに気づいたら、直ちにストップし、悔い改めてください。私も、そのことを自分に言い聞かせています。なぜなら、私もいつの間にか人を軽んじるようなことを言っている場合があるからです。いじめられる子ども、大人は、容易にいじめる子ども、大人になりうるのです。
「面白がる」ことを罪として意識してもらうには時間もかかり、戦いもあることでしょう。それが日本の文化にまでなってしまっているのですから。でも言い続けなければなりません。いじめに発展する前に、またからかわれ、笑い者にされた人が自らの命を絶つまでに追い詰められてしまう前に。
こういう人は注意しよう
いじめとは何か、なぜいじめはいけないのか、その理由について聖書の言葉から探ってみました。次は、いじめに対する予防策です。
まず、こういう人は気をつけたほうが良いと思います。何か言ったあとに、「冗談だよ。本気にするなよ」という人です。こういう人は、自分の言った言葉がいかに相手を傷つけているかについて、全く罪責感をもっていません。むしろ、「冗談だよ。本気にするなよ」と言えば赦されると思っています。
次に、人の弱み、欠点、失敗を攻撃してくる人です。私の場合は、気が効かない、おっちょこちょいなので、人の弱みを指摘してくる人にとっては、格好のカモでした。また、できる人ができない人に「そんなこともできないの?」、知っている人が知らない人に「そんなことも知らないの?」とあざける場面をよく目にします。
しかし、人の弱みや欠点、足りない部分は、誰にでもあるものです。できる、できないは人によって個人差があります。知識の多少は趣味や好みによって随分違うものです。できなければできるように、知らなければ知るようにすればよいのです。しかし、いじめる側はその弱み、欠点、できないこと、知識の足りなさが、その子ども、その大人にとってとてつもなく大きな欠陥であるかのように吹聴します。
次に、「バカ、死ね、うざい」などと言われて傷ついている人を見て、面白がって笑う人です。それは、直接手をくだしていない取り巻きに対しても同じことが言えます。ちなみに「笑い」は元気の素と言われます。しかし、健康的な笑いといじめる側の笑いは明らかに違います。人の失敗、弱点をあざ笑い、いじめられている人を見て笑う卑屈な笑いは、明らかに不健康です。本来、その場面では笑ってはいけないものなのです。
最後に、外面と内面がはっきりと違う、ジキルとハイドのような二面性をもった人です。常習的にいじめをする子ども、大人は、概して二つの顔を使い分けている場合が多いようです。先生や友人、会社の上司や有力者にはいい顔を見せ、弱い立場にいるいじめのターゲットには残虐性を現します。さらに自分の仲間をいっぱい作り、集団で攻撃していくということもします。
ある時、私に対してはとてもフレンドリーな方がいました。しかし、ある筋を通して、「この人は自分の部下に対しては本当にひどいことをする人だ」という情報を聞きました。私にはいい顔を見せ、他の人には闇の顔を見せているという場合もあるのです。
「冗談だよ、本気にするなよ」と言い訳する人、人の弱み、欠点を攻撃する人、人がいじめられているのを見て笑っている人、表裏のある人…。私はこういう人たちに対しては距離を置くか、なるべく付き合わない、友だちにもならない、話もしないようにしています。そういう人と一緒にいるよりは、私の存在を心から喜び、フレンドリーに接してくれる、表裏のない、尊敬できる人と一緒に時間を過ごしたほうがずっとよいからです。
しかし、仕事の同僚や家族にそういう人がいた場合は、どうしても付き合わざるを得ないので、対策を考えます。まずは、なるべく距離を置きます。また、カチンと来るようなことを言われても無視するか、反応しないようにします。しかし、そのいやがらせがあまりにひどい場合は、自分に対して侮辱するようなことを言った時点で、思いっきり怒ります。ある時は、手紙でなぜ怒っているのかを知らせます。それでも収まらなかったならば、信頼の置ける人に相談をします。
もし、「自分は本当にダメな人間なんだ。死にたい」と思わせるほどのいじめに遭った時は、ぜひ繰り返し自分に言い聞かせてください。「私は高価で尊い存在なんだ」「神さまの最高傑作品だ」「私は愛されるため生まれたんだ」と。それが、ひとり子イエス・キリストのいのちと引き替えにあなたを神の子どもとして選んでくださった、父なる神さまのお心だからです。あなたをけなす、侮辱する、あざ笑うなどの攻撃は、全く無視していいのです。むしろ、神さまのすばらしい作品(まさにあなたです!)にケチをつけるような人を哀れに思いましょう。私はそういう人を見るたびに「可哀想に」と思いつつ、神の審判の座で裁かれないように、この地上にいる間に真の悔い改めができるように、と祈ります。
記録をつける
次に、実際にいじめの中にいる子どもたち、大人たちへのアドバイスです。もし今、いじめに遭い、苦しんでいる人がおられるならば、『いじめと戦おう!』(玉聞伸吾著、小学館)という本を読まれることをお勧めいたします(玉聞さんのホームページURL http://www.ijimetotatakaou.com/ も参考になります)。その本の中には、いじめに対してどう対処すればよいのか、具体的なアドバイスに満ちています。その中で特に私は、忍耐強く、いじめについての記録をつけることをお勧めします。「いじめの記録をつける」ことは私も実践したことがあり、大きな効果があったからです。玉聞さんは、こう語っています。
記録はとても大切です。とくに「どうしても」だれかに助けてもらいたいときに役立ちます。そして、いつ、そのときが来るかわかりません。(中略)記録をつけると、ちょっとはなれた目で見ることができるようになります。すると「なんでここまでされなくちゃならないんだ!」と強くなります。そのためにも記録をつけましょう。
私はかつて、職場でいじめ、いやがらせを受けたことがありました。しかも、複数の人からです。彼らは明らかに私の弱点をついてきました。失敗を誇大に吹聴しました。私の言った意見にことごとくノーを言いました。それは実に巧妙、計画的で、上司に「私はこんないじめを受けています」と訴えても、「それは君の思い過ごしだ」と相手にしてくれませんでした。それでも私はいやがら
続く(13頁中/9-12頁へ)
[ボイスプログ]ジョシュア四十四
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