【本週講道摘要2012.3.11.】岡本告牧師
有名な「ラザロの復活」の記事である。
特に25節、26節の御言葉から、イエス
様を信じるわたしたちま生と死がどれほど
祝福に満ちているかを学びたい。
1. イエス様のねらい
イエス様がユダヤに行かれた時、ラザロが
墓に入れられてから四日が経ち、すでに
死体の腐敗が始まっていた。
神様の御子イエス様に死からよみがえらせる
力があることを疑いの余地なく知らせるために、
このことが必要だったのである。
福音書に記されているナインの町の未亡人の
一人息子、会堂司ヤイロの娘をよみがえらせた
奇跡には、仮死状態だったのではないかという
疑問が残る。
しかし死後四日経っていたラザロの復活には、
その恐れが全くない。
イエス様にとって、遠距離で御言葉によって
ラザロをよみがえらせることは容易いことで
あった。
しかしイエス様は、兄弟を死から取り戻す
ばかりでなく、マルタとマリアの信仰の成長
のために、このことを望まれたのです。
それは弟子たち、わたしたちの信仰のためで
ある。
イエス様こそ死の主人、よみがえりの命を
お持ちなのである。
2. 主のよみがえりの命に包まれて
イエス様のよみがえりの教えの特徴は、
イエス様を信じる者のよみがえりにだけ焦点が
当てられていることである。
さして信者は、26節によれば、「決して死ぬことが
ありません。」ここが大事である。
イエス様を信じるクリスチャンが肉体の死を
経験する時、死の力の下で滅びてしまうので
はない。
実際に復活するまで、どうなったか、どうなる
か分からないという不安定な、不確かな状態
に留まるのではないのだ。
神様の御子であるイエス様を信じたその瞬間
から、わたしたちはイエス様の満ち溢れる
よみがえりの命に包み込まれ、復活の日を
待つまでもなく、永遠の命に生かされる身と
なるのです。
この人生に何が起こってきても、わたしたちを
常に脅かす最大最後の敵である死も、もはや
キリストとわたしたちの命の絆を断つことは
できない。
イエス様と一つとされ、イエス様の庇護の下
にあるわたしたちを滅ぼすことはできないので
ある。
死の棘は抜かれたのである。
肉体の死は、すでに地上の信仰生活でその喜び
を感じている永遠の命への入り口となった。
肉体にとっては、大いなる復活の日を持つ休息、
憩いとしての眠りとなった。
何ものも、神であるキリストに愛されている
クリスチャンを決して滅ぼすことはできない。
復活の主にイエス・キリストの愛の内に、クリス
チャンは永遠に生きるのである。
(ローマ8章38節、39節)
JECA大洗キリスト教会主任牧師
岡本告牧師は、2年間以上の予定で
バンクーバに 2012年3月14日旅立ちます。
豊かな恵みを お祈り致します。
筑波福音基督教会
2012年3月11日 主日礼拝
ヨハネの福音書11章1-44節
「主イエス様のよみがえりの命に包まれて」
メッセンジャー 岡本告牧師
[ボイスプログ]ジョシュア四十四
http://www.voiceblog.jp/joshua404/
[ボイスプログ]ベテスダ・柏
http://www.voiceblog.jp/bethesda/
◎ ヤフーに出品しておりますのでご覧下さいませ
(旧約・旧約続編・新約・ジッパー聖書有ります)
http://openuser.auctions.yahoo.co.jp/jp/user/npocac121