北京から成田空港に着いて最初に思ったことは、
なんて日本は静かなんだろう~ってことです。
北京の街中では
喫茶店で自分一人でいてもタクシーに乗っても
知らない人から話しかけられることが多いです。
レストランや公共の場でもみんな声が大きいので
他人の会話の内容が丸聞こえです(笑)。
暮らし始めたときはそれになれなくて
なんて疲れる街なんだろう~と思いました。
でも北京暮らしになれて
久しぶりに東京に帰ってくると
正直言って、静か過ぎて不気味だと(笑)。
東京では子供がちょっとでも大きい声を出すと
お母さんが「シーッ、もっと小さい声で話しなさい」と
注意している場面を見かけます。
例えば駅のホームにいて事故が起きたとしても
誰も助けてくれそうにない、
他人には無関心な気がしちゃいました。
もし北京だったら「なになに、どうした?何が起こった?」と
人が集まってきて見て見ぬふりをされることはないし、
声が小さいと「え、なんて言ったの。聞こえない」と
言われてしまうでしょう。
都内の電車は通勤ラッシュは、
混んでてストレスがたまりますね~。
人は多いのに、
ほとんど物音も話声がしないのも不思議です。
帰国した日に都内の駅構内を歩いていたとき
北京の速度で歩いてみたいで
周りの人たちがスタスタ歩いて速いのに
ちょっとびっくりしました。
電車のシステムも少しずつ変わっていて、
プリペイドカードのスイカ専用の改札口で
普通の切符で通ろうとしたら列を乱してしまい
「チッ」と後ろの人に舌打ちされちゃいました。
自分でも浦島太郎状態だわ~と思ったのですが、
やっぱり東京は時間の流れが早いですね~。
それが東京だというのはわかってはいるのですが・・・。
写真は今回行った熊本市内を走る旧式の市電です。
旧式の市電は床が木でできています。
上写真の新式の市電は木の床ではありませんが、
車内にランの花が飾ってありました。
花ひとつでずいぶん癒されますね~。
東京も、もうちょっと周りの人のことを考える
余裕や元気があったらいいなぁ~と思うのですが
みなさんは、どうですか♪
なんて日本は静かなんだろう~ってことです。
北京の街中では
喫茶店で自分一人でいてもタクシーに乗っても
知らない人から話しかけられることが多いです。
レストランや公共の場でもみんな声が大きいので
他人の会話の内容が丸聞こえです(笑)。
暮らし始めたときはそれになれなくて
なんて疲れる街なんだろう~と思いました。
でも北京暮らしになれて
久しぶりに東京に帰ってくると
正直言って、静か過ぎて不気味だと(笑)。
東京では子供がちょっとでも大きい声を出すと
お母さんが「シーッ、もっと小さい声で話しなさい」と
注意している場面を見かけます。
例えば駅のホームにいて事故が起きたとしても
誰も助けてくれそうにない、
他人には無関心な気がしちゃいました。
もし北京だったら「なになに、どうした?何が起こった?」と
人が集まってきて見て見ぬふりをされることはないし、
声が小さいと「え、なんて言ったの。聞こえない」と
言われてしまうでしょう。
都内の電車は通勤ラッシュは、
混んでてストレスがたまりますね~。
人は多いのに、
ほとんど物音も話声がしないのも不思議です。
帰国した日に都内の駅構内を歩いていたとき
北京の速度で歩いてみたいで
周りの人たちがスタスタ歩いて速いのに
ちょっとびっくりしました。
電車のシステムも少しずつ変わっていて、
プリペイドカードのスイカ専用の改札口で
普通の切符で通ろうとしたら列を乱してしまい
「チッ」と後ろの人に舌打ちされちゃいました。
自分でも浦島太郎状態だわ~と思ったのですが、
やっぱり東京は時間の流れが早いですね~。
それが東京だというのはわかってはいるのですが・・・。
写真は今回行った熊本市内を走る旧式の市電です。
旧式の市電は床が木でできています。
上写真の新式の市電は木の床ではありませんが、
車内にランの花が飾ってありました。
花ひとつでずいぶん癒されますね~。
東京も、もうちょっと周りの人のことを考える
余裕や元気があったらいいなぁ~と思うのですが
みなさんは、どうですか♪
お勤めしてたときは、よく駅で押し出されて途中下車状態にされてました。降りる人のために動いたのに、もう乗せてもらえない。人のことなんか知らん顔で、自分さえ遅刻しなければいいって考えなんでしょうね。
東京生まれの東京育ちの私には耐えられないです。
というのは、東京の殆どの人は他府県から移住してきた人たちなんですよ。
不思議な話ですよね、地方から来てる人たちが「イラツキ東京」を作り上げているんですから。その証拠に、ゴールデンウェークやお盆の時期などになると、東京はガランと静まり返ります。
みなさんにとって、東京は多分「仮の住まい」なんでしょうね。そんな気がします。
熊本城の前の記事を読んだらちゃんと書いてありました。呑気なコメントですみません・・。
今日のこの記事を読んでちょっと涙ぐんでしまいました。そう、これなんですよ。日本に戻った私が感じたのは・・。東京生まれ東京育ちで何の疑問も抱かずに暮らしていた街、そして日本なのに、この違和感はなんだろう・・。本当に浦島太郎状態でした。
帰国してから大きな駅でのんびりギリシャのペースで歩いていたら、つきとばされてしまったし、コンビニの店員さんの応対がロボットのように思えたり・・。
ギリシャ人もうるさいほどお喋りでおせっかいで、でも優しく人とのつながりがありました。
日本は忙しくて早くて・・いまだについていけないのです。だから思うことはいつも「ギリシャに帰りたい・・。」となってしまう。いつまでもそんなことを言っていても仕方ないのですが・・。
だからBeijinglotusさんと少し思いを分かち合うことができたと何だか心があたたかく
なりました。
香港に出かけた友人が日本は元気が無さ過ぎるっていいました、他国で気付く自国です。
元気の無いのと無関心はちがいますけど…
私がANDYを好きな訳も元気と愛情を感じられるからだなぁと最近思います
言われてみれば、ほんとにみんな無関心かも。
自分のことばかりで、協力しあって何かを。が無いですね。
そんな現実に気が付いて中国の「元気や活気、余裕」を取り戻さないと怖いことになってしまう様に感じます。
市電のランの花は唯一癒されます。
こんな風に周りにもっと目を向けて暮らさないとと教えてくれているようです。
これって日本人の良いところだと思います。
欧米人だと、こいつら全員B型?なんて思わされることありますから。
でも最近は控えめな国民性というよりも、無関心さが目立つように思えます。
僕もその一員だけど、本当の意味でその地域で生活している人が減っているからなのかも知れません。
控えめなのは日本人の美徳みたいなものを感じていいな~と思いますが、無関心なのは怖いことだと思います。困っている人には助けの手を差し伸べる、相手のことを考えられる余裕がある、安心して暮らせるストレスレスな環境にしていきたいですね~。