月をゆびさして教えると、月を見ないで指を見る意。道理を説いて聞かせてもその本旨を理解できず、その文字や言語に拘泥して詮索することをいう。
はじめて山田邦子を見たのは、バスガイドのネタだった。バスガイドの制服を着た山田が、「右手をごらんください。いちばん高いのは、中指でございます」と言うのである。
「月を指せば指を認む」は『大仏頂経』というお経に出てくる言葉だそうだ。
月は悟りの境地、指は経典のメタファー。お経の言葉ひとつひとつにこだわって、その向こうにある真理について考えが及ばないことへの批判だ。真理は言葉や文字を超えたところにある。でも、これはむずかしい。また、一字一句を深く追究しないと真理に到達できないという気もする。
ぼくは取材をすると、その録音データをいちど文章にする。録音を聞くと、自分がいかに相手の言葉を誤解したり、本旨から逸れた質問をしているのかがよくわかる。
頭のいい人は、相手の話の本旨をつかむのがうまい。ところがぼくは、本旨をうまくつかめず、全体がよくわからないものだから、知っている単語があるとそこにとびついてしまう。そしてますます本旨から外れていってしまうのだ。おかしなことに、それでも会話は成立する。
このブログが本にまとまりました!
はじめて山田邦子を見たのは、バスガイドのネタだった。バスガイドの制服を着た山田が、「右手をごらんください。いちばん高いのは、中指でございます」と言うのである。
「月を指せば指を認む」は『大仏頂経』というお経に出てくる言葉だそうだ。
月は悟りの境地、指は経典のメタファー。お経の言葉ひとつひとつにこだわって、その向こうにある真理について考えが及ばないことへの批判だ。真理は言葉や文字を超えたところにある。でも、これはむずかしい。また、一字一句を深く追究しないと真理に到達できないという気もする。
ぼくは取材をすると、その録音データをいちど文章にする。録音を聞くと、自分がいかに相手の言葉を誤解したり、本旨から逸れた質問をしているのかがよくわかる。
頭のいい人は、相手の話の本旨をつかむのがうまい。ところがぼくは、本旨をうまくつかめず、全体がよくわからないものだから、知っている単語があるとそこにとびついてしまう。そしてますます本旨から外れていってしまうのだ。おかしなことに、それでも会話は成立する。
