落ちる涙を時雨にたとえていう語。
同じような言葉に「空の雫(しずく)」がある。
「目の時雨」とか「目の雫」ではなく、「空の」とするところが、ちょっと不思議だ。
時雨というのだから、大量に涙が出るのだろう。号泣か。雫なら「しくしく」という感じ。
ボブ・マーリーに『ノー・ウーマン・ノー・クライ』という曲がある。タイトルの歌詞を繰り返すところから始まる。
「女よ、泣くな」とか、「泣かないでくれよ、おまえ」なんてふうな意味だと思う。これを作家の長嶋有は『泣かない女はいない』(河出文庫)と誤訳して小説に仕立てた。「ノー」がどこにかかるかで意味が変わるわけだが、もともとボブ・マーリーの歌詞はしゃべり言葉だから、厳密な文法よりも、語り手の表情や、ちょっとした間のあけかたなどで意味が伝わる。そこを逆手にとって「泣かない女はいない」とした長嶋有は見事だ。
もっとも、女だからといって泣くとは限らない。涙もろい男もいれば、泣かない女もいる。そして、繊細だから、感受性が豊かだから、涙もろいとも限らない。
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同じような言葉に「空の雫(しずく)」がある。
「目の時雨」とか「目の雫」ではなく、「空の」とするところが、ちょっと不思議だ。
時雨というのだから、大量に涙が出るのだろう。号泣か。雫なら「しくしく」という感じ。
ボブ・マーリーに『ノー・ウーマン・ノー・クライ』という曲がある。タイトルの歌詞を繰り返すところから始まる。
「女よ、泣くな」とか、「泣かないでくれよ、おまえ」なんてふうな意味だと思う。これを作家の長嶋有は『泣かない女はいない』(河出文庫)と誤訳して小説に仕立てた。「ノー」がどこにかかるかで意味が変わるわけだが、もともとボブ・マーリーの歌詞はしゃべり言葉だから、厳密な文法よりも、語り手の表情や、ちょっとした間のあけかたなどで意味が伝わる。そこを逆手にとって「泣かない女はいない」とした長嶋有は見事だ。
もっとも、女だからといって泣くとは限らない。涙もろい男もいれば、泣かない女もいる。そして、繊細だから、感受性が豊かだから、涙もろいとも限らない。
