永江朗のオハヨー!日本語 ~広辞苑の中の花鳥風月

短期集中web連載! 手だれの文章家・永江朗が広辞苑を読んで見つけた自然を表す言葉の数々をエッセイに綴ります。

はつかぜ【初風】

2013年03月31日 | は行
(1)その季節の初めに吹く風。特に初秋の風をいう。
(2)元日に吹く風。



 春一番とか木枯らし一号はわかるけれども、その季節の初めの風というのは、どうやって知るのだろう。たとえば立春から春、立夏から夏と、カレンダーで決めてしまっていいのだろうか。しかし「特に初秋の風を」初風というのなら、やはり秋分の日をすぎたあたりからでないと初秋という感じはしない。ということは、この場合の季節はカレンダーで決まるのではなく、「そろそろ春だなあ」「もう夏だなあ」と、感覚的に思ったときだろうか。なお、『広辞苑』には初秋の頃に吹く風として「初秋風」が乗っている。

 植物や気象状況を目安にすることもできるかもしれない。たとえば梅が散って桜が咲くころが春の始まりで、そのころ吹くのが春の初風。青い空に真っ白な入道雲が出るころが夏の始まりで、そのとき吹くのが夏の初風とか。沖縄の初風と北海道の初風では、ずいぶん時間差ができそうだ。

『広辞苑』には「初」がつく季節の言葉がたくさん載っている。「初嵐(はつあらし)」は「陰暦7月末から8月半ばにかけて、強い風が初めて吹くこと」。「初袷(はつあわせ)」は、その年初めて袷の着物を着ること。

はださむ【肌寒】

2013年03月30日 | は行
秋深くなって肌に少し寒さを感じること。

 なんと、「肌寒(はださむ)」と「肌寒い(はだざむい)」は違うのである。「さ」に濁点があるかどうか、「い」がつくかどうか、名詞か形容詞かという違いだけじゃない。

「肌寒」は秋に使う言葉。俳句の季語でも秋だ。それに対して「肌寒い」は「肌に少し寒く感じる」。もっとも、ほかの辞書を見ると、「肌寒い」について「秋になって」と季節を特定しているものもあるから、多くは秋に使うのだろう。

 単純に「寒い」ではない。昨日まで暖かかったのに今日は寒いとか、さっきまで暖かかったのに陽が傾いてきてちょっと寒いという気持ちが込められている。いまこの瞬間が寒いというだけでなく、前の時間との比較、気温や気候の変化をあらわしている。なんて繊細なんだ、日本語!

 肌寒といえばカーディガンである。春から晩秋まで、外出するときはカバンの中に薄いカーディガンを入れておく。春と秋はウールの、夏はコットンのカーディガンだ。春や秋は予想外に寒いときがあるし、真夏はきつい冷房対策だ。20代のころは「ちょっと寒いね」なんていって、素肌の腕をさすっていたりしたけど、もうこの年齢になるとちょっと無理。

のちのひな【後の雛】

2013年03月29日 | な行
春の雛祭に対して、秋の9月9日(菊の節句)、または8月朔日に飾る雛。秋の雛。

 雛祭の秋バージョンがあったとは。春が桃の節句なら、秋は菊の節句。どうして人形業界は「雛祭は春だけじゃなくて秋にもありますよ」とアピールしないのだろう。秋用の人形を商品化すれば、孫にお金をかけたくてしかたないおじいちゃん・おばあちゃんが、買ってくれると思うのだけど。狭いマンションに住む若いおとうさん・おかあさんにとっては大迷惑だが。

 そういえば秋には菊人形がある。菊人形というと、そのときどきの話題の人を模したものが新聞やテレビのローカルニュースで取り上げられたりする。なんとなく安っぽくて時代おくれなものというイメージがある。『広辞苑』の「菊人形」の項を見ても「菊の花や葉で飾りつけた人形の見世物。多く歌舞伎狂言に取材。明治時代には東京団子坂・国技館(両国)のものが有名。菊細工」としか書いていない。もしかして、あのルーツは後の雛なのか。

 菊の節句は重陽(ちょうよう)ともいい、五節句のひとつ。他の4つの節句(1月7日、3月3日、5月5日、7月7日)にくらべていまひとつマイナーだ。「重陽の節句を盛り上げよう」キャンペーンでもやろうか。

ぬえ【*・鵺】 *は偏が「空」で旁が「鳥」

2013年03月28日 | な行
(1)トラツグミの異称。

 もちろん語釈の(2)には、「源頼政が紫宸殿上で射取ったという伝説の怪獣」とある。頭がサルで、胴がタヌキ、尾がヘビで、手足はトラという怪物である。もっとも、実際に異種混合の生物がつくりだされることがあって、たとえばヒョウとライオンから生まれたレオポンだとか、ライオンとトラから生まれたライガーだとか、ヤギとヒツジから生まれたギープだとか。いずれも自然界で生まれたのではなくて、人工的にかけ合わせてつくった。生まれた動物たちより、そんなことをする人間のほうが怖いと思うけど……。

 ぼくが驚いたのは、伝説の怪獣の名前や、その比喩(「鵺みたいなヤツだね」など)としてしか知らなかったけど、トラツグミを鵺と呼ぶということである。「ぬえこどり【鵼子鳥】」の項には、トラツグミだけでなく、「一説に、夜鳴く鳥の総称とし、フクロウ・ミミズクなども含む」とある。

 笑っちゃったのは「鵼鳥の」という枕詞。「片恋」などにかかるのだが、「その鳴き声が物悲しく、人を恋うるように聞こえるからいう」のだそうだ。不気味でもあり、物悲しくもあり、ということか。

にわたずみ【潦】

2013年03月27日 | な行
雨が降って地上にたまり流れる水。行潦。


 語釈にある「行潦」は「こうろう」と読み、路上の水たまりのこと。

『広辞苑』では「ニワは俄か、タヅは夕立のタチ、ミは水の意というが、平安時代には「庭只海」と理解されていたらしい」と語源について書かれている。雨が降ったら庭が急に海になった、という小学生の感想のような表現がかわいい。

 子どものころすごした田舎町は、まだ舗装されていない道路も多く、雨が降るとあちこちに水たまりができた。学校の帰り、水たまりを避けてジャンプしながら歩いたり、逆に長靴でじゃぶじゃぶ入りながら歩くのが面白かった。水たまりと水たまりをつなぐ水路を作ったりもした。猛スピードで自動車が通り、頭から泥水をあびたこともある。

 写真に興味を持ちはじめたころは、水たまりにうつる雲をよく撮ったものだ。道路に空と雲という取り合わせがシュールで、かっこいいと思った。

 どこもかしこもアスファルトで固められ、水たまりなんてめったに見かけなくなった。ゲリラ雷雨なんてあると、すぐ洪水になるのは、その副作用だろう。