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永江朗のオハヨー!日本語 ~広辞苑の中の花鳥風月

短期集中web連載! 手だれの文章家・永江朗が広辞苑を読んで見つけた自然を表す言葉の数々をエッセイに綴ります。

うめはくうともさねくうな、なかにてんじんねてござる【梅は食うとも核食うな、中に天神寝てござる】

2012年09月30日 | あ行
生梅の核に毒のあることを戒めた句。「天神」は梅に縁の深い菅原道真をさす。


 この項目を見つけたときはドキッとした。ぼくは子どものころ、梅干しの種を割って、中の核を食べるのが好きだったからだ。もしかして、背が低いのも近眼なのも胃腸が弱いのも核を食べたせい? 頭が悪いのは天神様の怒りに触れたからか。

 そう思って、いろいろ調べてみると、梅干しや梅酒にした梅の核は、毒性がかなり薄まっているらしい。それでも完全に無害とは言い切れないようだから、少なくとも大量に食べるのはよしたほうがいいだろう。核だけでなく、まだ熟していない梅の実にも毒がある。

 菅原道真は太宰府に左遷されるとき、「東風吹かば匂ひをこせよ梅の花主なしとて春な忘れそ」と京のわが家の庭の梅を詠んだ。その梅は単身赴任の道真を追って太宰府まで飛び、そこに梅の花を咲かせたという。

 京に残された妻は死に、道真も太宰府で死ぬ。道真の怒りと怨みで京は天変地異が続き、北野天満宮をつくって道真を祀り、怒りを鎮めた。北野天神は梅の名所となり、道真は学問の神様としてありがたがられる。でも天神様は左遷と単身赴任への怒りの神様でもあるのでは?

うみがわく【海が涌く】

2012年09月29日 | あ行
(漁師語)魚群が海面に集まる。


「わく」には、「水が熱せられて湯となる」の「沸く」と、「地下水などが地中から出る」の「涌く・湧く」の二つがあるが、これは後者。でも、「まるで沸騰しているよう」というニュアンスもあるのかもしれない。

 実際にこういう場面を見たことはないけれども、公園の池の鯉が餌を求めて集まってきたときとか、水族館の餌やりの時間に魚が水面に集まってきたときなどから想像できる。海の表面が魚の背中でボコボコとなり、まるで海底で温泉が涌いて海面まで吹き上がっているような状態になる……のだと思う。

 水族館の魚たちを見ていると、押し合いへし合いしている。とくに小さな魚はそうだ。ひとかたまりになることで、大きな魚であるかのように見せて、自分たちの身を守っているのだと聞いたことがあるけれども、押し合いで圧死することはないのだろうか。

 集まってくる魚がイワシやニシンならいいけれども、カツオやマグロだったらちょっと怖い。ピラニアだったらもっと怖い。船が魚群に持ち上げられて転覆してしまうようなことはないのだろうか。

うまのせをわける【馬の背を分ける】

2012年09月28日 | あ行
馬の背の片方には雨が降り、片方には降らぬ意で、夕立などが、ごく近い区域でここには降り、あそこには降らぬさまにいう。夕立は馬の背を分ける。


 あの硬い馬の毛が、背中のまん中で右と左に分かれるぐらい激しい雨、という意味だと誤解していた。

 ここ最近、ゲリラ雷雨が降るけれども、あれはまさしく馬の背を分けるような振りかただ。電車で一駅離れただけで、こちらは土砂降りなのに、向こうでは晴れていたりする。地球温暖化の影響ではないかとか、ヒートアイランド現象ではないかとか、太陽黒点の変化のせいじゃないかとか、いろんなことをいいたくなるけど、こういう言葉があるということは、局地的な雨は昔からある現象だったのだろう。

 局地的な土砂降りに遭遇したとき、傘を買うか、それとも濡れていくか、いつも迷う。夏なら濡れてもたいしたことないのに、たいてい傘を買ってしまう。家には使わないビニール傘がたまっていく。

 だが、よく考えれば、ほかにも選択肢はあるのだ。タクシーに乗るとか、雨宿りするとか。急いでないなら、雨宿りすればいい。喫茶店でコーヒーを飲みながら本を読んでいてもいいし、書店に入って棚を眺めていてもいい。雨宿りするぐらいの気持ちの余裕を持ちたい。

うのはなくたし【卯の花腐し】

2012年09月27日 | あ行
(クタシは、グタシ、クダシとも。卯の花を腐らす意)陰暦4月から5月に降る雨。梅雨に先立って降る長雨。また、さみだれの異称。

 卯の花が腐るというから、豆腐のおからが腐るのかと思いきや、こちらは木の卯の花のこと。別名、ウツギ。初夏に白い花をつけ、生け垣などにする。ウツギは「空木」と書き、茎や枝が中空になっているのでこう呼ぶそうだ。

 その花を腐らせるような長雨ということだろうか。花が腐るという表現に、雨に対する恨みがましい気持ちと、ちょっとグロテスクでデカダンスな気分を感じる。

 陰暦4月を「卯月」という。新暦では4月の末から6月のはじめごろにあたる。卯の花が咲くから卯月なのかと思っていたが、『広辞苑』には「十二支の卯の月、また、ナエウエヅキ(苗植月)の転とも」と書かれている。ホトトギスを卯月鳥という。

 唱歌「夏は来ぬ」の出だしにも、卯の花の香りがする垣根にホトトギスがやってきた、と歌われている(作詞は歌人の佐々木信綱なのですね)。でも、その花が腐っているというのである。どんな匂いが漂っているのだろう。

「卯の花曇り」は「卯の花が咲く頃の曇天」。「卯の花月夜(うのはなづくよ)」は「卯の花の白く咲き、月光の美しい夜。また、白い月光の比喩」とある。

うつぼつ【鬱勃】

2012年09月26日 | あ行
(1)雲などの盛んに起こるさま。また、草木が盛んに茂るさま。
(2)胸中に満ちた意気が、まさに外にあふれようとするさま。



 ええっ! こういう意味だったの?

「鬱」という字が入っているから、ネガティブな意味の言葉だと思い込んでいた。
 高校生のころ読んでいた本に、「鬱勃たる精神」という言葉があったので、青白い青年が眉間にしわ寄せ、うつむいて歩いている姿を思い浮かべた。ぜんぜん逆ではないか!

 どうして「鬱」が? と思って白川静の『字統』を引いた。すると、「鬱」のとなりに「蔚」という字があるではないか。こちらも「うつ」と読む。「尉は火のしを示す字で、なかに熱気がこもるような状態をいう。草木のさかんに茂るさまを蔚茂(うつも)といい、また人徳のなかに充ちて外にあらわれるものを蔚という」と白川静は書いている。火のしというのはアイロンみたいなもの。「鬱は鬱鬯(うつちょう)の気がなかにみちて、香り酒が醸されることをいう」ともある。鬱鬯というのは御神酒のことらしい。

 神様に捧げる酒がいい具合に発酵して、アロマとかそういうのがむらむらとあふれ出る、という感じでしょうか。