永江朗のオハヨー!日本語 ~広辞苑の中の花鳥風月

短期集中web連載! 手だれの文章家・永江朗が広辞苑を読んで見つけた自然を表す言葉の数々をエッセイに綴ります。

わき【和気】

2013年10月27日 | わ行
のどかな気候。あたたかい陽気。


 現在は「なごやかな気色。むつまじい気分」という意味で使うことが多い。「和気藹藹(わきあいあい)」の「和気」だ。でも『広辞苑』によると、こちらは2番目の意味。気候についていう意味のほうが古い。

 気分のほうの「和気」も、「和気」だけで使うことはあまりない。たいてい「藹藹」とペアだ。「藹藹」は「(1)草木の茂さま。(2)多くて盛んなさま。(3)心のやわらいださま」。「和気」+「藹藹」は、よっぽどなごやかで心がやわらいでいるのだろう。「藹藹」と同じような意味で「藹然」という言葉もある。

 京都御所の近くに護王神社があり、祭られているのが和気清麻呂(わけのきよまろ)。道鏡が宇佐八幡の神官と結託して天皇になろうとしたとき、阻止した人だ。吉備の国、現在の岡山県の出身。道鏡に嫌われ、名前を別部穢麻呂(わけべのきたなまろ)に変えられてしまった。プラスのイメージの「和気」を、マイナスの「別部」にしたわけだ。でも道鏡が失脚して名誉回復。平安遷都も和気清麻呂の仕事だ。彼がいなかったら、今日の京都もなかった。


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「永江朗のオハヨー!日本語 ~広辞苑の中の花鳥風月」は本日が最終回です。

ご愛読、ありがとうございました。


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ろうおう【老鶯】

2013年10月26日 | ら行
春すぎて鳴くウグイス。晩鶯。残鶯。おいうぐいす。


 夏になっても鳴いているからといって、老いているとは限らない。若くて元気たっぷりだからいつまでも鳴いているのかもしれない。もちろん、老いても盛んなウグイスだっているだろうけど。

 百科事典などで調べてみた。

 ウグイスは、冬は平地ですごし、春先になるとオスが「ホーホケキョ」と鳴いてメスを求める。夏になると山のほうに移動して巣を作る。寒くなるとまた平地に戻ってくる。

 サントリーのサイトに「日本の鳥百科」というコーナーがある。そこのウグイスの項によると、「ホー」で息を吸って、「ホケキョ」で息を吐いているのだそうだ。平地で鳴くのは練習で、彼らにとっての本番は初夏になって山に移動してから。いい声で鳴いて、メスを魅了しなければならない。楽しそうに鳴いているようで、心の中では必死だ。老鶯は年をとって枯れているどころか、やる気まんまんで婚活中の若者なのである。どういう声にグッとくるのか、メスの意見を知りたい。

「日本の鳥百科」では鳴き声も聴ける。「ホーホケキョ」のさえずり、平地での地鳴き(ささ鳴き)、そして谷渡り。


れいじつ【麗日】

2013年10月25日 | ら行
春などのうららかな日。


『大辞林』では「うららかな日。のどかな日」となっているけれども、「麗」という字のニュアンスを考えると「のどかな日」というのはどうか。

『広辞苑』の「麗らか」の項は「空が晴れて、日影の明るくおだやかなさま。多く春の日にいう。うらうら。うらら」とある。山本リンダの『狙いうち』(阿久悠作詞)を思い出すような語釈だ。あの歌が流行ったころは子どもだったのでよくわからなかったが、玉の輿を狙う女性の歌だったのですね。ちっともおだやかじゃないよ。

『広辞苑』で「うるわしい(麗しい・美しい・愛しい)」の項を見ると、「物事が乱れたところなく完全にととのっている状態を表す」とあり、「端正である。立派である。壮麗だ」「(色彩が)見事である。整っていて美しい。きれいである」などの意味が並んでいる。

「のどかな」というと、すこし霞がかかったような、ぼんやりのんびりした感じがするけれども(「の」という音のせいかもしれない)、「麗日」はもっとピカッと晴れた日、さわやかな日なのだ。
 

りんう【霖雨】

2013年10月24日 | ら行
幾日も降りつづく雨。ながあめ。淫雨。


『新漢語林』を見ると、三日以上降りつづく雨を霖雨というそうだ。「霖」という字は「雨+林」でできた文字。「林」の音は「立」に通じ、「ある位置に長時間たつの意味」だという。つまり、雨が一つの場所に居着いてしまった、というわけだ。「いつまでも居座っちゃって。はやくどっかに去ってくれないかな」というイライラした気分が伝わってくる。

「淫雨」という言葉もすごい。字面がすごい。ちょっと別のことを連想してしまった。ここには書けないけれど……。

「淫」には「みだら」という意味以外に、「度を越す。度はずれ。深入りする。熱中しすぎる。おぼれる」という意味もある。つくりの部分は「爪+壬」で、「手をさし出し、進み出て求めるさまから、過度・はなはだしいの意味を表し、降りすぎの雨の意味から、ひたす・ふけるの意味を表す」のだそうだ(『新漢語林』)。

 何日も雨の日が続くと、永遠に晴れないのではないかと不安になってくる。もしもずっと振り続けたらどうなるのか。そういえばガルシア・マルケスの『百年の孤独』は、何年も雨が降りつづく村の話だった。




よるのあき【夜の秋】

2013年10月22日 | や行
晩夏の候に、夜だけ秋めいた気配のあること。



 あまりにも猛暑が続くので、このまま永遠に秋は来ないのではないかと思ってしまう。それでも8月の終わりになると、夜にはいくぶん涼しくなる。やっぱり地球は回っているのだなと思う。ガリレオじゃないけれど。

 1年のなかで好きな季節はいろいろある。でもそのなかで、夏の終わりの夜の、Tシャツ1枚じゃちょっと寒いかな、と思うぐらいのときがいちばん好きだ。昨日までの生暖かい風が少しキリッと涼しい風に変わる。ああ、季節が変わるんだ、と実感する。

 真夏の夜に浴衣で散歩するとたちまち汗だくになってしまう。晩夏ならちょうどいい。虫の声を聞きながら、カラコロと下駄の音をさせて歩く。

 昼間の暑さに慣れて、うっかりタオルケットも掛けずに寝ると、風邪をひいたりお腹をこわしたりする。からだを対灼熱モードから対冷涼モードへと変えていかなきゃならないのだけど。夜が気持ちいいからといって、夜更かししちゃいけないのもこの季節だ。あと何回、この季節を味わえるだろうかと、50歳を過ぎてからは思うようになった。