クスノキが成長は遅いが大木になるように、進み方はゆっくりであるが学問を大成させること。
反対は梅の木学問。「梅の木が成長は速いが大木にならないように、進み方は速いが学問を大成させないままで終わること」とある。
楠学問ですぐ連想したのはヘーゲル。ドイツ観念論の偉大な哲学者だ。彼の『精神の現象学』は、学生時代、ぼくがもっとも影響を受けた本の1冊である。そのヘーゲルも、若いころはいまいちパッとしなかったらしい。教師からは愚鈍とまで見られていたと、何かで読んだことがある。でもコツコツと考えつづけて独自の哲学体系を築きあげた。
ヘーゲルのエピソードからもわかるように(ウソかホントかしらないけれど)、その人が大成するかどうか、教師にだってわからない。教師の覚えめでたいのは梅の木学問系の生徒だ。それに、楠学問系の人がもし早死してしまったら、「なかなか成長しないヤツ」という評価で終わっているわけだし、梅の木学門系が早死すると「天才なのに惜しいことをした」といわれるだろう。死後の評価なんてけっこういい加減だ。
楠か、梅の木かなんて、自分でもわからない。「オレは楠だ」と自分に言い聞かせ、コツコツやるしかない。
反対は梅の木学問。「梅の木が成長は速いが大木にならないように、進み方は速いが学問を大成させないままで終わること」とある。
楠学問ですぐ連想したのはヘーゲル。ドイツ観念論の偉大な哲学者だ。彼の『精神の現象学』は、学生時代、ぼくがもっとも影響を受けた本の1冊である。そのヘーゲルも、若いころはいまいちパッとしなかったらしい。教師からは愚鈍とまで見られていたと、何かで読んだことがある。でもコツコツと考えつづけて独自の哲学体系を築きあげた。
ヘーゲルのエピソードからもわかるように(ウソかホントかしらないけれど)、その人が大成するかどうか、教師にだってわからない。教師の覚えめでたいのは梅の木学問系の生徒だ。それに、楠学問系の人がもし早死してしまったら、「なかなか成長しないヤツ」という評価で終わっているわけだし、梅の木学門系が早死すると「天才なのに惜しいことをした」といわれるだろう。死後の評価なんてけっこういい加減だ。
楠か、梅の木かなんて、自分でもわからない。「オレは楠だ」と自分に言い聞かせ、コツコツやるしかない。