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永江朗のオハヨー!日本語 ~広辞苑の中の花鳥風月

短期集中web連載! 手だれの文章家・永江朗が広辞苑を読んで見つけた自然を表す言葉の数々をエッセイに綴ります。

くすのきがくもん【楠学問】

2012年11月20日 | か行
クスノキが成長は遅いが大木になるように、進み方はゆっくりであるが学問を大成させること。


 反対は梅の木学問。「梅の木が成長は速いが大木にならないように、進み方は速いが学問を大成させないままで終わること」とある。

 楠学問ですぐ連想したのはヘーゲル。ドイツ観念論の偉大な哲学者だ。彼の『精神の現象学』は、学生時代、ぼくがもっとも影響を受けた本の1冊である。そのヘーゲルも、若いころはいまいちパッとしなかったらしい。教師からは愚鈍とまで見られていたと、何かで読んだことがある。でもコツコツと考えつづけて独自の哲学体系を築きあげた。

 ヘーゲルのエピソードからもわかるように(ウソかホントかしらないけれど)、その人が大成するかどうか、教師にだってわからない。教師の覚えめでたいのは梅の木学問系の生徒だ。それに、楠学問系の人がもし早死してしまったら、「なかなか成長しないヤツ」という評価で終わっているわけだし、梅の木学門系が早死すると「天才なのに惜しいことをした」といわれるだろう。死後の評価なんてけっこういい加減だ。

 楠か、梅の木かなんて、自分でもわからない。「オレは楠だ」と自分に言い聞かせ、コツコツやるしかない。

げあき【夏解】

2012年11月19日 | か行
夏安居(げあんご)の終わること。また、その最終の日で、陰暦7月15日。解夏(げげ)。


「夏安居」を引くと「安居」参照となっている。「安居」は「僧が一定期間遊行に出ないで、一カ所で修行すること」。陰暦の4月16日に始まり、7月15日に終わるのだそうだ。つまり梅雨のあいだは遊行しません、ということ。梅雨が明けたぞ、というのが夏解か。

 ぼくは「夏解」を見ても「げあき」とは読めなかった。さだまさしの小説『解夏』を思い出して、「げげ」と読んだ。夏と解の並びが逆だけれども。

 夏が解けるのだから、夏の終わりという意味かと思いきや、むしろ梅雨の終わり、真夏の始まりを告げる言葉だ。「真夏の太陽光解禁!」という感じか。

 修行する僧にとって、梅雨の雨の中を遊行するのと、真夏のカンカン照りを行脚するのとでは、どちらがつらいのだろう。体力の消耗という点では、猛暑の真夏のほうが厳しいのではないか。だとすると、夏安居の終わりは、「さあ、これから外に出て歩けるぞ!」という喜びよりも、「あ~あ、猛暑の中を歩かなきゃならないよ」という気持ちの方が大きいかもしれない。修行だから、そんなことも言ってられないんだけど。


くさをむすぶ【草を結ぶ】

2012年11月19日 | か行
(1)旅寝をする。
(2)恩に報いる。



「草の宿り」という言葉もあって、「草を敷いて旅寝をすること。また、虫が草に宿ること」。漱石の小説のタイトルにもなった「草枕」は、「草を結んで枕として野宿すること。旅寝。旅枕。旅の仮寝。草の枕。笹枕」。

 そうか、草を結ぶというのは、枕にするためか。

 子どものころ河原でキャンプをしたとき、土手に生えていた背の高い雑草を刈って、シートの下に敷いた。ふわふわになるだけでなく、地面の冷たさを遮断してくれて、寝心地がよかった。「草を結ぶ」というと風流な感じがするが、クッションと保温という実用的な役割があるのだ。

 とくに大事なのは保温だ。薄いシートと寝袋だけで寝るのと、保温フィルムを貼ったウレタンのマットをシートと寝袋の間に敷いて寝るのとでは、眠りの質も疲労の回復度も違う。疲れがたまると、旅は続けられない。

 昔の人が、ただ地面にごろ寝するのではなく、草を敷き、枕をつくったのは、旅を続ける上での知恵だったのだと思う。めんどうだけど、一手間かけておくと、そのあとが楽になることってけっこう多い。

くぎになる【釘になる】

2012年11月18日 | か行
寒さなどで手足が冷たくなる。


 びっくりするようなモノがあって、目は釘づけ、全身は硬直、という意味かと思いきや、冷えである。

 針金でも棒でもなく釘というところがうまい。

 かじかんで手足が自分のものでないような感覚になることがある。とくに手足の指先と耳から冷えていく。手足と耳、首を暖かくしておくと、多少薄着でも平気だ。

 手足が冷えていくとき、はじめは寒くてたまらないが、やがて痛くなってくる。それもすぎると感覚がなくなる。ほうっておくと凍傷になる。軽ければしもやけだ。
「釘氷(くぎこおり)」という言葉もあって、「手足が釘や氷のように冷えこごえること」。

 釘の、とがったところが、冷えきった感覚に通じているのだろう。つららも先がとがっているし、割れた氷の断片も鋭くとがっている。

 冷えると身体が硬直する。全身の筋肉がこわばる。肩や背中に力が入り、首をすくめる。動きもぎごちなくなる。全身が釘になる。こういうときすべって転ぶとケガをする。子どものころはいていた長靴は、底にスパイクが埋め込まれていた。
 

くがつがや【九月蚊帳】

2012年11月17日 | か行
秋になってまだ吊っている蚊帳。また、秋になって蚊帳を吊り納めること。


 大人でも蚊帳を見たことがない人は多いだろう。ぼくも、見たことはあるが、使ったことがない。エアコンが普及して、暑い夏でも窓を開けたまま寝ることがなくなった。エアコン以前に、網戸も普及している。

 熱帯地方では日本の蚊帳が役に立っているという。マラリアなど、蚊が媒介する感染症を予防するのに効果があるそうだ。

 秋になっても蚊帳を吊ったままにしているのは、だらしない感じがするかもしれない。3月なかばになっても飾ったままのお雛さまとか、ゴールデンウィークが終わったのに泳いでいる鯉のぼりとか。お正月のクリスマスツリーなんていうのも。

 でも、最近は気候変動のせいか、あるいは都市化のせいか、11月になってもまだ蚊が飛んでいる。さすがに真夏の蚊のようなすばしっこさはなく、すぐ叩かれてつぶされてしまう。それでもどこでボウフラがわくのだろう、気がつくとプーンと羽音をたてている。

 このまま温暖化が進んでいけば、一年中蚊取り線香が必要になるかもしれない。九月蚊帳という言葉の意味も、「秋になっても蚊帳はしまうな」に変わったりして。