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永江朗のオハヨー!日本語 ~広辞苑の中の花鳥風月

短期集中web連載! 手だれの文章家・永江朗が広辞苑を読んで見つけた自然を表す言葉の数々をエッセイに綴ります。

げいは【鯨波】

2012年11月25日 | か行
(1)大波。
(2)鬨の声。



「鯨浪」という言葉もある。

 クジラは現存する動物の中で、最大のもの。まるでクジラのような大きな波。大きな波のようなクジラ。

 クジラといっても種類はたくさんある。昔の日本人が見たのはどれだったか。マッコウクジラなら、体長20メートル以上になるものもある。電車1両ぐらいのクジラが、ざぶんざぶんと泳いで、ときどき潮を吹き上げるのだから見事なものだろう。いまでも小笠原諸島の近海で見られるそうだ。

 陸から見たのなら、ザトウクジラだったかもしれない。これも大きなものは20メートルを超えるそうだ。しかも集団で生活している。何頭ものザトウクジラが海上にいて、ときどき飛び上がったりするのだからすごい。

 ホエールウォッチングに行きたくなってきた。

 20代のころ働いていた職場では、クジラの鳴き声がよく流れていた。海中で録音したそういうレコードが出ているのである。キーイ、キーイという声で、クジラたちが会話している。何を語りあっているのかわからないが、彼らが意志を持っているのは感じられる。

げあき【夏解】

2012年11月24日 | か行
夏安居(げあんご)の終わること。また、その最終の日で、陰暦7月15日。解夏(げげ)。


「夏安居」を引くと「安居」参照となっている。「安居」は「僧が一定期間遊行に出ないで、一カ所で修行すること」。陰暦の4月16日に始まり、7月15日に終わるのだそうだ。つまり梅雨のあいだは遊行しません、ということ。梅雨が明けたぞ、というのが夏解か。

 ぼくは「夏解」を見ても「げあき」とは読めなかった。さだまさしの小説『解夏』を思い出して、「げげ」と読んだ。夏と解の並びが逆だけれども。

 夏が解けるのだから、夏の終わりという意味かと思いきや、むしろ梅雨の終わり、真夏の始まりを告げる言葉だ。「真夏の太陽光解禁!」という感じか。

 修行する僧にとって、梅雨の雨の中を遊行するのと、真夏のカンカン照りを行脚するのとでは、どちらがつらいのだろう。体力の消耗という点では、猛暑の真夏のほうが厳しいのではないか。だとすると、夏安居の終わりは、「さあ、これから外に出て歩けるぞ!」という喜びよりも、「あ~あ、猛暑の中を歩かなきゃならないよ」という気持ちの方が大きいかもしれない。修行だから、そんなことも言ってられないんだけど。


くわとく【桑解く】

2012年11月23日 | か行
秋の末に株ごとに束ねておいた桑の枝を、春になってほどく。桑ほどく。


 どうして桑の枝を束ねておくかというと、風や雪などで倒れてしまわないように。冬が近づいて養蚕の季節が終わり、蚕の餌となる桑も一休みする。やがて冬が終わり、春になると、束ねておいた桑をほどいて、養蚕の準備にとりかかる。春の訪れを告げる言葉だ。

 もっとも、この言葉を見つけたときは、木の枝を燃料用に束ねたものを連想した。秋のうちに集めた木を、一束ずつほどいて囲炉裏やストーブで燃やす様子を思い浮かべたのだ。でも桑は燃料になるか……と考えて、思い至ったのが養蚕。日本人と蚕のつきあいの始まりは弥生時代にまでさかのぼる。米と絹が日本文化のキーワードだ。

 子どものころ、祖母が蚕を飼っていた。といっても大げさなものではなく、菓子の空き箱に桑を敷いて、数匹の(ほんとうは昆虫は「頭」と数えるのだけど)蚕を飼っていたにすぎない。祖母としてはペット代わりのような気持ちだったのかもしれない。繭から糸を紡ぐのも糸車ではなく、木の板の四隅に釘を立てものだった。祖母はあの糸を何に使ったのだろう。

くれがた【暮れ方】

2012年11月22日 | か行
(1)日の暮れる頃。夕暮。
(2)年・季節などの終わる頃。



 懐かしい響きがあるのはなぜだろう。あまり日常会話では使わない。「夕暮」もめったに聞かない。多いのは「夕方」か。「暮つ方(くれつかた)」という言葉もある。

 そもそも、日が暮れていく時をゆっくり過ごすことがない。だいたい夕暮れ時は仕事が忙しい時間帯で、のんびり日が沈むのを見ている余裕がない。気がついたら暗くなっている。ほんとうは、紅茶でも飲みながら、夕日を眺めていたいのに。こういうとき反射的に「紅茶を飲みたい」と思ってしまうのは、「午後の紅茶」という商品名が秀逸だからだろうか。

「暮れ泥む(くれなずむ)」は歌詞にしか出てきそうにない。「日が暮れそうで、なかなか暮れないでいる」という意味。太陽と地球の角度によるのだろうか、すとんと落ちるように日が沈んであっという間に真っ暗になる季節もあれば、ちょっと薄暗い時間が長く続く季節もある。

「暮れ残る」は「日が暮れたあとにしばらく明るさが残る」。薄暗いと感じるか、まだ少し明るいと感じるか。太陽は隠れているのに、空は光を反射している。まさかこの空、書き割りじゃないよなと、映画『トゥルーマン・ショー』を思い出す。

くちくさ【腐草】

2012年11月21日 | か行
(ホタルは腐草からできたものとの俗説に基づく)ホタルの異称。

「くちくさ」と聞いて、何を連想するだろう。「口臭」? 口の臭いは気になる。イタリアン・ブームのころからニンニクに対する抵抗感が薄れて、ぷんぷん臭わせている人が増えた。焼き肉ブームが拍車をかけた。喫煙率が低下して、相対的に、タバコを吸う人の臭いも気になるようになった。ニンニク+タバコ+アルコールだと最悪。これに加齢臭が加わると地獄。

 おっと、そうじゃなかった。「くちくさ」は「腐草」、つまり朽ちた草である。草が腐ってホタルがわく、という発想が意外だ。だって、ホタルって水がきれいなところにしか棲まないのでしょう? きれいな水で、草は腐るのか。

 世田谷区の等々力に5年ほど住んだ。近くに等々力渓谷があった。23区内とは思えないほどの自然だ。夏になると蛍狩りがある。都会でもホタルが見られるのだ。

 ただし、ネットを張った中にホタルを放し、その間を人間がぞろぞろと歩く。前後の人にぶつかりながら進むので、風流というにはほど遠い。観賞するホタルも、自然のものではなく人工繁殖させたものだ。それでも薄緑色に光りながらふわりふわりと飛び交うさまは幻想的である。