(コウケイとも)紅色に輝く円鏡の意で、太陽のこと。
「紅色」は「鮮明な赤い色。くれない色。こうしょく。べに」と説明されている。流行歌などでも、太陽は真っ赤に燃えることになっている。古代の人は鏡をとても大切にした。鏡を太陽のポータブル版みたいに感じていたのではないか。どこへでも持ち運びできる太陽。しかも自分の顔を映すこともできる。遺跡から鏡が出てくるのもよくわかる。
しかし、素朴な疑問なのだが、太陽を赤いと感じがことがあるだろうか。真昼の太陽はほとんど白に近い黄色だし、夕方の沈む太陽もせいぜいオレンジ色だろう。「紅」で連想するのは口紅の赤であり唇の赤だ。これと太陽の色とは、まったく違う。月なら赤く見えることもあるけれども。
ここからはぼくの想像というより妄想なのだけど、昔の色の名前と今の色の名前はかなりズレがあるのではないか。今の黄を昔は紅と呼んでいたのではないか。青だってそうだ。今の緑が昔の青だったのかもしれない。昔は色見本があったわけじゃないから、何世代にもわたって伝言ゲームのようにして「これが紅」といっているうちに変わってきた。たぶんあと500年ぐらいすると、紅は茶色とか紫をさすようになるね。
「紅色」は「鮮明な赤い色。くれない色。こうしょく。べに」と説明されている。流行歌などでも、太陽は真っ赤に燃えることになっている。古代の人は鏡をとても大切にした。鏡を太陽のポータブル版みたいに感じていたのではないか。どこへでも持ち運びできる太陽。しかも自分の顔を映すこともできる。遺跡から鏡が出てくるのもよくわかる。
しかし、素朴な疑問なのだが、太陽を赤いと感じがことがあるだろうか。真昼の太陽はほとんど白に近い黄色だし、夕方の沈む太陽もせいぜいオレンジ色だろう。「紅」で連想するのは口紅の赤であり唇の赤だ。これと太陽の色とは、まったく違う。月なら赤く見えることもあるけれども。
ここからはぼくの想像というより妄想なのだけど、昔の色の名前と今の色の名前はかなりズレがあるのではないか。今の黄を昔は紅と呼んでいたのではないか。青だってそうだ。今の緑が昔の青だったのかもしれない。昔は色見本があったわけじゃないから、何世代にもわたって伝言ゲームのようにして「これが紅」といっているうちに変わってきた。たぶんあと500年ぐらいすると、紅は茶色とか紫をさすようになるね。