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永江朗のオハヨー!日本語 ~広辞苑の中の花鳥風月

短期集中web連載! 手だれの文章家・永江朗が広辞苑を読んで見つけた自然を表す言葉の数々をエッセイに綴ります。

こうきょう【紅鏡】

2012年11月30日 | か行
(コウケイとも)紅色に輝く円鏡の意で、太陽のこと。


「紅色」は「鮮明な赤い色。くれない色。こうしょく。べに」と説明されている。流行歌などでも、太陽は真っ赤に燃えることになっている。古代の人は鏡をとても大切にした。鏡を太陽のポータブル版みたいに感じていたのではないか。どこへでも持ち運びできる太陽。しかも自分の顔を映すこともできる。遺跡から鏡が出てくるのもよくわかる。

 しかし、素朴な疑問なのだが、太陽を赤いと感じがことがあるだろうか。真昼の太陽はほとんど白に近い黄色だし、夕方の沈む太陽もせいぜいオレンジ色だろう。「紅」で連想するのは口紅の赤であり唇の赤だ。これと太陽の色とは、まったく違う。月なら赤く見えることもあるけれども。

 ここからはぼくの想像というより妄想なのだけど、昔の色の名前と今の色の名前はかなりズレがあるのではないか。今の黄を昔は紅と呼んでいたのではないか。青だってそうだ。今の緑が昔の青だったのかもしれない。昔は色見本があったわけじゃないから、何世代にもわたって伝言ゲームのようにして「これが紅」といっているうちに変わってきた。たぶんあと500年ぐらいすると、紅は茶色とか紫をさすようになるね。

こううんりゅうすい【行雲流水】

2012年11月29日 | か行
空を行く雲と流れる水。すなわち、一点の執着なく、物に応じ事に従って行動すること。


 茶室の床の間に掛かっていそうな言葉だ。流れにさからわず、なにごとも自然のままに、ということか。タモリは「ナスがママなら、キュウリはパパよ」といった。

 禅宗のお坊さんが好んでつかう、いわゆる禅語。お坊さんの心得でもある。だから遍歴して修行するお坊さんを雲水ともいう。雲のように、水のように。

 でも、日本史をみると、中世・近世の寺院はたいへんな権力を持っていた。権威だけでなく武力も行使した。「万事、なすがままに」なんていってられなかった。
『中国故事成語辞典』(角川書店)を見ると、出典は「宋史・蘇軾伝」。「嘗テ自ラ謂フ、『文ヲ作ルコト行雲流水ノ如ク、初メヨリ定質ナシ』ト」という文章がある。定質とは、きまったもののこと。

 蘇軾(蘇東坡)は中国、北宋の政治家で詩人で文章家。1036年~1101年。つまり行雲流水という言葉は、禅の心得というよりも文章の書き方として出てきたわけだ。蘇軾は左遷されてもへこまず飄々としていたようだから、行雲流水は人生哲学だったのかもしれないけれど。

こうう【膏雨】

2012年11月28日 | か行
(「膏」は、うるおす意)農作物をうるおしそだてる雨。よいしめり。甘雨。


 願いはかなう。努力は必ず報われる。何事も心がけ次第。そんなのはみんな嘘っぱちである。養老孟司さんは言った、「心がけで背が伸びるか」。身長160センチのぼくが、180センチになろうと心がけても、それは不可能だ。180センチにならなかったことを、「心がけが悪いから」と責めるのもばかげた話。かなう願いもあるし、報われる努力もあるだろう。でも、かなわない願いもあれば、報われない努力もある。

 意のままにならないものの筆頭は天気だろう。歴史の本を読んでいると、旱魃や日照不足で飢饉になり、社会が大混乱に陥ることが何度も出てくる。雨は大事だった。降ってほしいときに降ってくれる雨を、膏雨、甘雨と呼び、たたえる気持ちはよくわかる。

 もっとも、天気を意のままに操ることはできなくても、寒さに強い農作物ならできるさ、と品種改良を重ねてきたのも人間の歴史だ。稲作の北限はどんどん上がっていったし、ジャガイモやカボチャ、トマトなど、外来の農作物も日常の食卓に欠かせないものになった。努力のポイントを変えれば成功する……こともある。

げつろ【月露】

2012年11月27日 | か行
(1)月と露。
(2)月の光のうつった露。



「風雲」がくっついて、月露風雲、風雲月露などという。詩にしやすい題材の代表だ。月並み、凡庸な詩を、皮肉っていうのにも使う。

 詩歌に限らず、芸術の難しいのはここだ。

 露に月の光がうつっていれば、誰しも「きれいだなあ」と感動する。詩にしたい、絵に描きたい、写真を撮りたいと思うだろう。その結果、皆が似たような詩を詠み、絵を描き、写真を撮る。アマチュアの展覧会にいくと、同じような絵や写真ばかりが並んでいる。

 じゃあ、そういう詩や絵や写真が悪いかというと、それほど悪くはない。形は整っているし、それなりに「うまいね」とも思う。写真のコンテストなどで入選する作品に多い。

 だけどぐっとくるものがない。読んだり見たりした次の瞬間には忘れてしまいそう。

 かといって、あえてハズした詩や絵や写真というのも鼻につく。作為が見えていやらしい。平凡でもいや。変わっていてもいや。ぼくらはとてもわがままだ。わがままを超えたところに芸術があるんだと思う。

げっきゅう【月宮】

2012年11月26日 | か行
月の中にあるという宮殿。月宮殿。がっくう。


「月宮殿」を見ると「(1)月宮に同じ。(2)能。「鶴亀」に同じ。(3)皇居。(4)江戸吉原の遊里」とある。

 能の「鶴亀」を引くと「唐土の皇帝が春の節会の嘉例として月宮殿で鶴亀の舞を奏させ、自らも舞楽を舞う」と解説されている。ずいぶんと派手な演目である。

 月の中の宮殿ということは、かぐや姫の実家か。昔の人は、月にも高等生物が住んでいると考えていた。でも、こちらから月が見えるのだから、月の人びと(というのだろうか)からも地球がよく見えるはず。考えようによっては四六時中観察されているも同然で、落ち着かないと思う人はいなかったのだろうか。月から見られていると思うと、おちおち立ちションもできない。

 60年代はアポロ計画などもあり、将来は月への移住も夢ではないように思えた。少年マンガ誌の巻頭に、壮大な宇宙開発計画が図解されていたのを覚えている。月宮はなくても、人類が月宮を作る日がくるだろうと信じられた。いまはもう、そんな楽観的な夢は見られない。宇宙開発よりも、まずはボロボロの地球を何とかしないと。滅びるぞ、人類。