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永江朗のオハヨー!日本語 ~広辞苑の中の花鳥風月

短期集中web連載! 手だれの文章家・永江朗が広辞苑を読んで見つけた自然を表す言葉の数々をエッセイに綴ります。

ごふうじゅうう【五風十雨】

2012年12月05日 | か行
5日に一度風が吹き、10日に一度雨が降ること。転じて、風雨その時を得て、農作上好都合で、天下の太平なこと。


 世の中、平穏でよかったね、という意味なのだが、文字面からの印象はちょっとちがう。「風」「雨」とあり、それぞれ「五」や「十」がついているから、「荒れ狂う暴風雨」を想像してしまう。5日に一度、10日に一度、ということだったとは。

 気象庁の統計を見る。10ミリ以上の雨が降った日を降雨日とすると、東京の降雨日は少ない年で31日(1984年)、多い年で59日(1989年)。だいたい40日から50日の間ぐらいの年が多い。10日に一度ではちょっと足りない。

 ラジオの天気予報を聞いていると、雨については「残念ながら」という気持ちが伝わってくる。濡れるし、傘を持たなきゃならないし、秋や冬なら寒いし。でも、雨が降らなきゃ干上がってしまう。傘や雨具、レインブーツのメーカーも、雨が降らないと困るだろう。雨が降って残念な人ばかりではない。

 雨具というと、レインコートを着ている人はあまりいない。みんな傘を差している。どうして人気がないのだろう。蒸れるからだろうか。傘を差して自転車に乗っている人も多い。あまり意味があるとは思えない。濡れるのがいやならレインコートを着ればいいのに。

こどもさわげばあめがふる【子供騒げば雨が降る】

2012年12月04日 | か行
子供が大勢戸外に出て騒ぐ日には近く雨が降るという俗説。


 雨の前には、スズメなど小さな鳥たちが騒いでいるような気がする。「雨が降るぞ。巣に帰ろう」と声をかけあっているのか、「雨の前で、虫など餌がたくさんあるぞ」と教えているのかと思う。もっとも、雨の前に鳥が騒ぐというのは、ぼくの錯覚かもしれないけど。

 雨の前に子供が騒ぐとは知らなかった。相米慎二監督の映画『台風クラブ』は、台風がきて精神的にハイになった子供たちを描いた傑作だった。暴風雨のような非日常は、子供ならずとも興奮させるものがある。もしかするとそれは、心と身体が天変地異への準備をする、動物的な本能かもしれない。必ずしも「俗説」と切って捨てられない。

 もうひとつ、雨の前は音が響きやすいのではないか。わが家の近くに踏み切りがある。ふだん電車の音は聞えないのだが、雨の夜、静かにしていると聞えることがある。子供は、晴れだろうと雨の前だろうと、いつだって騒いでいるわけで、でもその声が雨の前だとよく響くということではないのか。

 子供たちが騒ぐ声がすると、ぼくは愉快な気持ちになる。いいぞ、いいぞ、もっと騒げ。

こそうねつ【枯草熱】

2012年12月03日 | か行
花粉症など特定の季節に発生するアレルギー性鼻炎。枯草によって発症することからの名。ヘイ・フィーバー。


 ぼくは花粉症とのつきあいが長い。最初に症状があったのは9歳のときで、熱の出ない風邪かと思っていた。叔母が同じ症状で病院にいくと、花粉によるアレルギー性鼻炎と診断された。翌年、また同じ症状になったのでぼくも病院にいった。以来、花粉症とともに45年である。

 いまでこそ花粉症はポピュラーなものだけど、45年前は知らない人も多くて困った。とくに学校の先生は、「そんなことがあるはずない」とか、「気のせい」「甘え」と考える人も多かった。なかには「草むらで1日過ごせば治る」とか「考えないようにしろ」などと言う体育の先生もいた。

 枯草熱という言葉をはじめて知ったのは、吉行淳之介のエッセイでだった。欧米ではよく知られた病気で、花粉の飛ぶ季節を書いた専用のカレンダーが売られているとも書かれていた。吉行は喘息だった。

 スタニスワフ・レムに『枯草熱』というSF小説がある。サンリオ文庫に入っていたが、同文庫が絶版になると古書店ではびっくりするほど高い値段がついた。いまは国書刊行会の「スタニスワフ・レム・コレクションに入っている。 

こおりとく【氷解く】

2012年12月02日 | か行
春になって気候がゆるみ、氷が解ける。

 よく聞くお話にこんなのがある。

 あるとき、先生が「雪がとけたら、何になりますか?」と生徒たちに聞いた。するとひとりが「雪がとけたら、春になります」と答えた。この問いの正解は水。だけど、春と答えられるような豊かな心を持ちたいものです、云々。

 初めて聞いたときは「なるほどねえ」と感心したけれども、あちこちでいろんな人が得意げに紹介するので、今では聞くたびにうんざりする。雪がとけて春になるというのは詩情があっていいかもしれないが、先生がどんな答えを求めているのかを察する力も重要だろう。たんに空気が読めないだけなのに、創造性が豊かだなどと褒めていいのか。

 それはともかく、雪がとけ、氷がとけるのはうれしいものだ。水の冷たさがゆるんだり。朝起きたときのつらさが違う。雪国の場合は、雪がとけて水になって乾くまで、しばらく泥だらけの日々がつづくのだけど、それすらも楽しい気持ちで迎えられる。なんだかんだいって、寒いよりも暖かいほうが、人の心はゆったりするのではないか、というのが北国生まれのぼくの実感だ。

こうふう【光風】

2012年12月01日 | か行
(1)雨あがりに光を帯びた草木を吹き渡る風。
(2)春光うららかな時に吹く風。



 まるで風そのものが光っているように感じる瞬間がある。草木に残った水滴が太陽の光をさまざまな方向に反射する。風で葉が揺れ、光を振りまいているように見える。

 むかし見た「風はなに色?」というドキュメント番組が忘れられない。といっても、覚えているのは「風はなに色?」という言葉と、それが全盲の少年についてのものだったことだけだが。中学生か高校生のときに見たのだ思う。少年が、ものには色があると知り、母親に「風はなに色?」と聞くのだった。

 その後、辻井いつ子さんが、ピアニストの伸行さんをどう育てたかというエッセイのタイトルが『今日の風、なに色?』(アスコム)だというのを知った。全盲の伸行さんに、色という概念を教えたとき、伸行さんがこう尋ねたのだという。もしかするとぼくが見たドキュメント番組は伸行さんについてのものだったのか。いや、辻井伸行さんは1988年生まれだから、ぼくが見たドキュメント番組はもっと前だろう。

 ほんとうに風に色はないのだろうか。風そのものが光を帯びることはないのだろうか。たまたま今のぼくらの感覚で捉えられないだけではないか。